赤い空の下、邂逅

 率直に言って、草江くさえ れんは苛立っていた。

 少し目を離した隙にトラブルに巻き込まれている幼馴染……まあ、これはいい。体質上、仕方がないと納得できなくもない。


 オカルト研究会による雑な儀式。考えるだけで腹が立ってくる。

 四季しきの体質を知らないとはいえ、ほぼ初対面の人間に対して行うべき所業ではない。現時点、彼女の中で都月とづき かおるの好感度は最低値だった。


 そして。


「除霊しないならどうするの、このちっこいの」

「え、えーと……」


 儀式に乗じて四季に憑依していたらしい、狐耳の小怪異。差し当たって、こいつの扱いをどうするか考えなければなるまい。

 ……正直な話、ささっと除霊してしまえば片がつく。しかしそれは幼馴染に止められてしまった。まあ別にいい。この小怪異、そこまで害のある怪異でもなさそうだし。


 ふと思いつき、怜は幼馴染を睨む。


「まさかと思うけど。この怪異も四季の知り合いじゃないよね?」

「ううん、この子は初対面。地元の怪異でもない……と思う。向こうの狐全員と顔見知りなわけじゃないからはっきりしたことは言えないけど」


 申し訳なさそうな答えが返ってきた。知り合いでもない怪異の除霊を止めたのか、だったり地元には狐の知り合いがいるのか、だったりいろいろと言いたいことはできたものの、それは飲み込むことにする。

 とりあえず疑問が解消したところで、この怪異の処遇を決めるとしよう。とりあえず逃げ出さないよう、御札でも貼りつけておくか。

 肩にかけた鞄をまさぐりつつ、振り返ったそのとき。


 がぶっ。


『…………みぎゃあーッ!?』


 幽霊さよこが悲鳴を上げた。その手に捕らえていた小怪異に噛みつかれたのだ。反射的に彼女は手の内に捕らえていたそれを手放す。

 小怪異は宙を舞い、悠々と空を一つ蹴ると、


『よいしょっ、と!』


 少し弾みつつ、四季の胸の上に着地した。

 そして涙目で噛まれた指を口に含んでいる小夜子に向け、舌を出す。


『ざまーみろ、雑魚幽霊。よくもオレを手荒に扱いやがったな!』

『ううっ、油断してました……!』

「……結局取り憑かれるんじゃない。四季、大丈夫?」

「平気。なんともない」


 平然と頷く四季に、怜は呆れと若干の空恐ろしさを覚える。

 怪異に憑依されるということは、元々持っていた霊気を奪われていくのと同義。霊気を失い過ぎれば人は死ぬ。

 ……のだが、四季の場合、あのやたらと燃費の悪い幽霊に憑依されても体調を崩す様子すら見せない。いったいどうなっているのか?


 ともかく。憑依させたまま放っておくのはよいことではないだろう。

 怜は取り出そうとしていた御札の代わりに、小さな針金を取り出す。もしものときのための道具だ。

 用途に察しがついたのだろう。四季の胸の上に胡座をかいていた小怪異がにわかに慌て出す。


『ま、待て待て待てそっちの退魔師! オレを傷つけるとアレだぞ、イナメさんが黙ってないぞ!』

「は?」


 思いもよらぬ名前を出され、怜は手を止める。

 イナメ。この町の神社で祀られている倉稲魂命うかのみたまのみことの愛称だ。

 たしかにこの怪異も狐らしいとはいえ、なぜその名を。

 不意に、四季が明るい声を上げる。


「……ああ! イナメさんが言ってたねそういや。学校に遊びに行ってる悪戯狐が帰ってこないって。あれきみのこと?」

『やっぱり面識あるんだな? 匂いがついてるからそうじゃないかと思ってたんだ。イナメさん、怒ってなかったよな……?』

「うん。むしろ心配してたよ」


 急にしおらしくなる小怪異に、怜は思わず溜息をつく。そして鞄の中に針金をしまいこんだ。

 そういえば、そんな話題も出ていた気がする。学校に怪異が蔓延っているという情報のほうが衝撃だったので、すっかり頭の中から抜け落ちていた。


 小怪異のほうは危機を脱したと判断したのだろう。胡座したまま器用に四季のほうへと向き直り、彼女かれの顔を見上げる。


『そういや名乗ってなかったな。オレ、畔走あぜはしり ナナってんだ。勝手に取っ憑こうとしたのは謝るよ。けど緊急事態でさ……』

「緊急ってどういうこと?」


 遠慮なく怜は口を挟む。小さな怪異の言葉には、聞き流せない危機感があった。

 ナナが振り向こうとしたそのときだ。四季が不意に、あらぬ方向を振り仰ぐ。結果として、彼女かれの胸に乗っていた小怪異がズレ落ちそうになった。


 なにかあったのか。

 そう問いかける前に、答えが降ってくる。


 それは銀色の影。怜たちの前に音もなく降り立つと、空目がけて腕を振るう。

 手の内から滑り出た白色の球は宙で解け、大きな蜘蛛の巣となって空に広がった。


「……居待月いまちづきさん!? なにしてんの!? というかなんでここに!?」

「どうも若旦那。今回は尾行に気づいてなかった? はは、上手くいってたんだな」


 振り返らぬまま、銀色の怪異が苦笑する。

 三対の腕に、銀の外骨格を纏う昆虫めいた異形。怜も初めて見る怪異ではない。あの性格の悪い青行灯めぐりの部下だ。

 どうやらこっそりと四季を護りに来ていたのか。それが今、姿を現したということは。


「こっちで遅れを取ることになるとは思わなかった……! 悪い、若旦那。あいつ手強いぞ」


 怜は空を見上げる。網目の向こう、いつの間にか紅く染まっている空の中。ぽつんと浮かぶ小さな影があった。

 その詳細を認め、眉間にシワが寄るのを自覚する。浮かぶのは人型の怪異。なんの飾り気もない鉄の杖に腰掛け、興味津々といった様子でこちらを見下ろしていた。

 赤いマントに鍔付きのとんがり帽子。顔を覆うのは、道化めいた笑みを形取る仮面。


「……四季、念のため聞くけど」

「初対面」

「ありがとう」


 短い確認を終え、怜は居待月の真横に並び立つ。その袖から反物がまろび出た。


『ギャーッ!? ま、ま、魔女! やっぱりオレを追ってきやがったのか!?』


 背後でナナの喚く声。正式な名前はわからないが、どうやらあの怪異は見た目どおりの存在であるらしい。


「……おいおい。お前やる気なのかよ退魔師」


 銀の怪異がげんなりとした様子で呟く。こちらを見ることなく。


「邪魔だよ。すっこんでろ」

「お前一人で手こずっておいてよく言う。……あいつ、どんな手を使うの?」

「見てのとおり空を飛ぶ。あとは火だ。西洋の魔術だかどうだかは知らないけど、人なら当たれば死ぬぞ」

「そう。ありがと」


 視線を合わせることなく礼を返す。

 その間にも、事態は動いている。『魔女』は傲然とこちらを……否、宙に張られた網を指差す。指された箇所から静かに煙がたち、焦げて無力化していく。

 一方で、怜の右袖から伸びた青の反物もするすると伸びる。端はすでに地へ落ち、とぐろを巻く蛇のごとく折り重なっていく。


 怜は思考を退魔師のそれに切り替えた。

『魔女』は敵と見做すべきだろう。おそらくその狙いはナナ……および、それに憑かれた四季。看過はできない。

 一方でその実力。それなりに力を持つであろう居待月と渡り合えたところから見て、少なくとも精霊級の怪異と仮定する。本来であれば退魔師一人で相対するには荷が重い。


 だとすれば。


 網に穴が穿たれる。『魔女』が居待月を捉え、居待月はその手に新たな白球を掴み、投擲の構え。

 その虚を突くかのように、地に落ちきった青反物が急速な勢いで伸び上がる。


 渦を巻くように殺到する反物に、『魔女』の注意が逸れた。

 無論のこと、怜はその時点ですでに動いている。


 霊気を脚に込め、青反物の上を

 やることはシンプルだ。不意を打ち、ぶん殴って、敵の霊気と戦意を削ぐ。相手が撤退を選ぶまで。

 その左手に赤反物が巻きつき、即席のバンテージとなる。


 すぐに『魔女』と同じ高みに至った退魔師は、赤い拳を振りかぶった。

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