第4怪:階段の話

夜、喜会荘

 その夜も日条にちじょう 四季しきは布団で横になっていた。

 今日もまた怪異尽くしの一日だった。地元にいたときと変わらない気がする。どころか、こっちでは百鬼夜行の頭領なるよくわからないポジションを引き受けてしまった分、悪化しているととれなくもない。


 いや、考えるのはやめよう。そういう小難しいことは朝起きてからだ。思考を手放し、フラットにする。

 意識が沈み込む。気持ちのいい浮遊感。今夜はいい夢が見れそうだ……


「……わぷっ!?」


 そう思ったが直後、四季の意識は覚醒させられた。顔になにか細いものが張りついてきたからだ。

 いや、違う。自分がなにかに


「な、なに?」


 思わず目を開けてしまった彼は困惑する。なぜだか天井がすぐ近くにある。手を伸ばせば、という距離ではない。目と鼻の先に、だ。

 身じろぎしようとして、さらに困惑の度合いが深まる。どういうわけかうまく身体を動かせない。

 顔だけでなく、全身になにか細い糸が絡まっているような……


「あー? なんで内側から引っかかるやつが出るんだよ? おかしいだろ」


 そのときだ。聞きなれぬ声がぼやきながら近づいてくる。

 四季はなるべく心を落ち着かせ、ゆっくりと尋ねる。


「ええと、ごめんなさい。俺もなにがなんだか。きみは……?」

「問われて名乗る名前なんて……って、新頭領じゃねえか! なんで引っかかってんだ!?」

「……本当に誰? これで会うの初めてだよね?」


 さすがに訝しむ。自分が百鬼夜行の頭領になったことを知る存在など、ほんの一握りしかいないはずだ。

 声の主はどこか困ったように返してくる。


「あ、あー……ええっと……うー……こ、こんな局面で顔を合わせることになるとは……」

「だから誰ですかって聞いてるんだけど」

「その、オレは居待月いまちづきめぐり様の部下だ。直属の」

「……巡さんの?」

「そう。えっと、動くなよ? 今取ってやるから。壊されると困るんだ、この網。巡様手製なんだからさ」


 嘆願の言葉に従い、四季は脱力して身じろぎをやめる。

 巡に部下がいたとは。たしかに頭領の証というあの小槌もかつては彼女が持っていたもの。言うなれば先代頭領だった存在だ。いてもおかしくはない。

 思考しているうちに、冷たい手が顔を。身体を撫でるようにして張りついた網を取り去っていく。あっという間の出来事だった。


「あー、もういいぞ。動いて」

「うん。ありがとう、助かったよ」


 礼を言いつつ四季は顔を上げる。そこでようやく彼は居待月の姿を見ることができた。

 乱暴に言うなれば、人の形を真似た昆虫と言ったところ。細身の身体を覆うのは鈍く輝く外骨格。袖のない着物から突き出るのは三対の細い腕。

 なんとも言い難い表情でこちらを見返すその目は八つ。二列に並んだビーズ玉のようだ。


「その……えっと、ごめん。いや、申し訳ありません? 頭領たる方にこのような」

「い、いいよそんな硬くならなくて……こっちこそごめんなさい。作業中だったんだよね?」


 仰々しく頭を下げる居待月に、むしろ四季は慌ててしまう。

 天井を下に床を上に、という普段とは逆さまの状況もあまり気にならない。所詮は夢の延長、ならばこういうことだって普通だ。

 銀色の怪異は、腕の一つで後頭部を掻いた。


「まあ、うん。頭領から聞かれたんじゃ答えざるを得ないからな……結界の強化だよ。ほら、この部屋ってあのおっかない座敷童が結界張ってるだろ? でもそれだけじゃ足りないかもしれないし、組としても働きを見せたほうがいいってことで」

「ふぅん。巡さんもいろいろ考えてるんだな……」

「あのお方は真面目なひとだからな! あと、その、頭領。もしなんかあったら取りなしを……もとより、影から助けよとの命だったもんで。こうして顔を合わせちまうのは、その」

