第3怪:おとなりさんの話

深夜、寝室

 日条にちじょう 四季しきの夜は早い。引越しで疲れた今日は、普段よりもひときわ早かったといっていいだろう。扉の向こうの居間ではまだ怪異どうきょにんたちの気配がする。彼女らは夜、どうするのだろうか。四季はふと不思議に思う。

 そんな些細な疑問も睡魔の前には勝てない。いつものように、四季の意識は吸い込まれるように眠りへと落ちて……


 ふとした拍子に引き揚げられた。


 思わず唸りが喉の奥から漏れる。滅多に怒らない四季とはいえ、眠りを妨げられるのは我慢ならない。

 目の覚めた原因はすぐにわかった。隣室……つまり怜の部屋からの物音だ。ペタペタとした足音。なにかを動かしているときに生じる乾いた物音。聞き取れない程度の囁き声。

 思わずうんざりしてしまう。このアパート、ここまで壁が薄かったのだろうか。下見に来たときは気づかなかった。


 寝返りを打つ。金縛りにはなっていないらしい。夜中に目が覚めることは数あれど、金縛りには一度もなったことがないのが四季の密かな自慢だった。

 ある夜などは、馬乗りになっていた怪異を跳ね除けてやったことがある……いや、夢だったかもしれない。よく覚えていない。


 うっすらと目を開ける。そのままぼーっと虚空を見つめていた四季は、ふとある一点に視線を止めた。

 そこは怜の部屋がある方向の壁。ポスターもなにもかかっていない殺風景な眺め。しかし、闇に慣れてきてようやく気づく。壁の一点に小さな穴が開いていた。

 あんなところに穴などあっただろうか。思い出せない。不意に四季は気づく。あそこから視線を感じる。


 反射的に寝返りを打ち、視線に背を向ける。勘弁してほしい。夜なんだぞ。しかし、四季の想いを嘲笑うかのように、視線の圧力が強まっていく。

 これではとても寝られない。四季は決心し、身を起こして穴を塞ごうとして……強烈な睡魔のために、気絶するかのように眠りへと落ちた。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


『君子危うきに近寄らず、という言葉は知っているかい? 知っていても知らなくてもいいけれど、きみはそれをしっかり胸に刻んで行動する必要があるよ』


 身を起こすと、教壇に立つスーツ姿の人影があった。その顔は不自然な影に覆われているものの、三角形に配置された三つの赤い光が灯っているのだけは見て取れる。

 寝ぼけ眼で周囲を見やる。かつての中学校の教室。しかし自分以外には人の姿はない。

 自分の胸元に手をやり、気づく。夢の中。


「出てきて急に説教なんていいご身分だね。ええと……シェイプシフター、さん」

『はは! いつの世も助言者は疎ましがられるものだね。まあ、気にしないさ。きみが眠たがってるのはわかるからね。あと名前を覚えてくれていてありがとうな』


 顔のない怪異……『シェイプシフター』は騒々しく笑うと、おもむろに背後の黒板へなにかを書き連ね始めた。四季はその人差し指が白いチョークに変化していることに気づく。器用なやつだ。

 ともあれ、怪異が書きつけたのは『挨拶回り』『参拝』といった文言である。


『さて、高校が始まる前にきみはやれることをやっておいたほうがいい。なにせあの学校は……少々面倒なことになってるからね』

「待って、いきなり不吉なこと言わないでよ」

『そうは言っても事実だからな! ともかく、学生ともなるとごたつくだろう。故に、今のうちに周囲の環境は整えておいたほうがいい。休める場所は確実に作っておくべきだ。きみの寝室みたいにね。わかるかい?』


 四季は無愛想に頷いてみせた。

 聞き流せない情報もあるとはいえ、この怪異は同時に重要なアドバイスをしてくれているらしい。

 気にかかることは、自分が思っている以上にこちらの事情に精通していることだ。寝室には許可がない限り立ち入らないように、と同居人たちに言い聞かせたのは今日の夕方のことである。


 当のシェイプシフターは、四季の疑念になど気づいた様子もなく言葉を垂れ流し続けている。


『この二つのどちらを先にやるかは、まあきみの判断に任せよう。いずれにせよ、このアパートはすっきりさせたほうがいい……自分の蒔いた種は自分でカタをつけなければ、ねえ?』

