昼時、階段前

 解けた糸の中からまず見えたのは、いくつもの目。間近にいた四季へと睨むような一瞥が向けられる。

 気楽な様子でそれを見返す。音成おとなりとは違い、邪視の類はない。まずは一安心だ。


 怪異の全身を眺める。大まかには人型。白いレインコートから覗くのは女性的な身体つき。

 違うのはただ一点。身体中に目玉や亀裂がついていることくらいか。


 ゆっくりと起き上がる怪異、カイダンさん。れん居待月いまちづきの二人がわずかに身構える。

 が、四季はのほほんとした様子で目だらけの怪異を見上げた。


「えっと、はじめまして。きみ、名前は?」


 ……すぐさま怪異の体中の目が『何言ってんだコイツ』とでも言いたげに歪められた。

 苦笑する四季の背後で、こそこそと話す声。


『あー、あの怪異ひとでもダメでしたか。四季さん全然怖がらないですよね……』

「昔から見てたけど、四季ちゃんが怪異相手に怖がったところほとんどないからねえ」

『怖がったことはあるんです?』

「悲鳴あげられてたやつなら知ってる。なんであんな怪異を怖がってたんだかわからないけどね」

「そこ二人、うるさい」


 小夜子と音成のひそひそ話を牽制してから、改めて怪異に意識を向ける。

 対面したら危険、という伝聞だったものの、今はその危険性はなさそうだ。彼女を捉えていた居待月の網にまだ仕掛けがあったのか、それとも小槌の力なのか。原因まではわからないが。