「ええと、わかった。俺から言っておく。そんなびくびくしないでもいいよ?」


 もじもじと三対の腕を器用に動かす居待月を見上げ、四季は苦笑した。

 あの鬼女がそのくらいで処罰を迫るようなこともないと思うのだが。上司は怖いということなのだろう。

 銀の怪異はほっと一息つく。そして不意に四季へ屈み込んだ。


「しかし、まあ、なんというか……若旦那、幽体離脱される性質たちか。難儀な」

「あはは……そうだね。うん。いろんなとこに迷惑かけてる」

「あんた自身も苦労してるだろうに。あれだ、身体戻ったらどうだ?」


 言って居待月は頭上を指し示す。

 見上げると、そこには布団があり、そこで眠っている自分の……今の自分とは似ても似つかない少女の寝顔がある。

 銀の髪、褐色の肌。目を開ければ黄昏色。今ではもう慣れてしまったが、それでも外から見ると違和感を覚えてしまう。


「……ん、目が冴えちゃった。しばらくこのままでいるよ」

「左様で。ま、まあ、アレだ。なんだったら話し相手になるぜ? 話せないこともあるけどな!」

「あはは、ありがとう。じゃあその辺は聞かないように気をつける」


 四季は自分の体を見下ろす。中学のときの制服。いたって普通の少年の姿。

 現実のほうでこの姿に戻ることはできるのだろうか。一瞬浮かんだ不安を急いで搔き消す。そういうことは夜中に考えるべきものでもない。

 意識を居待月へと戻そうとしたそのときだ。急に抱き寄せられた。


「なっ、もが」

「悪い若旦那。しばらく動くな。何もしないから」


 口元を押さえられると同時、耳元で囁かれる。

 いったい何事か。念話で尋ねるより早く、


『……一段登った、嬉しいな。二段登った、楽しいな。三段登った……』


 歌、のようなそれが遠くから聞こえてきた。ぺたり、ぺたり、という足音も。

 童謡のように朗らかで、そのくせ背筋に悪寒を走らせるような不気味さがあった。

 途切れがちの歌とは違い、足音は続いている。……近づいてくる。こちらに。


「大丈夫だ」


 居待月が言う。囁き声だが、はっきりとわかる自信の色があった。


「この結界には決して入れない。あの座敷童の分はもちろん、巡様のも上乗せしてるからな。……だからじっとしていろ。こちらに気づかれると後々面倒になる」


 口元を押さえられたまま、四季はかすかに首肯する。

 事実、足音の主はある距離でぴたりと動きを止めたようだった。なぜかわかる。怪異は今、真上の部屋……二〇五号室の玄関の前に立ち尽くしている。


 そのまま、どれくらい時間が経ったか。四季はよく覚えていない。少なくとも日が昇るまではかからなかったはずだ。

 足音の主が踵を返し、ぺたり、ぺたりと戻っていくのが聞こえた。廊下を渡り、階段へ。

 四季は思わず身を硬ばらせる。階段へ向かうということは、ということではないか?


 ぺたり。ぺたり。ぺたり。ぺたり。足音は一段一段、ゆっくりと階段を降りていく。なぜか、それがわかる。

 そして……


「…………あれ?」


 足音の主の気配は、階段を降り切ると同時に消失した。

 塞がれていた口が解放されて、間の抜けた声が漏れる。ふう、と溜息が聞こえた。居待月。


「自分の異界に帰ったか。ありゃ階段をねぐらにしてるんだな……」

「階段そのものを?」

「ああ。ま、若旦那にゃ関係ない。たぶんあいつ、一段目から現れて一段目で消える。つまり、二階に昇んなきゃ無害。二階に用事なんてないだろ? だから……気にすることはないさ」


 宥めるようにそう断言される。心配してくれている、らしい。

 しかし四季の心は晴れない。居待月があれほどまでに警戒するということは、足跡の主はあまり性質のよくない怪異と見ていいだろう。

 そして、一階の部屋に住んでいる以上、二階に登らないことも容易だ。足跡の主と直面しないで過ごすこともできる。


 だが、四季は忘れていない。

 現在、喜会荘の住人は三名だ。自分と、隣室のれん。そして……二〇五号室に残っているという、鳴谷という住人。

 あのまま放置して大丈夫なのだろうか。四季は天井を見下ろし、そこにいるであろう鳴谷のことに思いを巡らせた。

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