日中、喜会荘二階

 思い立ったらすぐ行動。四季しきは早速、隣室のれんを訪ねて事情を説明していた。

 そして今、彼女と一緒に二階へ続く階段の前に立っている。


「今はそういう気配はないね。まあ、四六時中出てたらもっと噂になってただろうけど」


 用心深く階段の下段から最上段まで見回していた怜がぽつりと呟いた。言葉には出さないものの、四季も同意見だ。少なくとも、今の段階では怪異が出現するような兆しもなければ、異界の口が開いている様子もない。

 二人はどちらともなく顔を見合わせ、階段を登り始める。怜が前、四季が後ろ。彼女かれは登る前に天井を見やり、次に今日も今日とて憑いてきている幽霊へと視線を向けた。


小夜子さよこさん、後ろをしっかり見張っておいてね」

『任せてください! ……あれ、でもそのカイダンさんって直接見ちゃうとまずいやつでは』

「登りかけなら平気なんじゃない」


 会話を聞きとがめたのか、振り向くことなく怜が言った。


「おそらく、歌いながら階段を登るのは儀式みたいなものだろうし。逆に一番隙を見せてしまう瞬間だから、私たちが登っている後ろから出てくるってのはまずないでしょ」

『…………ええと、すみません。よくわからないです』

「RPGで魔法使いとかが呪文を……ダメか。ゲームやったことなさそうだし。ざっくり言っちゃうと、階段を登るってのはそのカイダンさんとかいう怪異にとって『力を溜めている』瞬間に相当するから、その最中に目撃しても大した被害は受けないし、むしろ相手にとっては隙だらけの状態。これでいい?」

『な、なんとなく』


 曖昧な様子で返事をする小夜子。

 一方の四季は単純に感心していた。なるほど、知り合いの怪異にもやたらと前準備なり雰囲気作りなりにこだわる者がいたが、そういう理由があったとは。

 怪談によって生まれるシチュエーションというものも、怪異にとっては別の意味があるのかもしれない。


 そうこうしているうちに、四季たちは二階に到着した。拍子抜けするほどになにもなかった。

 が、二階にはそれ以上になにもない。閑散としている、という言葉がぴったりきた。人の気配はもちろん、怪異の気配すらない。


「うまく隠れてるものだと思ったけど、まさか怪異すら逃げてるとはね……」

「どうする? その、俺としては鳴谷なるやさんのとこにまず行ったほうがいいんじゃないかなって」

「あの人? どうだろ。この時間、いつも留守にしてるっぽいし」

「そうじゃなくて、ええと……怪異の被害に遭ってるかもしれないじゃない」

「……四季の話だと、昨日出てきた怪異は部屋の前に来ただけで留まったんだよね? ならまだ平気でしょう」

「で、でも! それ以前になにかされてるかもしれないじゃない!」


 気色ばむ四季に、怜はただ怪訝そうな顔を向けた。


「……なにをそこまで心配しているのかわからないけど。あの人、無事だよ。昨日、買い物先でばったり会ったもの」

「えっ?」

「立ち話もしたけど、特に異常があるようにも見えなかったし。あ、四季のこともちょっと話題に出しちゃった。ごめんね勝手に」

「いや、それはいいんだけど……」


 最後のほうはぼそぼそと呟くことしかできなかった。頬が熱くなるのを感じ、四季は俯く。いらぬ心配だったのだろうか。

 安心した一方、疑念が湧いてくる。なぜ鳴谷だけ無事なのか?