 怪異の体のそこかしこに入った亀裂が広がり、ほとんど同時に空気を吹き出す。

 それが口であることに四季が気づいたのは、一拍遅れてのことだ。


『なんか』『変なのに捕まっちゃったな……』『ええと』『あたしは星見ほしみといいます』

「星見、さんね。よろしく」

『よろしくするんです?』『あたしみたいのと?』


 口々に言葉を吐き出す怪異。

 いつのまにか横にまで来ていた怜が、咳払いとともに囁き声で尋ねてくる。


「ねえ四季。今ので本当に……その、無力化したの?」

「たぶん」

「たぶんって……」

『なんでこんなぼんやりした連中にしてやられたんだ……』『別に心配しなくても』『今のあたしはなんもできないよ』


 呆れたような言葉。怜は反射的に身構えるも、四季は気楽なものだった。内容に嘘はない。わかる。

 怪異は身じろぎすると、怜のほうに視線を向ける。


『そっち』『退魔師だよな』『まさかと思うけど』『今のあたしをどうこうしないよな?』

「ん、させない」


 四季ははっきりと断言した。

 怜の視線が突き刺さる。致し方ない。星見はすでに住人に被害を出している危険な怪異だ。退魔師としては除霊するのが妥当だろう。

 しかし、今は支配下にある。無力化した相手をどうこうするようなところは見たくない。


 星見はまじまじと四季を凝視し、また体中の口から溜息をついた。


『変なやつ』『助かるならまあ』『なんでもいいけど』

「……ま、小槌のことが本当ならその怪異も四季の式神みたいなものだし。こっちが手を出すわけにもいかないね」

『怜さん駄洒落みたいなこと言いますねゲッフ!?』


 後方で小夜子の悲鳴が響く。

 怜が振り抜いた袖先から飛び出した反物が、拳の形に絡まり腹部に直撃したのだ。

 へろへろと地に堕ちる幽霊を一瞥し、彼女は宣言する。


「ただし。人に危害を加えるようなら除霊する。いいね? 四季」

「わかってる。けど、今はやめてあげてね」

『……やっぱ変なやつ』『まあ』『あんたに従わないとダメみたいだし』『大人しく言うことは聞くけどさ』


 怪訝な眼差しと言葉を撒き散らしつつも、星見が抵抗の素振りを見せることはなかった。

 と。


「ときにお前、なにができる? 出会い頭になにか仕掛ける類の怪異だと聞いてるが」


 口を挟んだのは居待月。

 腕の一つを口元に。別の腕を耳元に。独特なポーズとともに階段の怪異を見やる。

 星見は肩を竦めてみせた。


『別にそんな大したことは』『ちょっと一緒に遊んでもらうだけで』

「遊ぶ?」

『晴れてる時は外』『飛び降り』『スリルがあって楽しい』

「……晴れてないときは?」

『あー』『あたし』『曇りとか雨とか嫌いで』『そういうときはてるてる坊主作りですね』

「具体的には」

『縄と人間がいれば』『すぐできますよ』


 あっけらかんと怪異は言う。

 心なし苦い顔をして、居待月が視線を向けてくる。四季はその意味をなんとなく理解した。


 すなわち。野放しにしておくと危険なのでしっかり手綱を取れ。

 自分のせいとはいえ、厄介ごとがまた増えたようだった。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


「……その小槌の力はよくわかったよ。なんであの鬼女が四季に手渡したのかわからないくらいの代物だってことも」


 音成と一緒に星見を化物寺に送り出し、二〇一号室を出た直後。怜がぼそりと呟いた。

 居待月の姿はすでにない。またどこかに潜んでいるのだろう。結局のところ、四季と怜、そして小夜子の三人に戻ったわけだ。


 四季の視線を受けた彼女は、まっすぐに彼女かれを見つめ返す。


「今日は助かったよ。ありがとう。……でもね、四季。もしまた怪異に遭遇したら、そのときはまず私に相談して。間違っても自分一人でどうにかしようなんて思わないで。わかった?」

「……そうすると、四六時中頼りきりになっちゃいそうなんだけど……」

「いいから」


 真剣な表情と真剣な顔。それぞれに圧され、四季は思わず頷いていた。

 ふと気づくと、怜の背後に移動していたらしい小夜子がにやにやとした笑みを浮かべている。今のやりとりになにかおかしいところがあっただろうか。よくわからない。


 なんとも言い難い空気が流れ始めた、そのときだ。


「あれー? 草江くさえさん? なにしてんのそんなとこで」

「ひゃっ!?」


 突然声をかけられ、四季は跳ね上がりそうなほど驚いた。

 向き直ると、きょとんとした眼差しとかち合う。


「あれ、そっちの子は? ……あー、最近引っ越してきたっていう日条にちじょうさんか! はじめまして。二〇五号室の鳴谷なるやです」


 気さくそうな態度と声で、階段を登ってきたその人間は挨拶した。

 人間とだけ表現するのも失礼な話ではある。が、四季には相手の性別を一目で見分けることができなかった。


 よく日に焼けた肌とラフな短髪。顔立ちは中性的。ティーシャツにズボンという気の抜けた格好であっても、どちらかわからない奇妙な雰囲気があった。

 戸惑う四季に代わり、怜が挨拶を返す。


「どうも。すみません、今日どうしても鳴谷さんに挨拶したいというので、お伺いしてたところだったんです」

「そうだったんだ? ごめんねぇ、ちょうど買い物してたとこだったからさ! 運が良かったね」


 鳴谷はからからと笑う。

 四季はふと、自分が怜の後ろに隠れてしまっていることに気づいて困惑した。あまりにも失礼なことだ。

 強いて怜の横まで戻ってから、おずおずと口を開く。


「あ、あの、その。よろしく、お願いします」

「こちらこそ! なんか困ったことがあったら相談してくれていいよ。なんせ最古参だからね、私」


 軽く手を振られ、冗談混じりの言葉が飛んでくる。

 四季は微笑もうとした。顔が強張り、うまくできない。

 自分はここまで人見知りだっただろうか?思わず訝しんでしまう。


「あの、鳴谷さんは引っ越さなかったんですか」


 思わず口を突いて出た質問に、しまったと思う。いくらなんでも不躾すぎる。

 が、相手は特に気にした風もない。


「別に引っ越す理由ないしなあ。みんながなんか幽霊がどうのこうの騒いでたのは聞いてたけど、私はほら、そういうのとは無縁だし」

「そう、なんですか」

「現にこれまで喜会荘で変な目にも合ってないしね。あ、もしかして日条さんそういうの気にするタイプ? 平気平気! だいたいは気のせいだから!」


 曖昧に頷きつつ、四季はこっそりと隣の幼馴染を見やる。彼女は渋い顔をしていた。


「じゃ、悪いけど私お昼ご飯作んなきゃだから。またねー」

「あっ、はい! すみません!」

「謝んなくていいってば。今後ともよろしくね」


 明るい言葉と笑顔を残し、鳴谷は足早に自分の部屋へと向かっていく。

 怜が呆れたように呟いた。


「……小夜子さんの気配も感じてなかったみたいだし。単に霊感がないだけだと思うよ、あの人」

「うん……」


 生返事をしつつ、四季は鳴谷の背を見送っていた。

 なぜだろう。違和感がある。なにもおかしくないのに、なにかがおかしく感じる。


 不意に気づく。既視感があった。

 初めて会うはずなのに、そんなはずはないと記憶が訴えている。

 部屋に消えていく鳴谷を見つめながら、四季は奇妙な胸騒ぎを抑えきれなかった。

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