深夜、化物寺

 敵影捕捉は難なく完了。チクタクは霊気レーザーを上方に照射。再び振り下ろされた黒い結晶体の攻撃軌道を逸らす。

 電脳異界の空を見上げる。極細の糸で形成されたドームの天井部にぶらさがる異形をターゲット。解析開始。

 脚部を取り払った人型のフォルム。背から生えるのは巨大な黒い蜘蛛の脚。波打つ前髪から覗く物憂げな瞳がこちらを見下ろしていた。


「す、す、素早い、ね。お前」

「あんたの処理速度が間に合ってないだけ! 名前くらい名乗ったら?」

「だ、誰が、お、お前みたいな、ガラクタに」

『おいおい、名乗りくらいはあげてやれよ。……阿斗羅あとらっつーんだ、そいつは』

「ア・ト・ラ・ナ・ア・ト! お、お、お母さんが、く、くれた名前は、そっちだから!」


 影の紹介が不服だったのか、セキュリティの主が声を張り上げた。

 チクタクにとってはあまり愉快な名前ではない。アトラナート。命名主が誰かはわからないが、ずいぶんと大きく出たものだ。

 いずれにせよ、この隙を逃すつもりはない。


 解析続行。仮称『アトラ』が天井部にぶら下がっていられるのは、二足と置換する格好で放出されている糸の束によるものだ。

 おそらくこの電脳異界に張り巡らされていた極細の網はすべて彼女の構成物。なんとも体を張ったファイアウォールもあったもの。

 となると、まず。


「……おっ?」


 本体と末端を切り離し無力化する。

 アトラが再びこちらへ向き直る間に、チクタクはすでに近接戦闘距離へと飛び込んでいた。

 反応しきれぬ相手の『脚元』をレーザーで薙ぎ切る。接続を失い、落下するアトラの頭部へ照準を合わせ……


「び、びっくり、した」


 瞬間、アトラが『ほどけた』。

 霊気の光が頭部のあった位置を穿つ。無意味だ。あの黒曜のような巨大な蜘蛛脚すら糸となって宙に溶けていく。

 まずい。チクタクは回避を


「……かフッ!?」


 胸部に衝撃。見下ろすと、黒曜の脚の切っ先が飛び出ていた。傷口からは光の泡が漏れ、舞い上がる。

 身動きしようとしたところに、またも一撃。そして一撃。両腕が破損。

 力が、抜けていく。


「あ、あ、あ、侮ってたぞ。おま、お前、強い、な? 今まで、こ、ここに、迷い込んできたやつの中じゃ、一番だ」

『おーおー、勝負ありか。どうだい、絡繰からくりの嬢ちゃん。強いだろ、うちの庭番は』

「えへへ……お、お母さん! や、や、やったよ! 僕、勝った!」


 嬉しげな声が後ろから飛んでくる。

 はるか下、影の背後にあるモニターが瞬いた。そこから流れ出るのは女の声。


『あァ、よくやった。だがまだ仕事は終わってないだろう?』

「うん、うん! あ、洗い出す、ね!」


 何をされるかすぐに見当がついた。チクタクは歯を食いしばり、せめてもの精神防御プロテクトを固める。

 直後、頭を小さな手で挟まれた。その指先がほどけ、糸となり、潜り込んでくる嫌な感触。思わず低い唸りが漏れる。


「ん、んん……て、手強い、な」

『警戒するんだよ、アトラ。そいつがまだ完全に無力化されてないことを忘れちゃならない』

「わ、わ、わかってる! けど……あ!」


 精神を引っ掻いていた糸が引き抜かれる。チクタクがしまい損ねていたデータとともに。


「な、なんだこれ」

「ん? ……あっ!? 待て! それは」


 抜き取られたデータに思い当たり、チクタクは無理やり首を背後に回転させる。だが遅い。アトラは惚けたようにそれを……一枚の画像データを凝視していた。

 下のモニターからは訝しむような女の声。


『なんだい、そりゃ』

「…………き、綺麗」

『あァ?』

「お、お、お母さん! この子! この子、知ってる!?」


 一瞬にしてほどけ、モニターの前に再出現したアトラは更新した様子で画像データをモニターに掲げてみせる。

 他でもない。御守り代わりにチクタクが秘蔵していた四季の写真。


 モニターの向こうから声にならない呻きが漏れたのを、チクタクは確かに聞いた。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 なぜこうなった。格子から差し込む偽りの夕日の中、御伽おとぎ めぐりは静かに頭を抱えていた。


 彼女がいるのは異界、化物寺。その本堂である。周囲に散乱するのはぼろぼろになった経典や木魚といった仏具……より正確に述べるのであれば、かつて彼女の所属していた百鬼夜行、山ン本組の構成員の成れの果て。

 今では見るも無残だが、これでも霊気を取り戻せばかつての姿に変化できるようになるだろう。もっとも、破壊されてしまっては元も子もない。故に彼女は本堂の立ち入りを禁じている。無理やりに侵入しようとすれば、彼女の部下たる『御庭番』が黙ってはいない。


 それはいい。問題はこれだ。

 目の前の床に置かれている古びたノートパソコン。そこに映り込む『娘』アトラと、彼女の持つ写真。被写体はここ数日、嫌というほど見ているあの人の子のものだ。


 今現在、発生している問題は三つ。

 一つは単純に極秘事項……『先代』の存在を察知されたことだ。これが外部に漏れることは万が一にもあってはならない。神野しんの組の残党に嗅ぎつかれたらことである。

 二つは、知らぬこととはいえ日条四季の知己に攻撃を加えてしまったこと。現状、最大級の霊気補給源となっている彼女かれの信頼を損ねるのは致命的だ。機密保持のための始末などもってのほか。


 だが、三つめ。これが巡にとっては一番の悩みの種だった。

 すなわち。


『お、お母さん? 聞こえてる?』


 画面の向こうで瞳を紅玉のように輝かせている『娘』が日条四季に……ひいては外に興味を持ってしまったこと。

 アトラナアトは手をかけて育ててきた式神の一人。普段使い捨てにしている青蜘蛛とは違い、人格と意思を備えた一個体だ。

 電脳方面からの守護、および対退魔師の切り札の一つとして念入りに調整を重ねて生まれた怪異である。


 そう、切り札。有事のために秘匿しておくべき存在。

 それがあろうことか、外部からやってきた情報に大いに興味を惹かれている。

 他の娘たちとは違い、アトラナアトは電脳異界特化型だ。その気になれば巡の制止を振り切り、外へ出てしまう可能性が……


『お、こいつぁ例の人の子じゃねえか? いや、写真に込められた霊気だけでわかるってのも相当なもんだな』

「ちょっと先代!? 余計なこと言わんでくれます!?」

『いいじゃねえか別に。いつまでも隠し通せんだろ』


 どう誤魔化すか悩んでいたのが悪かった。

 横合いから写真を覗き込んだ影のために、アトラナアトが情報を得た。

 まだ人格は幼いものの、彼女は利口だ。被写体の推定など朝飯前だろう。


『じ、じゃ、じゃあ! この子が日条四季なんだね!?』


 ほら見たことか。

 巡は溜息をつく。こうなるとアトラナアトの次の言葉は手に取るようにわかる。

 どうやら、ある程度の軌道修正を行わなければならないらしい。まったくもって、降って湧いた災難だ。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 翌朝。緩やかに身を起こした四季はぐうっと伸びをした。久しぶりの快眠。実に喜ばしい。

 何気なく携帯を手に取り、チクタクに挨拶しようとした彼女かれは首を傾げる。見慣れぬ顔が写っている。


 波打つ髪の合間から覗く赤い眼と視線がかち合う。次の瞬間、驚いたように見知らぬ顔は画面外に消えた。

 それと入れ替わるように、チクタクが反対側の画面外からフェードインする。


『おはよう、四季。よく眠れた?』

「うん。おはようチクタクさん。ところでさっきの……」

『ええと、だね。深い事情は聞かないで欲しいんだけど、外側から迷い込んできた怪異なんだよね。特に危険性もないみたいだし、ちょっと置いてあげてくれないかな? 面倒は私が見るからさ』


 どこかぎこちない笑みとともにチクタクが言う。


 無論のこと、四季は知る由もない。

 昨夜、チクタクが秘密の厳守と引き換えに解放されたことなど。そのお目付役という名目で、アトラナアトを連れてきたことなど。


「まあ、いいけど」


 だからこそ、彼女かれはあっさりと了承した。

 今日もまた、変わらぬ一日が始まる。

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