帰路、そして

『もう少し意識を保つ努力をしたほうがいいぜ、きみ』


 無機質な、それでいてはっきりと呆れを感じさせる声が脳裏に響く。四季しきは小さく呻き、目を開けた。

 霞む視界に飛び込んできたのは黒一色。その中で、三角形に配置された赤い光点が明滅している。『シェイプシフター』だと、直感的に理解した。


『まあ今回は外的要因が絡んでるから仕方ないんだが……しかしあれだな……やっぱり退魔師を側に置いとくのは……だが必要悪だしな、あの小娘。仕方あるまい』


 うるさい。不服そうな呟きを四季は振り払おうとする。実際は身体がまったく動かないし、声も出せそうにない。


『とはいえ、アパートの怪異たちと目通しができたのはよかったな。けどひとつだけ忠告しとこう。。帰り道には気をつけたまえ』


 赤い光がわずかに強く輝く。四季はおぼろげに直感した。嗤っている。

 目が霞む。うっとうしい。気力を振り絞ってまばたきを繰り返す。そうするだけでも億劫だった。


 そうするうちに、急に視界がひらけた。見覚えのある天井。そして心配そうに覗きこむ幼馴染と幽霊の顔。

 四季は微笑した。


「おはよう、れん

「もう夕方。……ごめん、四季。大丈夫?」

「平気」


 四季はゆっくりと身を起こすと、ぐるりと周囲を見渡した。例のごとく薄暗い室内。殺風景さからしてまだ一〇一号室か。窓から僅かに見える空は朱く染まっている。

 ずいぶん長い間気を失っていたらしい。ぼんやりと視線を彷徨わせていた彼女かれは、ふと居間の入り口で目を止めた。


 そこにいたのは着物姿の薄青い鬼女。めぐり。片手に菓子折りのごとくぶら下げているものを見て、四季は眉をひそめた。


「巡さん。それ、巡さんがやったの?」

「あたしでもなけりゃ、退魔師の小娘でもありませんよ。元からこんなです、こいつは」

『あっはっは。なに、心配してくれたんだ?』


 場違いに明るく笑うのは氏家うじいえ。だが、その様相は多少異なっている。

 赤い複眼はそのままだが、首から下があった。四肢の欠けた肉体。ところどころ肉がこそげ、骨が見えている。

 どうやらこれが彼女の言っていた『体』のほうらしい。文字どおり今は一体化している……が、まとめて糸で縛られている状況だ。


「ひとまず若旦那が夢見ていらっしゃるあいだに話はつきました。あたしは一足先に戻ります。あのチビから許可取るの、時間がかかるんでねぇ」


 言うやいなや、返事を待つことなく巡は背を向けた。怪異をぶら下げたそのままで部屋を後にする。

 四季は思わず怜を見やる。彼女はひどく苦い顔をしていた。なにがあったかはわからないものの、言いくるめられたのであろうことは想像できる。


「……えぇと、お疲れ様」

「ん。ありがとね」


 それでもなんとか労いの言葉をひねり出すと、彼女は疲れたように笑ってくれた。


『あのう……』


 そこに申し訳なさそうな声。振り返ると、いつのまにか小夜子さよこが定位置である背中に戻ってきている。

 彼女はちらちらと退魔師を気にしながらも、囁くように言った。


『その、用が済んだのならもう出ませんか?あんまり長居しても仕方ないと思うんですけど』


 至極もっともな提案だった。四季と怜は顔を見合わせ、どちらともなく立ち上がった。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


「それじゃあね」

「うん、また明日」


 結局のところ、除霊作業は持ち越しとなった。四季が気絶している時間が案外長かったため、夕食にちょうどいい時間となってしまっていたからだ。

 今日の夕飯のおかずを買ってくる、と近場のスーパーへ向かう怜を見送り、四季は自室に戻ることにする。この短い人生で味わってきた経験から言って、夕方に出歩くとロクなことにならない。


