昼過ぎ、神社への道のり

 星見ほしみの予報は的中した。喜会荘から出てほどもなく、雨が降り出したのだ。


「傘、持ってきてよかったでしょ」

「そうだね」


 隣を歩くれんがそっけない様子で頷く。出かけに四季しきが声をかけたお陰で、こうしてのんびり他愛もない会話ができるというわけだ。

 小夜子さよこは大丈夫だろうか。ふと気になった四季は背後を見やる。が、すぐに杞憂とわかった。


 幽霊は傘の外、四季から見ると数歩ほど後ろの位置に浮いている。

 彼女は興味深そうに空を見上げていた。雨粒がその顔へ吸い込まれ、通過し、地面にぶつかって飛沫となる。

 雨は彼女を濡らすことなく、ただ通り過ぎていく。どこか幻想的な風景だった。


「四季、前見て歩いて」

「あ、ごめん!」


 咎めるような怜の声に、慌てて四季は進行方向へと視線を戻す。

 目に飛び込んでくるのは左右に広がる住宅街と、自分たちが進む道路のみ。人影や車はない。おかげで道を贅沢に使える、と考えれば少しお得な気分になる。


「神社って、あとどれくらい?」

「五分くらいかな。大して遠くないよ」

「そっか。あ、そういえばさ」


 四季はふと思い出していた。部屋を出る前の巡の顔を。

 普段は澄まし顔の彼女が、あそこまで嫌がる神様とは何者なのだろう。


「その神社ってどんな神様が祀られてるの?」

天照大神あまてらすおおみかみだね。あと倉稲魂命うかのみたまのみこと……ええと、すごく乱暴に言っちゃうとお稲荷さまね。この二柱かな」


 さらりと言われる。

 四季は思わずまじまじと幼馴染の顔を見上げていた。彼女かれでも聞いたことがあるくらいに有名な存在。


「いるの? その神社に? 二人とも?」

「うん。あれくらい有名な神様だとわりとどこにでも祀られてるよ。……地元うちだと私のとこの神社しかなかったけどね」

『妾が治めておった地であるからな』


 不意に嗄れた声が割って入る。

 いつのまにか怜の首元に出現した白蛇……否、蛇神のものだった。名を朽縄くちなわ御前という。

 目を瞬かせた四季は、首を傾げる。


「朽縄さんは怜に憑いてきてるんだよね? 今、地元って大丈夫なの?」

『うん? ……そうか。小僧、おぬしは分霊を知らぬのか』


 朽縄御前が首をもたげ、意外そうな面持ちで四季を見下ろす。

 そんなことを言われても、と四季は困ったように怜に視線で助けを求めた。


「大雑把に説明すると、ある程度力のある怪異は、霊気を補給できる場所さえあれば分身を作れるの。それで分身もまた、本体と同じ力を持ってる」

『妾も無論、その力ある怪異というわけじゃ。今は神社で草江の一族とともに土地を治める妾と、こうして怜のお守りをしておる妾がおる』

「へぇー……」


 思わず感心してしまった。怪異がそこまで軽率に増えるというのは知らなかった。

 少し考えてから、四季は思わず声を上げる。


「あ! もしかして今から行く神社の天照とかも?」

「そ。総本宮から分霊を写して実際に管理してる。なかなか勘がいいね、四季」


 怜が微笑する。四季は少しだけ誇らしくなった。

 が、すぐに思い当たる。つまりこれから自分たちは、日本でも特に歴史のある偉い神様に会いに行くことになるのでは。


「……も、もっとちゃんとした服で来たほうがよかったかな?」

「ああ……ま、平気だと思うよ。私も何度かあったことがあるけど、地方にいる分霊のほうはそこまで威圧的じゃないから」

『本殿の前で粗相をするようなことでもなければ問題なかろうて』


 気楽な様子でそう言われるも、意識してしまうとそれすらも効果がない。急に緊張が高まってくる。

 ちらりと後方を見る。珍しく静かにしていると思ったら、小夜子は雨のほうが気に入っているようだった。くるくると楽しげに回っている。それでも四季との距離はキープしているのだから器用なものだ。

 突然の不安に、四季は思わず溜息をついた。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 主人がいなくなった一〇五号室。しかし、他の部屋とは違いここは少し騒がしい。なにしろ同居人がまだ残っているのだから。

