夜、電脳異界

 早いものでもう日が落ちた。長居しすぎたことを謝りつつも怜は隣室に戻ってしまい、一〇五号室はまた四季と怪異たちの空間に戻っている。


「結局、今日はどこにも出かけなかったのね……」

「忙しかったんだから仕方ないよ。で、チクタクさん。ゲームってなにがあるの?」

『はいはい! 少し待っててね、オススメのリスト作るから』


 呆れた眼差しを向けてくる御影みかげをものともせず、床に転がった四季は携帯とにらめっこをしていた。

 なにしろ連絡先ができたわけで、そうなると軽率に電源を落とすのも忍びない。というわけで、数年越しに触れてみているわけだ。

 ちなみに、頭の上に顎を乗せる形で亡子もうこも覗き込んできている。なんだかんだで興味があるのだろうか。


『あうー……疲れました、お腹も空きました……御影さぁん、ご飯〜……』

「情けない声出さないで。でもまあ、そうね。そろそろお夕飯の時間かしら」


 疲れ切った風情で宙にたゆたっている小夜子を一瞥しつつも、御影はちゃぶ台側の床をこんこんと叩く。

 すぐにちゃぶ台の下からにゅっと顔を出したのは、大人しい雰囲気の少女。


「呼んだ? 御影お姉ちゃん」

「お夕飯を作るわ。樹奈きなはどうする? 食べる?」

「ん……四季ちゃんと一緒なら」

「そう。なら手伝ってくれるわね。……ああ、そうだ。その前に。あの鬼にどうするか聞いてみてくれるかしら」

「えっと、めぐりおばさんのこと? おばさん、食べないんじゃないかなあ。ずっとね、本堂のほうに篭ってるの。今日は忙しくて遊べないし、本堂は子どもが入っちゃダメって、銀色のお姉ちゃんが」

「……そう」


 姉妹の会話をそれとなく聞いていた四季は思わず視線を向ける。御影が訝しげな表情を浮かべているのが見えた。

 怪異にとって食事は一種の嗜好のようなものだ。霊気を摂取する彼らにとっては、抜かしてもなんら問題はない。当の巡もその日の気分で食卓に参加したり、しなかったりしている。

 だが、本堂に篭ってなにをしているのか。そもそも、あそこにはなにがある?


「……わかったわ。じゃあ、あいつはいいから。他の連中にどうするか聞いてもらってくれる?」

「わかった!」


 元気のいい返事とともに、樹奈がちゃぶ台の闇に消える。

 四季は身体を揺すって上に乗っていた亡子をどかし、立ち上がった。夕食の手伝いくらいはしなければ。というより、当初のことを考えるとむしろ自分が主導で準備をしなければならないのだ。


『おまたせー! あれ、どっか行っちゃうの?』

「ああ、ごめんね。ちょっと夕飯の準備しなきゃだから」

『そっか。じゃあ見るのも大変だろうし、オススメのゲームの情報読み上げるよ。まずはねー、弊社ことタラチネの誇るビルド・プラネットをご紹介!』

「もういいよ! タラチネ製品は!」


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 一人暮らしのわりに賑やかな食卓も終わり、チクタクのゲームレビューを聞いているうちに夜は更けていく。

 いつものように睡魔に襲われた四季は、もう布団に潜り込んでいた。普段との違いは、携帯……つまりチクタクがすぐそばにいることだ。


「じゃ、おやすみチクタクさん……寝てるときにうるさくしたらさすがに怒るからね……?」

『はは、ちゃんとマナーモードにしておくからご安心。おやすみ、四季』


 声量控えめの機械音声に安堵した四季は、そのまま瞼を閉じる。間もなく、小さな寝息を立て始めた。

 それから少し経った後。真横に置かれた携帯が『立ち上がる』。画面には無音でチクタクの姿が映し出される。

 携帯は音もなく浮き上がり、四季の顔の上まで移動すると、無音でシャッターを切った。その後、何事もなかったかのように元の位置に戻っていく。


 そして画面が音もなく暗転した。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


「……ま、役得はこれくらいにして」


 緑色の格子が広がる異界の中で、チクタクは独りごちる。その手には四季の寝顔を取り込んだデータの立方体。軽く放り上げると、それは解けて虚空へ消えた。バックアップは完了だ。

 チクタクが展開する異界は、人間界のネットワークと密接な関係がある。彼女はこれを介して移動し、接続可能な機械をハックできるのだ。

 人間たちしきやれんの持つ携帯や、未確認の異界に存在する謎のアクセスポイントにも。


 日条 四季は興味を示さなかったし、アドレスの確保にも消極的だった。つまり、確保の必要はまったくない。

 しかし確認は必要だ。悪意はそこかしこに潜んでいるし、いつどこから牙を剥いてくるとも限らない。

 万が一にでも、日条 四季にその悪意が向けられるようなことはあってはならない。


 チクタクは電脳の異界を飛翔する。一〇五号室から繋がる異界の層をあっさりと突破し、アクセスポイントに接近する。

 物理世界の障壁など、チクタクの異界にはなんの影響ももたらさない。最短距離で接近し……急静止する。


「これは」


 チクタクは手を差し伸べる。その指先に引っかかったのは極細の蜘蛛の糸。

 焦点を合わせるとすぐにわかる。目的地までの空間を、この糸で形成された無数の網が阻んでいることが。

 舌打ちが漏れた。思考を切り替えざるを得ない。この異界に干渉しうるのは自分と同系統の……ネットワーク憑依に適性の強い怪異が存在しているということだ。


 先ほどの接触の影響か。極細の糸が音もなく、四方から射出される。

 微かな霊気でそれを察知したチクタクは頭部に接続された端末を一斉動作。光を放ち、焼き尽くす。


 なおも雪崩うつように迫る糸を潜り抜け、チクタクは霊気レーザーを前方に照射。網を切り開き、敵地の心臓部へと侵入しようとした。


『おや』


 ……網の奥から覗く目が、彼女の動きを止めた。

 そこに影がいた。人の姿こそ取っているものの、その輪郭はぼやけ、コロナのごとく瘴気を放っている。

 瘴気に覆い隠され、その者の姿が認識できない。


 その背後に浮かぶモニターへ、影は言った。


『元気のいいのが来たもんだ。おい、巡よ。こいつもアレかい。例の、人の子に憑いてる怪異の一人かい』

『……いえ。あたしの記憶にはございませんな。そちら側で侵入を許すとは……申し訳ございません、先代様。あたしの迂闊で』

『ははは! 構わねえ、構わねえ。少しくらい抜けたとこがあったほうが魅力的ってもんだぜ? ……しかし、まあ、なんだ』


 モニターを介し、別の異界に潜む何者かと朗らかな会話を繰り広げていた影が、不意に揺らぐ。

 チクタクは警戒する。間近にいるというのに、解析ができない。敵の力がわからない。正体を見抜くことができない……!


『今の世の怪異ってのは、ずいぶんかぶいたなりしてんだな。嫌いじゃあねえ。若者のセンスってやつかね』

「……そりゃどうも」

『は、は、は! そう構えるこたあねえ! 今の俺はな、なにもできんよ。所詮は死に損ないの老いぼれだ』


 その情報は完全な真実ではない。チクタクは即座にそう判断を下す。

 少なくとも、自分の手出しを許さぬ謎めいた威圧感から察せられる。尋常の存在ではない。

 影は小さく首を傾げた。


『ま、お前さんもただの怪異ではなかろう。俺のところに直接これたやつは初めて……だな。たしか。世間話でもしたいところだが、防御網をめちゃくちゃにした責任くらいはとってもらわんと』

「へぇ? あんた、なにもできないとか言ってなかった?」

『俺は、な。いろいろとできるやつが、ほれ、お前さんの上にいる。詫びの変わりだ、ちと腕前を見せてくれや』


 顔を上げるより早く、チクタクは真横に飛ぶ。その後を黒い何かが通過した。

 思考モードを切り替え、演算を開始する。巡という名は聞いている。四季のところに転がり込んできた怪異らしいが……この連中のことはデータにない。

 目的を再設定。彼奴らの情報を少しでも多く持ち帰る。危険な存在であるならば……タラチネに物理戦闘用義体の申請を行わねばなるまい。

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