攻守逆転、偽りの夕日の下

 薄闇の中、天地に緑の格子模様が輝く。

 その中にぽつんと佇むのはドレスを纏う女性……の、ように見える。しかし間近で見れば、その装束が歯車や金属片、得体の知れないチューブなどで形成されていることがわかる。

 この電脳異界に住まう怪異、チクタクは閉じていた意識を覚醒させた。


『ん。そろそろ出番だよ、アトラナアト』

『ほ、本当?』


 その体のそこかしこから微細な糸が迸る。それらはチクタクの背後でより合わさると、人型の上半身へと変化した。

 髪に隠れた瞳をぎょろぎょろと動かすアトラナアトに、チクタクはある一点を示してみせる。

 その数秒後。


『…………ァァァァアアアアーッ!?』


 示された先に突如として生じる穴。その中から飛び出した小さな影を、アトラナアトは問題なく捕捉した。

 ひゅっ、と音を立て、口から糸を飛ばす。チクタクはそれが影に付着するのを確かに確認した。彼女は無感動に頷く。


『はい。これでよし。あとはまた待機だよ』

『え、え、えぇ……このまま、た、食べちゃ、ダメ、なの?』

『駄目に決まってるだろ』


 冷たい答えがお気に召さなかったのだろう。アトラナアトが不満げにチクタクの肌を引っ掻く。黒曜石の四角錐のごとき爪だが、チクタクには傷一つつかない。ただ金属質な音が鳴るのみだ。

 機械の怪異はため息をつき、爪を押し退ける。


『やめろってば。キミのお母さんとも話したでしょ? この件は今夜で片付けるって』

『……だ、だから、食べても』

『食べちゃあいつがどこから来たかわからなくなるだろ。いい? 今度はこっちが攻める番なんだ。だからあいつがどこに逃げ込むか、しっかり探る! そうすればキミのお母さんだって喜んでくれるんだから。いいね?』

『………………うん』


 不承不承な様子で、アトラナアトがおとなしくなる。

 チクタクは嘆息した。世話をするのは四季しきだけにしておきたかった。が、この状況に不満ばかりぶつけても仕方あるまい。建設的に考えていくとしよう。


 今回の襲撃はこちらにとってもおあつらえ向きだった。こちらはそもそも『相手がどこにいるかもわからない』のだ。そこをわざと開けておいたセキュリティホールから突っ込んできてくれた。うまく釣ることができたといっていい。

 そして今度はこちらが相手を餌に使う番というわけだ。


 とはいえ、周囲の携帯端末から情報は把握している。化物寺の中にまだ残っている怪異。あれをどうにかしなければ攻勢に移ることもできないだろう。

 そのあたりの分担はあの鬼女がやる手筈。こちらはまた待機に戻るだけだ。手持ち無沙汰に身体に触れ始めたアトラナアトを無視し、チクタクは目を閉じた。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 本堂の襖が勢いよく開かれる。一同の視線は自然、踏み込んできたその少女に注がれた。


