初日の終わり、化物寺本堂にて
唐突に提示された情報に対し、
それが表情に出ていることを隠すことなく問い返す。
「適当言ってない?」
一瞬の沈黙。
直後に返ってきたのはけたたましい笑い声だった。目の前の闇が不気味に渦巻く。
人間で例えるならば抱腹絶倒というところだろうか。それに気づいてしまい、気分が悪くなる。
『ヒヒヒヒヒヒッ! はー……いいねぇ。ようやくきみも
「お前だけだよ」
『特別扱いってことかい? 悪くないな! それはそれとして、だ。魔女が怪異を生み出しているってのは本当だよ。より正確に言うなら量産体制を整えている。……まったく、後先考えてないんだよな』
最後は溜息混じりである。四季は眉根を寄せた。言葉から滲み出る、諦観とも取れる気怠さは嘘ではないらしい。
闇がだんだんと薄れていく。
『きみもそろそろ現実に呼ばれているようだから、手短に。良き学校生活を送るためのアドバイスだ』
「……お前、何様のつもりなんだよ」
『答える時間はないな。ともかく! 第一に魔女、第二にきみを追ってやってきた怪異たちのフォローだ。魔女のやつは性根がねじくれているからね。話し合うんだったらきみ自身の価値を示す必要がある! 覚えたね? では、よい現実を!』
闇が消える。あたりが色彩を取り戻す。どこか懐かしい夕焼けの色……と見てとれたのは一瞬だけ。
一気に襲いかかってきた浮遊感と重力に、四季はあっさりと意識を失った。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
赤い空の下。取り残された『魔女』はしげしげと例の新入生が落ちていった道路を見下ろしていた。
不意に『トンカラトン』たちが手持ち無沙汰になっていることに気づき、手を振って解散させる。
「……ああいう緊急避難の手段を持ってるとは思わなかったなー。予想外。ふふ」
仮面の奥で楽しげな笑みが漏れる。
手元で杖をクルクルと回しながら、彼女は学校にとって返そうとし……ふと足を止める。
「トリルにはどう言い訳しよっかな。ま、許してくれるよね。きっと」
誰にともなく呟くと、歩みを再開。
彼女の頭上では、赤く染まっていた空が急速に元の青色を取り戻していく。
「あの子はー、生け捕り。退魔師はー……どうしよっかなー。邪魔だよねー」
杖を回し、ご機嫌に呟きながら。魔女は悠々と山雛高校への帰路についた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
目覚めてまず視界に飛び込んできたのは見慣れぬ天井。木造で、良く言えば歴史のある趣。有り体に言ってしまえばおんぼろだ。
ぼんやりと眺めていると、横合いから薄青い顔が覗き込んできた。
「お目覚めで? おかえりなさいませ、若旦那。初日から難儀な目に遭われたようですな」
慇懃無礼とも取れる優しげな声音。四季は呻きつつ、重い身をゆっくりと起こした。
傍に正座していた鬼女、巡がわずかに眉をひそめる。
「どこか痛むとこなどありませんかね? だいぶ独創的に帰ってこられたので心配なんですが」
「ん。ちょっと疲れてるだけだから平気……独創的ってどういうこと?」
「着地に失敗したら野良犬の餌になっちまう程度の高さから降ってくるってのは、若旦那にしちゃ独創的だと思いますよ」
何気ない言葉に、今さらながら肝が冷える。どうやら『シェイプシフター』と話していたときの情景はあながち夢でもなかったらしい。
巡がつまらなさそうに呟く。
「ま、無事なんでしたら明日にでもあの退魔師の小娘に礼を言っておくとよろしい。真っ先に若旦那を助けにかかったのは彼奴ですからな」
「そう、なんだ……そうだ! 怜は!?」
「さっさと帰らせてます。いくら若旦那のご親友とはいえ、退魔師を本堂にあげるのは御免被る」
そこでようやく、四季は自分の居場所を悟る。『化物寺』の本堂。ひとまずは巡の住まいである場所だ。
ふと視線を下ろすと、古びた蒲団が目に入る。この鬼女の私物なのだろうか。
視線を彷徨わせると、なにやら馴染みのないものがそこらに転がっているのがわかる。古びてはいるが手入れはされているらしい。几帳面なのか雑なのか判断し難い。
こほん、と咳払いの音。
「さて、若旦那。
「ああ、『魔女』……と、包帯まみれの」
「『トンカラトン』でしょう。怪異としては新参者です。ただの人間には脅威でしょうな」
そこで鬼女の口の端がわずかに釣り上がる。
「さらに退魔師側もどうやら今日を好機とばかりに数を増やしたようです。どう思います?」
「どう、って言われても……どこからそんな情報を」
「あたしの部下はああ見えて優秀なんですよ。それはそれとして、怪異と退魔師が顔を合わせたらどうなるかなんぞ火を見るよりも明らかです。問題は」
四季は瞬きする。少しだけ、巡の表情が曇ったように見えた。
その目に懸念の色が浮かんだのは気のせいか。巡のほうは淡々と言葉を続ける。
「その抗争に、若旦那が巻き込まれることです」
「断言しちゃうか……」
「しますとも。いい加減に向き合ってくださいな。若旦那が生きている限り、こうした悩みの種は向こうから飛んでくるんです。知らぬ存ぜぬを通そうとしても」
いつもの調子に戻ったらしい鬼女が不意に手を打った。
それと同時、彼女の背後に二つの影が立ち上る。四季は眉根を寄せた。当然のごとく怪異。初めて見るタイプの。
四季の怪訝な眼差しも気にすることなく、巡は背後の二人を扇子で指し示す。
「そういうわけで、お節介ではあるんですがこちらも護衛をつけさせていただこうかと。……ほら、さっさと挨拶しな」
「チッ、ガキ扱いしやがってよ……あー、アタシはテューラだ。よろしく頼むぜ、
まずおざなりに頭を下げてきたのがスーツ姿の怪異。がっちりとした体格と言動の粗野さが格好と不調和を起こしているように見える。
白手袋と袖の隙間からフサフサとした毛が生えているのがふと目につく。あの下は原型に近い、ということなのか。
自然と四季の視線はもう一人の怪異へと向く。トレンチコートの女。テューラよりは小柄に見えるものの、それでも威圧感がある。中折れ帽を手に、陰気な様子で目礼を送ってくる。
「で、私がラタンです。……すみませんね。私もテューラのやつも、こうして人間とまともに向き合うことがなかったもんで。無礼に思わんでください」
「いや、そんな」
「こいつらが粗相をしたら遠慮なく仰ってくださいね、若旦那。すぐ首にしますんで」
「……胴体と泣き別れ、の意味ですな。これは。我々としてもそうはなりたくないんで、素直にご指示に従いますよ」
ラタンは表情一つ変えない。陰気な調子で告げると、すぐに口を噤んでしまった。
対するテューラのほうは興味深げに四季を覗き込んできている。巡が舌打ちした。
「相変わらず礼儀のなってない。この方とあんたがどういう関係か、忘れたわけじゃなかろうね」
「あいにくそこまでボケてねえよ。テメェと違ってな! ……なに、どうしてテメェがこいつを担ぎ出したか見てたんだ。よォーくわかった。なかなか面白ぇ」
言って、スーツ姿の怪異は獰猛に笑う。
四季はふと思い出す。そういえば巡は以前、気性の荒い部下が云々という話をしていたが……それが彼女たちなのだろうか。
どうやらこの鬼女は、山雛高校をそうした怪異たちを護衛につけなければ歩けない無法地帯と考えているらしい。
そして、それが大げさでないことも容易に想像がついてしまう。
四季はげんなりとして、布団の中に倒れこんだ。
「若旦那?」
「んー、ごめん……疲れたから、少し寝る。この布団、借りたままでいい?」
「えぇ、ご自由に」
「夕飯になったら起こして……」
言葉の途中で睡魔が襲ってくる。実際、今日は実に……疲れのたまる一日だった。
明日からこれ以上に大変なのだろうか。そんな不安を抱きつつ、四季は意識を手放した。
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