増援発生、泥の海

 地に落ちた人形より溢れ出た泥は、一直線に輝夜かぐやへと降りかかった。速い。飛び退っていた彼女を呑み込まんとするほどに。

 白い瞳の怪異はわずかに眉根を寄せ、泥を睨む。それだけで危機を脱した。表面に白い霜が走り、動きが止まる。

 もっともそれは彼女の視界範囲内でのこと。充分に間合いをとれたときには、泥は凍りついた部分を取り囲むように蠢いている。


「輝夜っち、大丈夫……うわっナニコレ!?」


 横合いから聞こえてきた突拍子もない声は阿子あこのもの。見ると、生首状態のかさね良乃よしのも一緒だ。


「新手。気をつけて。さっきの人形よりよほど手強いわ」


 視線を戻す。柱状に伸び上がっていた泥の塊が震え、凝縮し……人型を取った。

 土色だった髪と肌が一瞬にして色づく。どういう趣味なのか、クラシックなメイド服姿。元泥の怪異は二人を眺めやり、スカートの裾を摘んで優雅に一礼した。


「ご機嫌麗しゅう、山岬やまみさき様。それに雪乃堂ゆきのどう様」


 直後、風が薙ぐ。

 きょとんと顔を上げた泥の怪異の顔が正中線からズレた。阿子が振り抜いた刀を構え直す。


「これでやれたかな? どー思う? 輝夜っち」

「そうね……」


 目を細める。左右に分かたれ、崩れ落ちようとする泥の怪異が凍りついた。

 そのまま地に落ち、粉々に砕け散る。

 だが輝夜の顔は険しいままだ。


「ちょっと、困ったわ。私たちだけでは力不足かも」

「……く、ふふふふふ!」


 どこからともなく嘲笑が湧き上がる。

 ごぽり、と。二人の眼前で泥の飛沫が上がった。そう思った次の瞬間には、泥の怪異は先ほどと同じ位置に再生を果たしている。

 メイド服にはほつれ一つない。洗練された動作で服の埃を払った怪異は、悠然と輝夜たちを眺める。


「なるほど、これはこれは。メリーのやつでは荷が重いかもしれんの」

「あー、こういうタイプの怪異かよ。めんどくさっ……」

「愚痴らない。四季のためでしょ」

「そう嫌そうな顔をせんでもらいたいのう。仕事は楽しくやらねばならん。ではないかね? まったく、うちの御主人は手がかかるお方でな。こうした仕事には事欠かぬ」


 泥の怪異の腕がわずかに動く。

 反射的に輝夜は身を低くした。その頭すれすれを、凄まじい勢いでなにかが通過。

 かろうじて目で追い、正体を看破する。泥の怪異の腕。裾から伸び、鞭のようにしなったそれは周囲の竹をへし折り、阿子の首を刎ねた。


『うおぉーッ!?』

「……なにやってんのさ、もー!」


 くるくると宙を舞う阿子の首の代わりに胴体に収まったのは、ポニーテールの重だ。手に持った刀が赤く歪み、ふた振りの小刀へと変化する。

 ほとんど同時、泥の怪異の背後に降ってきた……もとい、落ちてきたのはさとり。足場にしていた竹を叩き折られたのだろう。


 輝夜の視線の先で、泥の怪異の腕が凍りついた。霊気の行使に無駄な身振りは要らない。ただ意識を集中すればいい。

 根元から腕を粉々に砕かれても、泥の怪異は表情一つ変えない。


「ふむ。時に雪乃堂様。ここには何人怪異詰めておるのかね?」

「それを聞いて。どうしようと?」

「いや、なに。仕事がどれほど増えるものかと思ってな」


 当然のように腕を生やし直し、泥の怪異が微笑する。寒々しいほどに端正な笑み。


「仕事は多ければ多いほど昂ぶる。もっと儂に奉仕させておくれ」


 周囲の地面がにわかに沸き立つ。

 輝夜は眉間にしわを寄せ、泥の怪異を凝視した。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


(始まったみたいね……)


 背後の竹林から聞こえてくる轟音を耳に、メリーは用心深く寺へと近づいていく。

 竹林を抜ける際にも、何人かの怪異の気配とすれ違った。ヒンナが派手に暴れ始めたお陰でこちらが気づかれることはなかった……とはいえ、想定よりも遥かに多い数にはひやりとさせられる。


(あの……にちじょう、しき? だったっけ。いったい何者なのかしら)


 改めて標的に想いを馳せる。これだけの怪異を従える人間などそうはいない。種類だけで見れば、自分の主人など遥かに超えているだろう。

 それを攫わせようとする例の『魔女』と、その背後にいるあの悪魔の目論見はいったいなんなのか。奴らはいつも肝心なことを話さない。


「……っと」


 不意に、メリーは空中で静止。ぐっと身を乗り出し、目の前の虚空を睨みつける。

 何もない……否。夕陽に照らされ、わずかに輝く微細な糸の芸術がそこにあった。


(またこれ? ここも……通れそうにないか……)


 周囲に警戒しつつ、メリーは蜘蛛の巣から離れ迂回。

 先程からこの繰り返しだ。蜘蛛の巣は寺の周囲に張り巡らせられている。現世うつしよならいざ知らず、異界の中でこのようなものにうっかり触れたらどうなることか。試してみようとも思わない。

 幸いにも網目の荒い部分が残されているため、メリー程度の大きさならばかろうじてくぐり抜けることができている。標的の居場所には着実に近づけている……


 とはいえ、それで喜べるほどメリーは素直ではなかった。

 どうにもこの辺りは静かすぎる。いくらヒンナのやつが惹きつけているとはいえ、怪異の影一つないのはさすがに訝しい。

 テューラとかいったか。招鬼まねきを倒した怪異にもまだお目にかかれていない。ヒンナの対処に向かっている、と考えてもいいかもしれない。が。


(悲観には悲観を重ねておくべきよね)


 メリーは覚悟を決める。

 すなわち、自分は今誘導されている。行く先に待つのが例の護衛組。そう考えたほうが幾分かすっきりする。


(あの人間が考えたにしろそうでないにしろ、絶対性格悪いわ……作戦が首尾よく行ったらちょっと脅かしてやらないと)


 予測を立てるだけでも、多少は心の準備ができるというもの。メリーはやや速度を上げ、蜘蛛の巣の迷路を突破していく。

 不意打ちはどのタイミングで来る。神経を張り巡らせろ。むしろその瞬間が絶好の反撃の機会となる。


 しかし。気負いとは裏腹に、メリーは至極あっさりと寺の一角へたどり着くことができたのだった。


「……あれぇ?」


 思わず間の抜けた声が漏れる。メリーは慌てて首を振り、気を引き締めた。

 なにも待ち受けるのは庭でなくてもいいはずだ。むしろ、たどり着いて油断したその瞬間を狙ってきてもおかしくはない。


 彼女はふよふよと浮かびつつ、周囲を見渡す。

 たどり着いたのは渡り廊下。正面には蜘蛛の巣が張り詰める庭の景色。右手は行き止まり……もとい、扉。左手側の廊下はどこかへと続いている。

 メリーは目を細める。廊下にも蜘蛛の巣が張られていないか確かめなければならない。そもそも、この巣の主はいったいどこに潜んでいるのか。もし出会ったらナイフの一本でも刺してやらねば。


 壁を抜ける、という手もある。とはいえ、目標の霊気はもう少し離れた場所だ。内部を無計画に進めばかえって迷わされるのではないか。

 慎重に動かなければならない。その思考がメリーの動きを止める。


 と。


「……メェェェリィィィさぁぁぁん」


 背後から少女の声。聞き覚えのあるその声に、メリーは思わず凍りついていた。

 なぜ。どうして。あれは学校からいなくなったはず……いや、いなくなったのだからどこに居てもおかしくはない。けど、なぜここに!?


 反射的に動いた身体は、すぐ鷲掴みにされる。次いで、首を背後に向くまで捻られた。

 無論メリーにとっては痛くもない。元は人形だからだ。しかし、視線に飛び込んできた顔は。


「なッ……なんであんたが」

「最後までノってから怖がれよな、この不良品。けどあれだ。遊びにきたんだよな?」


 おかっぱ頭の少女が嗤う。小学生ほどの年頃とは思えない、獰猛で邪悪な笑み。

 メリーはようやっと思い当たった。彼女が出てきたのはあの扉から。つまり、あれは便所で……蜘蛛の巣はわざわざここまで誘導するためのもの……!


 かつて自分を痛めつけたあの『トイレの花子さん』との再会に、メリーは魂消るような悲鳴をあげた。

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