『そもそも怜さん、カイダンさんのことは知らなかったんですか? 調べてたとか言ってたじゃないですか』

「ちゃんと階段見張ってな、幽霊。……もちろん調べたよ。けど普段から階段はこの調子だし、私が来てからはそいつ一度も出てきてない。四季が教えてくれて初めてそんなのがいるってわかったくらいだから」


 幽霊と退魔師の会話を聞いて、さらにわからなくなってくる。

 実はオカルト方面に知識があって、魔除けでもつけていたのだろうか。それならそれで説明がついてしまう。が、やはり違和感は拭えない。

 怜はといえば、それで話題は終わりと判断したらしい。すたすたと二〇一号室の前へと歩いていく。


「せっかく来たんだし、部屋の中の検分もしておこうか。ほら、四季」

「う、うん。今行く」


 釈然としない思いを抱えつつ、四季もまた素直に彼女の後を追った。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 


「うん。異常なし」

「怪異もいなさそうだね。初めて自分の部屋を下見に行ったときと同じ感覚だよ」

『なんだか拍子抜けですねー』


 思い思いの言葉ががらんどうの部屋に拡散していく。

 陽の光に照らし出された室内は、大家さんが掃除しているのか埃ひとつ見受けられない。その清潔さがかえってこの部屋の何もなさを際立たせているようにも感じられる。


 洗面所、居間、寝室。どこをとっても問題がない。

 それでもなお警戒を解いていないのか、怜の眉間には小さなしわが刻まれている。


「あの蝿女も嘘は言ってない、ってことか。この分だと二〇二も二〇三も同じかな……」

「でも、カイダンさんをどうにかしないのは変わらないよね?」

「うん。いくら人が入れても、すぐ出てっちゃうのは変わらないだろうし。除霊が必要、なんだけど」

『向こうから出てこないとどうにもならないですよねー』


 広い居間の中央で、三人はほとんど同時に考え込む。

 階段に潜む怪異がいるとわかっても、その怪異の住処にこちらから踏み込めない以上、どうしても後手に回らざるを得ない。

 二階の空き部屋で一夜を過ごせば出てくるのではないか。四季がそう提案しようとした、そのとき。


『一段登った、嬉しいな』


 歌が聞こえた。

 さすがにぎょっとして玄関の扉を見つめる。当然のごとく、歌はその向こう側……階段のほうから聞こえてきた。


『二段登った、楽しいな』

「……歌ってこれか。噂をすればって速度じゃないね、これ」

「ど、どうしよう? あれ、登りきったらすぐこの部屋に入ってくるんじゃ……」

『三段、四段、嬉しいな』

『今、段数すっ飛ばしませんでした!?』


 小夜子が悲鳴混じりの声を上げる。

 幽霊の指摘通り、歌のテンポはかなり速い。拍子的にも、内容的にも。


『五段、六段、七段、八段』

『もっと楽しんで登ってきてください! 情緒もなにもないじゃないですか!?』

「今そこにツッコミいれてもどうしようもないでしょ……」

「……そっか。部屋に人間なり怪異なりが入ると反応して出現するんだ。まずいな」

『九段、十段、十一、十二、十三!』


 怜の呟きには焦りが滲んでいる。

 無理もない。階段を登りきった怪異は霊気が高まりきった状態。その状態の怪異と対面したらどうなるか。


『登りきったよ、さあ遊びましょう!』


 楽しげな声が扉のすぐ向こうから聞こえる。同時に、凄まじい音が響き渡った。扉が叩かれたのだ。尋常でない力で。


『あ、あそこ鍵かけてないですよね……!?』

「かけてたところで意味があったかは疑問だね。……四季、私の後ろに隠れてて。なんとかする」


 怜の言葉に、しかし四季は従わない。

 いくら退魔師とはいえ、普通の人間がなんの対処もなしに立ち会うべき相手ではない。直感的にわかる。

 とすれば、どうする。玄関が塞がれている以上、逃げ場は二階のベランダしかない。飛び降りる? できなくはない。しかし、相手が突入してくるのとどちらが速いか。


「四季!」


 苛立った声。四季の耳には入らない。考え続けた彼女かれは決断した。

 怜の袖を引く。


「怜、こっち」

「こっちって……どうする気? 怪異はすぐそこに」

「相手の不意をつく。いいから来て」


 目をまっすぐ見つめ、四季は言う。その手にはいつしか小槌が握られていた。

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