「やっといたぜめぐりのオバサン。あいつ、しっかり逃がしといたぞ」

「ご苦労様。ずいぶんと脅かしてたようだったじゃないか? 悲鳴がここまで聞こえてきたよ」

「はん! あの人形の意気地がなかっただけだ」


 吐き捨てた花子はなこは、足音も荒く四季のほうへと近づいていった。そして膝枕を堪能していた千里ちさとを蹴り転がし、代わりにそこへ腰をおろす。


「あの」

「黙ってろ。働いた俺をちったァ労え」

「……まあいいんだけどさぁ」


 四季は渋々と花子を受け入れる。いい加減、足も痺れてきたのだが……そのあたりを彼女に訴えても一蹴されるのがオチだろう。

 優しく頭を撫でてやりつつ、彼女かれは巡に話を向けた。


「ええと、あともう一人いるんだよね? そっちは大丈夫?」

「対処中です」


 答える巡は平静そのものに見えた。が、その目がやや細まる。左の手に絡めた蜘蛛の糸を耳に当て、彼女は数秒間口を閉ざした。


「…………少々手こずっておる様子。斬れども撃てども叩けども暖簾に腕押し。ふむ、泥の怪異。離れた場所に誘きだせたのは却って幸運だったかもしれませんな」

祭佳さいかの出番か!」

「いや、あんたはそこで若旦那とくっついててくれ。下手に暴れられて結界を荒らされるほうがよほどまずい」


 勢いよく立ち上がった鈍色の怪異は、その言葉に再度座り直して四季を背後から抱きしめた。不満げな気配が背中越しに伝わり、四季は苦笑する。

 しかし、その笑みもすぐに引っ込んだ。


「皆は無事?」

「はい? ああ、若旦那のご友人方……怪我人はおらぬようですよ。ただまあ、苦労しているようですな。いやはや、敵にもある程度骨のある奴がいるようで。いえ、例えですよ?」

「それくらいはわかってるよ。……それだけ余裕ってことは、なんとかできるんだね?」

「もちろんです」


 至極当然のように鬼女は言った。その口元が皮肉げに歪む。


「若旦那もまあ運のいいお方ですよ。あいつがいりゃ、大体の怪異はなんとでもなるでしょう」


 その言葉に四季は思わず首を傾げた。巡がそこまで信頼を寄せそうな相手に、まったくもって心当たりがない。

 鬼女は開け放された襖から外を見やる。空は変わらず偽りの夕日で染まっていた。


「まあ、若旦那はそろそろお休みになってもよろしいかもしれませんな。あとはこちらでやっておきますから」


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 一方の竹林では、なおも死闘が続いていた。

 泥の怪異……ヒンナは笑みを浮かべたまま力を込める。周囲の地面と同化した己の身体から飛び出した触手で、遠巻きに様子見していた怪異たちを打ち据えんとする。


 戦闘の継続により、相手の怪異も数を増してきた。子鬼の一団。化け猫と思しき二人組み。一つ目の少女と無貌の怪異。たしかにどれも油断ならぬ手合い。

 だがヒンナにとってはどれも恐るるに足りない。


 攻撃をくぐり抜け、すれ違いざまに放たれた一撃が胴体と首を深くえぐる。笑みが深まる。たしかに手強い。が、かの『委員長』殿や『コック』殿には及ばない。その程度の実力。

 雪女の目が白く輝く。凍りついた部分を自ら破棄。破片は土に帰り、土はまた自らの肉体となる。なんの問題もない。

 いずれにせよ、敵の実力を測るという大切な仕事はこなせている。その事実がヒンナを高揚させた。


(そろそろ次の仕事に移るか)


 霊気を探る。目当てのものはすぐに捉えられたヒンナは身体の向きを変え、移動を始める。あたりの地面をスカートの裾のごとく引きずりながら。

 周囲から憔悴の気配と罵声が飛ぶ。ヒンナは笑う。メリーはどうやら自身の仕事を放棄した。ならばそれは自分の仕事だ。仕事はなんと楽しいことか!


 不意に視界が揺らぎ、くるくると回転しながら落下し、暗転。首を刎ねられたと気付いたのはすぐのこと。再度首を生み出し、周囲を探る。攻撃者の検討がつかない。どこから仕掛けてきたのか。

 行く先を阻んだのは、霞のごとき白の網。瞬く間に竹林の間に展開されたそれに、ヒンナは思わず動きを止める。自分の体質を活かしたとしても抜けられるかどうか。

 また新手か。しかし、さきほど集まってきた怪異たちとはなにか違う。違和感を覚えたそのときだった。


『え、えーい!』


 頭上から降ってきた間の抜けた声に、ヒンナは弾かれるように顔を上げる。

 向かってくる怪異の姿があった。白いワンピース姿。波打つ黒の長髪。隈の浮かんだ目元。典型的な幽霊といった外見。

 振り払う暇もなく、それがヒンナに触れた。ぞっとするほどの冷たさに彼女は身震いし、振り払おうとした。


 次の瞬間、彼女の意識は途絶える。

 一瞬にして霊気を吸い尽くされた泥の怪異は、もはやその形を保つことすらできず、偽りの大地へと還っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます