真夜中、蜘蛛の網

 メリーが違和感に突き当たるのに、そう長い時間はかからなかった。

 こん、と頭頂部に軽い衝撃。天井に突き当たった……と考え、すぐにその可能性を振り払う。いくらなんでも位置が低すぎる。

 携帯の持ち主の気配は、その向こうにたしかに存在していた。そこまで来てメリーは現在の状況に気づき、眉をひそめる。


 メリーが自身の能力を利用して最終的に出現できるのは、標的ターゲットの背後だ。都市伝説『メリーさんの電話』を流用したことによる限界である。

 標的はおそらくこの天井に背を向ける形で立ち尽くしている……いや、寝ていたのだろう。なので一番『背後』に近いこの場所に転送することとなった。

 つまるところ、ここは標的の住む家の床下というわけだ。


(不幸中の幸いってわけね。運のいい人間だこと)


 思わぬ手間が増えたことにメリーはわずかに苛立つ。とはいえ自分も怪異の端くれ。物理的な障害であれば透過することだってできる。

 迂回などしている暇はない。気持ちを切り替え集中する。


 そのとき、不意に彼女は気づく。自分の側に忍び寄っていた異様な気配の存在に。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


「若旦那、少しお時間よろしいですかね?」


 まだ日が落ちる前のこと。改めて御影みかげたちに今日の出来事を説明しようと四季の前に現れたのは、薄青い肌の鬼女だった。

 こちらの返事を待たずにちゃぶ台の下から這い出した彼女は、何事もなかったかのように正座する。


「ラタンのやつから話は聞きました。今日もまた大変な目に遭われたようで」

「ん……うん。ちょうどみんなに話そうと思ってたとこ」

「ああ、ならいいとこに顔を出せましたかね。まずそちらの話を進めてくださいな」


 促されるがまま、四季は今日の襲撃を話し始める。

 昼休みに自分の荷物になにかしようと近づいてきたらしい怪異のこと。そして下校時に幽霊ワゴンに攫われそうになったこと。れん祭佳さいかのおかげでことなきを得たこと。


 御影たちの表情が徐々に険しくなっていくのを感じつつ、四季は口を閉ざす。

 シェイプシフターからの情報については触れなかった。そもそもあの紳士ぶった怪異の立ち位置すらわからないのだ。変に持ち出すと話がこじれてしまう気がする。


 話し終えると同時、相槌を打つように頷いていた巡が口を開いた。他からの口出しを許さぬ真剣さとともに。


「なるほど、お疲れ様でございます。で、若旦那。本日はこれで終わりだと思います?」

「……巡さんはそう思わないの?」

「残念ながら。他の連中の話を聞くに、まだ一波乱あるでしょう。ちょいと失敬」


 不意に鬼女が手をひらめかせる。次の瞬間、その掌に収まっていたのは四季の携帯端末。糸を飛ばして手繰り寄せたのだ、と気づくのに少しかかった。

 彼女は長い指で端末を弄っていたようだったが、すぐに画面を四季の方へと向ける。


「時に若旦那。この子に見覚えはありますかね?」


 思わず覗き込む。そこにいたのは波打つ髪で顔を覆い隠す怪異。

 ああ、と彼女かれは声を上げた。


「知ってる、知ってる。チクタクさんが連れてきた……ええと、そういや巡さんに紹介してたっけ? チクタクさん」

「いいえ。けれどご心配なく。把握しておりますのでね。ご報告が遅れたんですがそのチクタク某、この子の寝ぐらに迷い込んじまったみたいでして。それを切っ掛けに知り合った次第」

「……その子、巡さんの知り合いだったの?」

「ええ。アトラナアトと言うんです。よろしくしてやってくださいな……いえ、今重要なのはそこではないんです」


 顔を綻ばせていた巡が不意に表情を引き締める。アトラナアトの頭を画面越しに指で撫でつつ、彼女は言った。


「このアトラナアト、電脳面ではかなりの働き者でして。若旦那の携帯に妙な怪異が仕掛けを施していったことを知らせてくれたんですよう」

「仕掛け?」

「ええ。……ほら、あんたから報告してみな」

『え』


 撫でられてくすぐったそうにしていたアトラナアトが、あからさまにうろたえた。

 しばし視線を彷徨わせていたその怪異は、やがて画面の外へと引っ込んでしまう。

 四季が目を瞬かせていると、代わりに出てきたのは機械仕掛けの怪異。チクタクだ。


『はいはい。あの子照れ屋みたいだから、私が代わりに報告するよ。怪異からの不正なアクセスがあったのは確実。直接取り憑くんじゃなくて、目印をつけていった感じだね』

「……ああ、道理で」


 四季は不意に思い出す。幽霊ワゴンの中で目覚めたあと、携帯が放り出されていたのはそのためか。

 そしてすぐに次の疑問が浮かぶ。


「チクタクさんも、さっきの……アトラナアト? さんも、そのことには気づいてたんだよね? 止めなかったの?」

『止められたけど、止めなかった。そのほうが早期解決に繋げられる』

「え?」

「まあ、そんなことだろうとは思ってたよ。さて若旦那。本題です」


 携帯端末をちゃぶ台の上に置き、鬼女はわずかに身を乗り出した。


「今夜は寺でお休みになってくださいな。ええ、そのほうが都合がいいんですよう。色々とね」


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 狭い闇の中、メリーは急旋回する。数秒後、彼女が留まっていた位置により濃い闇が覆いかぶさった。


「な……ッ」


 悲鳴を抑え込み、彼女はそのまま滑空して背後の闇から距離を取る。

 否、すでにその正体は見破っていた。髪だ。黒い髪の群れが雪崩を打って迫ってくる。


 驚愕を敵意で塗り潰す。例の人間と関わりがある怪異か否か。いずれにせよ邪魔者には違いない。

 メリーは空を舞いながら回転する。スカートからいくつものナイフが零れ落ちる。それを蹴りつけ、襲いくる髪の群れへ。

 ナイフは髪に呑まれ、無力化。しかし髪の群れもまたその勢いを減じる。


 その隙にメリーは真横へと飛んでいた。そこしか逃げ道はない。背後からは低く唸るような羽音が近づいてきていたからだ。

 つまり、この床下には怪異が複数いる。メリーは反射的に呪いの言葉を吐きそうになり、自制した。吐いたところで怪異相手にはさして効果もない。


 闇の中に複数の気配が混じり、蠢く。この場にはもういられないだろう。メリーは加速する。視線の先に仄かな明かりが見える。

 横合いから迫ってきた不愉快な蠅の群れを躱し、彼女は明かりの中へと飛び出す。

 直後に振り下ろされた刃を蹴りつけ、距離を取る。そして外で待ち受けていた怪異と向き合った。


「こっちに逃げてきたんだ? ちょうどいいね。ムシャクシャしてたとこだから」


 夕日の中で、それよりもなお紅いマフラーがたなびく。

 山雛高校の制服姿。金髪ツインテールの少女だった。異様なのは、その手に提げた抜き身の刀と周囲に浮かぶ二つの生首。


 だが、メリーをたじろがせたのはそれではない。

 少女の背後に鎮座する荒れ寺と思しき建築物。背後に広がる竹林。この街で見たこともない風景だった。


「……結界?なんでただの人間がこんな大がかりな」

「なんでだろね。ウチも知りたい」


 少女が笑い、刀の切っ先をメリーへ向ける。


「ま、あんたは地獄でゆっくり考えるといい。素っ首、斬り落とすよ」


 殺気と敵意が、メリーへと吹き付けた。

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