丑三つ時、闇の中

 深夜の学校に足を踏み入れる機会など、普通の生活を送っていればそうそうない。だからこそ、いざ訪れてみればなんとも異様な雰囲気が漂っている……ように見えた。

 抜け穴から一歩を踏み出した怜は眼を細める。庭園にはほとんど光源がない。校庭の外からの明かりでかろうじて少し先が見通せる程度だ。

 ここはまだあの妖精たちの領域。しかしここから離れればすぐに山雛高校の怪異たちのテリトリーとなるはずだ。さて、どういう道程であれば最小限の戦闘で目的地びじゅつしつまでたどり着けるか。


 考え込む彼女の背中に、ぼす、と軽い音を立ててなにかがぶつかった。

 振り向いた怜は苦笑を浮かべかけ、相手の様子に気づいて眉をひそめる。


「おっと。ごめん、四季しき。邪魔だったかな……って、大丈夫?」

「んー……たぶん……んー……へいき。ねむい」


 うつらうつらとした様子で、ぶつかってきた張本人が頷いて見せる。その目はとろんと閉ざされかけ、言葉の中身に嘘がないことを証明していた。

 彼女かれの背後にいた三國みくにが苦い顔をしている。


「早速、予想外のトラブルだよね。日条にちじょうさんがここまで夜に弱いとは思わなかった」

「いつも、このじかんには、ねてるもん……ふああ」


 緩い抗議の声と欠伸を漏らしつつも、四季もまた庭園へと足を踏み入れた。おぼつかない足取りを見て、怜は今さらながら心配になる。

 現在時刻、午前二時。『創り手』側の要望に応じた形とはいえ、肝心の四季がこれである。大丈夫だろうか。


 そうこうしているうちに第四の同行者が抜け穴から姿を現した。庭園の主……と言って差し支えないだろう。エル・ケーニヒ。その瞳は闇夜の中でもなお赤く輝いている。

 

「シキはしばらく微睡ませておくがよい。不届き者が来たならば私が退ける」

「……うん。もしものときはよろしく」


 首肯した怜は、エルの背後からおずおずとこちらを覗く最後の同行者を一瞥した。

 小柄な少女である。この時間帯でもなお山雛高校の制服姿。おおむね人そのものだ。顔の半分を占めるほどに巨大な一つ目を除いては。

 一年三組、比叡ひえい 真名子まなこ。四季の友人の一人。索敵役として抜擢された怪異だった。


 怜の視線を受けた彼女は、気まずそうにエルの背へ隠れてしまう。思わずため息が漏れた。どうにも怖がられてしまう。会話の一つも交わせていない。

 不意に、三國が口を開いた。


「さて、これで今回の探検メンバーは揃ったね。あ、日条さんに憑いてる子があと二人?」

『はーい。小夜子さよこ、ここにいまーす』

『へーい。畦走あぜはしり ナナ、ちゃんと来てまーす』


 にゅっ、と四季の背後から飛び出したのは白ワンピース姿の幽霊。

 同時に彼女かれの胸元から這い出てきたのはフィギュアサイズの小人だ。頭からは三角形の獣耳、スカートの裾から漏れるのは尻尾。

 普段から四季に取り憑いているこの二人も深夜の学校探索メンバーだ。四季の頭がまるで働いていないこの時間帯においては、彼女たちの仕事も増えるだろう。怜は渋い顔をする。


 三國は頷いた。闇を透かして見えるその顔には微笑が浮かんでいる。


「はい、元気のいい返事ありがとう。さて、エルさん。校内へはどうやって入る? 校庭に出るのはまずいのよね?」

「うむ。学校の怪異どもとはすでに交渉を済ませている……アドリアがな。彼奴らがこの庭園内に侵入してくることは、まずあるまい。そういう協定だ」

「……となると、ここから直接学校に入れる道が?」

「ある。というより、急ごしらえで作らせた。こっちだ。……そこの幽霊、すまぬがシキを歩かせてやってくれ」

『早速お仕事ですね。任せてください!』


 立ったまま船を漕ぎ始めていた四季に、小夜子が背中から抱きつき、半分ほど体内へとめり込む。

 直後、彼女かれの体はテキパキと歩き始める。顔自体はほとんど眠っているので、側から見ると異様だ。が、今はそれにツッコミを入れている時間はない。

 かくして、退魔師と怪異の奇妙な一団は闇の中を移動し始めたのだった。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 昼間は生徒で賑わう校舎も、深夜となれば静まり返っている。昼の顔しか知らないものにとっては、夜の校舎は不気味な雰囲気に満ちている……そう感じるのも無理はないだろう。

 廊下の一角。不意に、壁から蔦が生えた。長方形を描くように生えでてきたそれは互いに絡み合い、緑のカーテンを作り出す。

 蔦の群れが動きを止めた数秒後。がさり、とそれを揺らして『向こう側』からエルが現れた。


「ふむ。さすがは我が部下。いい仕事だ。……さて、一つ目の娘よ。斥候を頼む」

「は、はいっ」


 軽い音を立て、エルの後から侵入した真名子がきょろきょろと周囲を見渡した。その目は極限まで見開かれ、文字通りに丸くなっている。青色の瞳が小さく輝いた。


「大丈夫、です。見える範囲にはいません」

「そうか。……貴女の目はどこまで見渡せる? 壁の中や床の下に潜んでいることもあるだろう」

「廊下の突き当たりくらいまでなら捕捉できますし、怪異の『影』ならどこに憑いていようとわかります。……きゃっ?」


 ムッとした様子でエルを見上げていた真名子がわずかによろめいた。

 反射的にエルが腰に手をかける。が、その原因を見て取って苦笑した。


「シキ。眠いのはわかるが、もう少し目を開け。そこの一つ目の娘と同じようにな」

「んん……がんばる。ごめんね、まなこ……」

「だ、大丈夫だよっ? ちょっとびっくりしちゃっただけだから! ……え、えっと、その。肩、貸してあげるねっ」


 いそいそと真名子が四季を支える。四季はされるがままだ。エルは口元を緩ませつつその様子を眺めている。

 もっとも、退魔師たちが蔦の向こうから現れるころには普段の無表情に戻っていた。


「……本当に校内だ。怪異って、なんでもありだね……」

「ねー。さて、美術室はどっちだったかな、っと」


 呆れた様子の怜をよそに、三國は廊下を見渡している。その手にはいつの間にか扇子が握られていた。

 怜は改めて整理する。山雛高校は大まかに『コ』の字型をしている。普段使用している昇降口は縦棒の真ん中に位置。校内庭園は上辺の横棒の左端付近に位置しているため、自分たちの現在地もおおよそこのあたりと見て間違いあるまい。

 美術室もちょうど同じラインに位置していたはずだ……それも一階に。つまり、怪異に遭遇さえしなければ問題のない距離にあるはず。


「……こっちか」

「こっちだったね。よし」


 期せずして三國と同時に答えを見出す。怜が先頭を歩こうとしたそのときだ。

 あ、と真名子が小さく声を上げた。


「あの、気をつけて、ください」

「……もしかして、出てきた?」

「は、はい。その、少し遠くの教室から、一人。……こちらに、まっすぐ、向かってきます」


 か細い報告。三國が音もなく真名子の前に躍り出る。

 怜はエルの横に並び、油断なく構えをとった。目を細め、闇を凝視する。

 やがて、こちらに近づく曖昧な姿が現れた。

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