第6怪:携帯の話

昼ごはん後、一〇五号室

 草江くさえ れんは一体の怪異と相対していた。

 視線を逸らすことなく、相手の動きを伺う。少しでも隙を見せたら飛びかかれるように。

 怪異はこちらを凝視したまま硬直している。同じ目論見か。ならば根気比べだ。


 結果として、周囲の空気がこごるほどの緊迫感が室内を覆い……


「ねえ、怜」


 澄んだ困り声が無造作に場を動かした。

 さすがに無視できず、怜は振り向く。困惑顔をした少女の橙色の瞳と目が合った。


「どうしたの、四季しき

「いや、どうしたっていうのはこっちが聞きたいんだけど。亡子もうこ姉ちゃんが怖がってるからやめてあげて」


 幼馴染の思いがけぬ言葉に、怜はきょとんとしてしまった。


 ここは喜会荘一〇五号室。高校の入学式前の貴重な時間を、怜は今日も奇妙な部屋の主人と一緒に過ごすことに割いている。

 理由はいろいろとある。あまり出歩かないので心配だとか、久しぶりに会ったのだから少しばかり親交を取り戻そうだとか。だが、一番大きい理由は彼女かれの周囲を取り巻く環境のためだ。


 日条にちじょう四季は異常である。本人に面と向かって言ってしまうと嫌な顔をされるだろうが、こう断定せざるを得ない。

 そもそも再会したときの変貌ぶりからして信じ難い。小学校のときは単なる引っ込み思案だった男の子も、今はなぜか異国風の美少女だ。

 足元までありそうな、青みがかった銀の髪。褐色の肌。そして夕焼け色の瞳。

 外国生まれ……というより、異世界からの来訪者と称しても信じ込んでしまいそうなほどに現実感のない美貌。はっきり言って再会したときは化かされているのかと思ったほどだ。


 が、それ以上におかしいのはその周囲。

 どういうわけか彼女かれは怪異に好かれる。それが高じて今は百鬼夜行の長にまで押し上げられてしまった。意味がわからない。

 この部屋だってもはや怪異の巣窟と化している。今はどうやら部屋の中に作られた異界に大部分が移動してしまっているらしく、数名ほどしか姿がないが。


 ともあれ。

 退魔師の端くれである怜としては、この……少女? 少年? とにかく幼馴染から目を離すことができないのだった。


 閑話休題。


 とにかく彼女かれの部屋を訪れた怜がまず目にしたのは見慣れぬ怪異だった。

 四季の話によると、彼女かれに憑いてきた座敷童の『妹』なのだという。


 見た目は驚くほどに似ていない。姉のほうは人々が座敷童と言われて思い浮かべるような外見……即ち、着物姿の童女なのだが、こちらにその面影はまるでない。

 外見だけで判断するのであれば、こちらの方が年上に見える。ひどく長い手脚と痩せた体躯には紋様のごとき赤い筋が入り、乱れ髪の奥から覗く瞳はぎょろりとしている。

 そうした外見にも関わらず、赤子のように這いつくばっている。異様だった。


 とはいえ、だ。


「なんで? ただ見てただけじゃない」


 攻撃の意思がある、と判断されるのは誠に遺憾である。

 外見はともかくとして、四季の周囲に集まる怪異はおおよそが話の通じるものばかり。怜とてそれは充分に承知しているのだから。


 私的な理由としては、亡子と呼ばれた怪異になんとも言えぬ愛嬌があったので少しばかりお近づきになりたかっただけだ。

 そう、彼女はどことなくカエルに似ている。そして怜はカエルが大好きだった。


 黙り込んでしまった四季に首を傾げつつ、怜は再び怪異に視線を注ごうとした。

 その頭上を影が飛び越えていく。


「あっ!」


 思わず声を上げ、反射的に視線で追う。

 影の正体は言わずもがな、亡子だ。一瞬の隙をついた彼女は跳躍し、四季の背に逃げ込んでいた。

 そして小柄な彼女かれの背に、必死にその長身を隠そうとしている。その様が思いがけずに愛らしく、口の端に笑みが漏れてしまった。


 ……怜の意識からは、自身の笑みを見てたじろぐ四季が見事にフィルタリングされている。


「ふふ。かわいいね。大丈夫。怖くないよ」

「怜、頼むから落ち着いて。そのままにじり寄ってくるのやめて本当に怖いから」

「……四季は変なこと言うね」

「今日の怜が変なんだよ!」


 なぜか亡子もろともに後ずさる四季に、怜は再度首を傾げる。

 その背後に、不意に気配が生じた。


「あまりうちの妹をいじめないでくれる?」


 かけられた聞き覚えのある声に、怜は憮然として振り向く。

 案の定そこにいたのは振袖姿の童女。名を御影みかげという。

 気配もなにもなかったため、無から生じたような錯覚さえ覚えてしまう。だが怜に驚きはほとんどない。怪異とはそうしたものだ。


「いじめるだなんて人聞きの悪い。私は単に、あの子を……ええと、手始めに抱きしめたりとかしたいだけで」

「……遠目から見てると獲物を見るような眼だったのだけど」


 半眼で突き返された言葉に目を白黒させる。なぜだ。

 少しの間だけ沈思黙考し、怜はぽんと手を打った。


「きっと御前さまのせい。ほら、あの子カエルに似てるから。そういう空気を醸し出しちゃったんだと思う」

 <妾のせいにするでないよ!>


 姿を見せぬお憑きの蛇神から叱責にも似た念話が飛んでくる。なぜだ。

 自分が悪者のような扱いにされかかっていることにふと気づいた怜は、小さく咳払いし、空気を変えるための話題を脳内からサーチする。あの可愛らしい怪異のことは惜しいものの、いったん傍に置いておくことにした。


 幸いなことに、話題はすぐに見つかった。


「ところで四季、携帯持ってるよね?」

「い、いきなりなに? そりゃまあ……持ってはいる……けど」

「だよね。アドレス交換しておかない?」


 なぜか視線を泳がせる幼馴染に、簡潔に提案する。

 考えてみれば、だ。今まで連絡先の把握もしていない。部屋が隣同士という環境に甘えてしまったとも言える。

 喜会荘ならばともかく、これから先……具体的には学校などでは常に一緒にいられるとも限らない。クラス分けの時点でばらばらになってしまう可能性が高いのだ。そうしたときに四季の居場所が把握できないのは痛い。


 なにしろ信頼できる情報筋きんじょのかみさまが言うことには、これから入学することになる高校もまた異常事態となっているらしいのだから。

 もちろん怪異的な意味で、である。そんなところにこの幼馴染を放り込んだらいかなるトラブルが巻き起こることか。騒動に巻き込まれることはほとんど確実だが、その規模を推し量るのは難しい。

 なんにせよ、学校でもあまり目を離したくはないのだ。


 しかし意外なことに、四季はあまり乗り気ではないようだった。


「ええと……俺、あんまり携帯とか使ってなくて……」

「持ってるんでしょ?」

「まあ、ね。けどいつも電源は落としてるから、なんというか」

「いざというときの連絡先が知りたいだけなんだけど」

「わかってる。わかってるよ? けど、なんというか……」


 異様なほどに歯切れが悪い。

 眉をひそめた怜は、いつの間にか隣に来ていた御影へと視線を送る。四季との付き合いも長いらしい彼女であれば、なにか事情を知っていると踏んだからだ。

 案の定、彼女は小さく肩をすくめて見せた。


「気を悪くしないでほしいのだけれども。別に四季はあなたが嫌いで渋ってるわけじゃないのよ」

「他に理由があるんだね」

「そうね。単純に言って喧しいから、あいつ」


 眉根を寄せて彼女はそう言った。

 。怜は朧げながら事情を理解する。どうやらこの幼馴染、どこまでも怪異に好かれているらしい。

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