『ううー……私、結局なんの役にも立ってない気がします……』

「守護霊なりたてなんだし、仕方ないよ。側にいてくれるだけで助かるし」

『優しさが身に沁みます……人間が、というかあの退魔師も四季さんくらい優しければいいのに』

「優しいと思うんだけどね』

『そりゃ四季さんに対してはそうでしょうけどぉ……』


 他愛もない会話を楽しみながらゆっくりと歩みを進める。

 一〇一号室から一〇二号室の前を通過。もはや怪異の気配はない。除霊としてはうまくいったということだろう。いいことだ。


「……ん」


 何事もなく一〇三号室の前を通過したところで、四季はふと足を止めた。

 一瞬だけ。一瞬だけだが、妙な感覚に襲われたのだ。地面がわずかに動いたような。


『どうかしました?』

「……なんか、ちょっと、変な感じ。小夜子さん、周り見ててもらっていい?」


 小夜子が慌てて周囲を見渡し始めたのを確認してから、四季は用心深く歩みを進める。

 空気が変わったわけではない。つまり、まだ異界に踏み込んではいない。だが、近くで異常が起こっている。異界が近くで口を開いた……?


 部屋と部屋との間隔はそう空いているわけではない。だから、足元を確認しながらの遅々とした足取りでもすぐ次の部屋にたどり着く。

 当然、一〇三の隣室は自分の部屋だ。反射的に立ち止まり、周囲を警戒しつつも手を伸ばそうと……


『四季さん』

「うん?」

『そこ、違います! !』


 四季はぎょっとして顔を上げた。目に飛び込んできたのはドアにかけられたナンバープレート。『104』の表記。

 大家が縁起を担いだために、本来の喜会荘には存在しない部屋だった。


「やばっ……!」


 ドアノブに伸ばしかけていた手を引っ込め、踵を返そうとしたそのときだった。

 薄皮を剥くようにドアの色が変化した。血を思わせる赤色に。


 直後、勢いよく開いたドアから真っ直ぐに伸びてきた腕が四季の首を掴み、そのまま室内へと引きずりこむ。

 薄れる意識の中、四季は背後でひとりでに閉まるドアの音を聞いた。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 四季が覚醒して初めに飛び込んできたのは生臭い臭気だった。呻きが喉の奥から漏れる。

 身じろぎするも、満足に身体を動かすことができないことを自覚する。どうもなにかに括り付けられている状態らしい。


<四季さん、四季さんっ>


 と、脳裏に小夜子の囁き声が響く。

 四季は顔をしかめつつも意識を集中させた。


<おはよう、小夜子さん。無事だった?>

<はいっ!? お、おかげさまで。あの、四季さん念話も嗜まれるんですか?>

<何度も脳内に直接話しかけられたら嫌でも覚えるよ>


 なぜか驚いている幽霊に、四季は苛立ち混じりの返事を投げる。

 念話……文字通り、念じるだけで他者との会話を確立する技術である。怪異でこれができるものは非常に多い。そのため、彼らと触れ合う機会の多い四季が習得できるのも自然と言えた。


 閑話休題。


 念話のおかげで意識がハッキリしてきた四季は、部屋の中を見渡して顔をしかめた。

 部屋の間取りはどうやら喜会荘と同じ。しかし、机やクッションなどの家具の存在が、家主がいることを証明している。

 異様なのは、そのすべてが真っ赤に染められていることだ。家具だけではない。壁紙や床、天井に染まるまで赤一色。目が痛くなる。


 <小夜子さん、大丈夫だった?>

 <は、はい。その……咄嗟に四季さんの中に入らせてもらったので。ごめんなさい、私、結局……>

 <この部屋の主には見つかってないんだね?なら大丈夫。どうとでもできるよ。むしろお手柄だって>


 落ち込んでしまったらしい小夜子に、四季は明るい声を……もとい、明るい調子を意識して言葉を送る。

 別に根拠のない慰めではない。小夜子は幽霊であるわけだから、拘束や壁など気にせずに移動ができるはずだ。つまり、助けを呼ぶ手段がある。

 その思考が小夜子にも伝わったのだろう。すぐに弾んだ念話が返ってきた。


 <そ、そっか! そうですね! 私、すぐに巡さんたちへ>

 <あ、それはダメ。まだ隠れてて>

 <え? な、なんでです……?>

 <なんでって、そりゃあ>


 四季は眼球を動かし、寝室へと続く扉を見やる。

 正確には、わずかに開いた隙間から覗く紅い瞳を。


 <まだからね>


 小夜子から言葉は返ってこなかった。ただ、ゾッとするような悪寒だけが伝わってくる。

 そして相手もこちらの視線に気づいたのだろう。低い軋みをあげながら、ゆっくりと扉が開いていった。

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