 たとえばちゃぶ台を挟んで向かい合っている鬼女と銀色の怪異……めぐり居待月いまちづきのように。


「若旦那とあの退魔師の嬢ちゃん以外に人間がいた、と? この長屋に?」

「はぁ。その……お気づきでしたか? めぐりさま」

「いや。お前が見てるんだから間違いはなかろうが……にわかに信じがたいね。この上だろう? その人間とやらの部屋」

「ええ」

「物音どころか、気配も感じなかったがねぇ……」


 巡は訝しげな様子で首を傾げる。

 ほとんど滑り込むような形でこの喜会荘に侵入してきた彼女とはいえ、最低限の索敵は済ませている。万が一、計画の邪魔になる退魔師がいたらことだ。

 もちろんのこと、退魔師はおろか人の気配もないため、計画はそのまま進められたわけだが……


 巡は頭上を振り仰ぐ。そして、そこに吊り下げられている星見に声をかけた。

 御影の『折檻』は済んでいるものの、本人たっての希望でこのようなことになっている。ちなみに、首に巻きついているのは巡の式神が出した糸だ。


「そこのくびれ鬼。あんたはどうだい」

『どうって』『ええ?』『人間?』『二〇五に?』『嘘だぁ』『いるはずないよ』

「いたろうがよ、実際……それにお前、階段に住み憑いてたんだから見てたんじゃねえのか?」

『知らなーい』『別にあたし』『階段でずっと見張ってるわけでもなし』


 唸るような居待月の言葉にも、星見は口々にそう答えた。

 巡は考える。普通の怪異どもならいざ知らず、居待月のような『御庭番』や自分が人間の存在を見落とすとは。

 

(ただの人間ではない、と考えるのが自然か?)


 必ずしも敵というわけでも、脅威というわけでもない。しかし、不確定要素にはちがいない。

 鬼女の心中に疑念が湧き、警戒心が強まる。念のため『御庭番』を一人憑けて改めさせるか。


 と。


「ちょっと、そこの居候ども」


 にゅっ、と。ちゃぶ台の下から童女の顔が覗いた。

 ひとまずこの部屋において一番地位が高い(と思われる)怪異、御影みかげだ。


「暇なら少し寺のほうに来なさい。妹たちの遊び相手が欲しいの」

「なんでオレがガキの世話を……」

『てか』『妹たち?』『あんた』『どっから連れてきたんです?』

「箱の中にいるのよ、いつも。ほら、とっとと降りて」


 有無を言わせぬ調子である。

 訴えるようにこちらを見る居待月に肩をすくめてから、巡はちゃぶ台下の異界入り口に滑り込んだ。

 別に付き合う理由もないが、付き合わずに険悪な雰囲気を作る意味もない。まあ、多少は従ってやるとしよう。

 


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 いくら心配が湧いたところで、神社への道のりは平坦で短い。つまるところ、到着してしまった。

 四季は呆然と古びた鳥居を見上げ、その奥の本殿を見やる。よく言えば質素、悪く言えば寂れている。地元の草江神社のほうがまだ大きいという印象さえ受けてしまう。

 本当にいるのだろうか。神様は。


「ええと……とりあえず、そのまま入ればいいんだよね?」

「あっ、ちょっと待って。準備が」


 鳥居に足を踏み入れた途端、怜の声がぷつりと途切れた。

 慌てて振り向く。鳥居の向こうに彼女の姿がない。ただ通り過ぎてきた街並みが霞みながら広がるのみ。


 いや、異常はそれだけではない。


『あれ? 雨、止んじゃったんですか?』


 きょとんとした小夜子の声に、四季はようやく天候の変化に気づく。

 空を見上げると、あの灰色の雲はどこにもない。抜けるような青い空がどこまでも広がっている。

 これはまさか、異界に。


『もし』


 不意に声をかけられた四季は振り向き、絶句する。小夜子が息を呑む音がやけに大きく聞こえた。

 いつの間に接近されていたのか。すぐ目と鼻の先に、いかつい顔をした狛犬の姿。

 単なる狛犬ではない。体高だけでも四季を上回る巨大さで……確実に生きている。


 じいっ、と四季を睨みながら、狛犬は低い声で尋ねた。


『天照様の神域に、いかなる御用かな?』


 凍りついた四季は、とっさに答えることができなかった。

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