「……やっぱりここの怪異たちって」

『きみに惹かれてやってきた連中だ。もともとは怪奇現象と縁のないアパートだったんだぜ、ここは……とはいえ、あー、例外はいる。小夜子のやつだけは私が連れてきた』


 あっさりとした告白に、四季は腰を浮かしかけた。

 たしかに疑ってはいたのだが、本当にこいつがやったことだったとは。

 三点の赤光をこちらに向けた『シェイプシフター』が、くすくすとした笑みを漏らす。その笑い声ですら無機質だ。


『うん、きみも疑問に思っていただろう。あのイレギュラー……ああ、つまり、ええと、自称青行灯の彼女。あいつが言っていたことは半分正しい。あの子は作られた幽霊だ。けれど、作ったのは私ではないし、ついでに言うとまだ完成していない』

「完成していない?」

『つまり、術者が丹念に作っているところを隙を見て強奪してきた。まったく、考えなしにえらいもんを作ろうとしたものだよ! ゆくゆくは退魔師の世話になるところだ。退魔師はよくない。これも覚えておくんだよ』


 四季はまじまじとシェイプシフターを凝視する。

 どこまで信用したものかわからないが、真実だとするのならば……


『いらぬ敵を増やした、とでも言いたげだね。まあ安心したまえ! 術者のほうはきみの身をどうこうする権利がないのだから! ……ま、そのへんはおいおいわかる』

「……おいおいって。今説明してくれればいいのに」

『そこは沈黙を保たなければならない。下手に口に出すと……先方に気づかれてしまう。辛抱だよ、辛抱』


 悪戯っぽい囁きが返ってくる。四季は口元を歪め、椅子に座りなおした。

 まったくもって信用できない。そもそも何者なのか、こいつは。

 当の怪異は、ふと思い出したように手を打った。


『ああ、そうそう。あれ……つまり、あの幽霊。彼女はぜひ側においておくといい。というより、憑けておきなさい』

「なんのために」

『理由は二つ。まず、あれ自身のためだ。おそらく彼女も意識していないだろうが、あれは他の怪異よりも吸い上げる霊気の量が多い。つまりなんだな。きみもおにぎりをあげていたが、あれはあれで正しい行いだよ。食料からも霊気というのは抽出できるしね。とはいえ、食事だけで補えるものでは当然ない。霊気の供給源を側においておかないと、大変なことになるだろう』


 思ったより詳細な返事に、四季は目を白黒させた。

 ただ、小夜子を思いやっているというよりは、彼女に霊気を与えなかったあとのことを心配しているのが気に触る。反論するほどの元気は湧いてこなかったが。

『シェイプシフター』の赤光が四季を射抜く。


『二つ目に、きみのためだ』

「……どういうこと?」

『きみは考えたことがあるかい? なぜこれほどまで自分の元に怪異が集まってくるかを』


 そう言われても、四季には答えるすべがない。

 考えたことがないといえば嘘になる。しかし、考えても理由など見つからなかった。なんとなくそういうものだと思い込んでしまっていたのだ。


『まあ、理由は一つではないよ。きみの動じなさであるとか、人柄とか、そうしたものも一因だ。しかし一番の理由は、きみの霊気にある』

「…………そうなの?」

『そうだとも。きみの霊気は普通の人間のそれに比べ、質と量のどちらにおいても圧倒的に優れている。霊気というのは怪異の主食だからねえ。きみから漏れ出る分だけでも食事には充分すぎるのさ』

「ふうん……『シェイプシフター』もそれが目当て?」

『……コメントは差し控える。ともあれ、そこであの幽霊の出番だ。あれに余分な霊気を食べてもらえば、無闇に怪異を誘い出すようなことにはなるまい。わかるかね、これは双方に利がある話だよ』


 いつのまにか、怪異は四季のすぐ目の前にいた。燃える様な赤い光がこちらに向けられている。

 四季が黙って頷くと、『シェイプシフター』の肩から力が抜けたように見えた。


『ならばよし。今夜はこの辺にしておくとしよう。ああ、そうそう。最後に』


『シェイプシフター』の言葉を皮切りに、周囲の光景が暗闇に呑まれていく。

 最後まで残ったのは、三点の赤光のみ。


『先ほどきみの眠りを邪魔したのはアパートに憑いた怪異だよ。ちゃちなやつだが、執念深そうだ。早めにどうにかしないと、また眠りを邪魔されるかもな。では、よい現実を』


 その赤光さえ消え失せ、あたりは闇に包まれる。


 そこで、目が覚めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます