ちょっとした不意打ち、一年五組

 三組から階段を挟み、トイレ、四組の教室、そして目的の五組の教室。

 距離にすればなんでもない。だが、怜の足取りは確実に重くなっていた。


「どうしたの怜? 調子悪い?」

「え? い、いや。そんなことないよ?」


 四季から心配そうに見上げられ、慌てて否定する。後ろからついてくる三國みくに祭佳さいかの視線が心なし痛い。

 正直なところ、怜は五組の教室にあまり足を運びたくなくなっていた。

 それは決して、五組の雰囲気だけあからさまに暗い……比喩ではなく、なぜかそこの廊下だけ物理的に暗いのだ……からではない。


 気づいてしまったのだ。これまで会ってきた退魔師たちにの顔がなかったことに。つまり、確実に次の教室で待ち構えている。それだけが彼女の気を重くさせていた。


「ねえ草江くさえさん、なんなら四組で待ってても」

「大丈夫。行く」


 三國の言葉に、怜はきっぱりと言い返した。

 たしかにあいつに顔を合わせるのは嫌だ。しかし、あいつが四季に妙なことをしないかという心配のほうが強い。


 気合いを入れろ。軽く両頬を叩いた怜は、決然とした態度で五組教室へと乗り込むのだった。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 教室に足を踏み入れた瞬間、視線が集まる。無論、自分にではなく四季にだ。

 怜は目を細め、唇を舐める。素早く教室を見渡し、こちらに視線を向けている生徒かいいたちの顔を確かめる。


 まず、窓際にいる二人。気持ちが悪くほどによく似た顔。美形なのがより現実感を薄くしている。制服の違いでやっと男子と女子だと判別できるくらいだ。

 ついで教室前方の席に座る濡れ髪の女生徒。机に立てかけられている松葉杖からして、脚に怪我でもしているのか。

 壁際にもたれかかって携帯をいじっている女生徒も、密かに視線を送ってきている。見た目には人間と変わりないものの、どこか異質な空気を怜は感じていた。


 と、これらはおそらく連中だろう。四季に視線をどうこうする以前にあからさまに怪異とわかるやつもいる。

 たとえば、あからさまに浮いている西洋の全身鎧とか、脚の代わりにタコのような触手が生えているような緑肌のやつとか。やる気あるのかこいつらは。

 こういう隠す気もない連中に気づかない五組の生徒たちを見ていると、怪異が人間を見下す理由がわかってしまう。無意識に同感してしまう自分が嫌になる。


 ともあれ、この教室はかなり怪異の濃度が高い。怜は小さく四季に尋ねた。


「で? こいつらはどういう知り合いなの、四季」

「……えと、怜。言いにくいんだけどね」

「なに」

「その、初めて見る怪異ひとたちばっかなんだけどここ」


 思わず彼女かれの顔を見やる。その困惑具合から言って、嘘などついていないようだった。

 正直に言ってまさかの事態だ。怜は自分の背筋が冷えていくのを感じる。三國たちも事態の危うさに気づいたのだろう。四季を守るように位置どりしている。

 今この時点で襲いかかってくるようなことはない……というのは、人間こちら側の考えだ。怪異であればこちらの想像も及ばぬ行動をしでかす者がいてもおかしくはない……!


「そんなに気を張っちゃうなんて。ふふ、相変わらずかわいいのね」

「うわっひゃあ!?」


 そんなところに突然耳元で囁かれれば、変な声が出てもしょうがないというものだろう。

 実際の怜はそんな言い訳をしていたわけではない。彼女はほとんど反射的に振り向きざまの裏拳を叩き込んでいた。気配もなく背後に立っていた何者かに。

 が、彼女の望んだような結果にはならない。不意打ちをかけてきたそいつは微笑を浮かべて首を傾げた。その顔すれすれをまるで滑るように怜の拳が通過。横に立っていた四季の頭上を通過し、結果怜は一回転。


 手にこびりついたに鳥肌が立つ。怜は慌てて制服で手を拭い、同時に三國の後ろまで避難して犯人を睨みつける。


「このッ……夕子ゆうこ! そういうのやめろって、何度も言ったでしょ!?」

「あら、そうだった? ごめんなさいね。私、物覚えが悪いから……」


 絶対に嘘だ。ニヤニヤとした笑みから嫌でもわかる。怜は口を固く結んだ。これ以上どんな悪態をつこうと、受け流されるのがオチだからだ。

 右目を隠すように斜めに切りそろえられた前髪。腰まで伸びたストレートの黒髪。外見だけ見れば清楚と言っていい。が、中身がそんなものではないと怜はよく知っている。

 目を丸くしていた三國が、思い出したように声を上げた。


「ええと、綱手つなでさんか。このクラスの担当の」

「はい、そうですよ。はじめまして若狭わかささん。そして……」


 と、夕子がキョトンとしている四季へと視線を移す。怜は迷うことなく二人の間に割って入った。


「あら。どうしたの怜さん」

「別に。四季になんかされたら困るから」

「……ふふっ。信頼がないのね私。いえ、逆に信頼されているのかもしれないわ……ともかく、その子が例の『好かれやすい』子なのでしょう?」

「そうだけど。だからって妙な真似したら」

「しないわよ。いやぁねぇ」


 夕子が身をくねらせて笑う。その様に怜は辟易した。どうということのない動作のはずなのだが、妙に気持ち悪さを覚える。

 手合わせの面だけでなく、こうしたところでも妙に合わないのだ。はっきり言えば、彼女は夕子が苦手だった。

 くすくすと笑っていた夕子が、不意に表情を引き締める。


「で、話も聞かせてもらったわ。ここの怪異たちはその子と関係ないのね?」

「あ、はい。……雰囲気が友達に似ているので、そっちつながりなのかもしれないですけど」

「なるほど。なんにせよ……」


 五組の退魔師は不意にこめかみを指で叩いてみせる。意図を察した怜は心を澄ませた。

 案の定、念話が送り込まれてくる。


<除霊は最後の手段とするべきでしょう。相手の実力はわかりませんが、なにしろ数が多い>

<……それがいいと思う。今までになにか変な行動を起こしてるやつは?>

<皆無。私の見える範囲では、ですけれど。どちらにしても不審な行動を起こし次第連絡させてもらいます。一人ではちょっとね>

<わかってる。そのときは手伝うよ>


 最後の念話を送り返したとき、夕子が微笑した。背後に立っていたときの小馬鹿にしたような笑みではなく、素直に嬉しさを表す類の。

 どちらにしてもこの教室に長居は無用だろう。そろそろ昼食を食べる時間が欲しい。


 怜が声を上げようとしたそのときだ。小さな黒い影が四季の脚から凄まじい速さで駆け上り、胸の上へと落ち着いた。

 黒い毛玉のような怪異。一瞬にして煙に包まれ、それが晴れた後にあぐらをかくのはフュギュア大の黒染制服少女だった。頭の上にピンと立てられた獣耳がその素性を雄弁に語る。

 まあ、そうでなくとも見知った顔だ。


『や、やっと追いついた……もう少し長く止まってろよ、お前ら』

<ナナ? どうしたの>


 指で彼女の頭を撫でつつ、四季が尋ねる。当然のように念話だ。そのまま五組教室を退出していく。


『どうしたもこうしたもねーんだって! 緊急事態! 学校側が変なのよこしてきやがったんだ』

<変なの?>

『怪異っつーか人形っつーか……テューラのやつがやっつけてたけど、あれで終わりって感じじゃねえ。退魔師の連中にもマジで気をつけさせろよな!』


 がなりたてるナナに、怜は思わず四季と顔を見合わせる。

 どうやら午後からも忙しくなりそうだった。

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