引越しの終わり、改めて新生活

 心配していた引越しは案外簡単に終わってしまった。労力がかかるだろうと思っていた荷物の運び込みが御影みかげの力で簡単に済んでしまったこと、さらに細かいところも小夜子と巡がやってしまった……正確に言えば御影に手伝わされた……ため、四季しきにはほとんもやることがなかったのだ。

 そんなわけで一同は今、居間の中央に置かれたちゃぶ台を囲んでいる。四季はここで遅めの昼食だ。引越し作業中に、怜が近くのコンビニで買ってきてくれたのである。


『あの、私の分はないんですか?』

「……えっ、食べるの? 幽霊なのに……?」


 悲しげにちゃぶ台上のおにぎりを見つめる小夜子に、怜が顔をしかめる。四季は無言でおにぎりを幽霊の前に移動させた。

 嬉しそうにおにぎりに手を伸ばす小夜子を視界の端に収めつつ、彼女かれは静かに睨み合いを続けていた巡と御影に向き直る。


「先に言っておくけど、ここ、俺の部屋だからね。住み憑くのは……まあ……仕方ないけど! 憑くなら憑くで俺の言うことはちゃんと聞いてよ!」

「あたしゃ元から若旦那の命には従う所存ですよ? ただまあ、身を守る権利くらいはありますのでね。悪しからず」

「私も別に暴れようってつもりじゃないのよ。ただ、この虫けらが不埒な真似をしないよう見張っているだけで」

「……せめて俺の前でくらいはギスギスするのやめてくれない? 仲良くして、とまでは言わないからさ」


 嘆息混じりの頼みに、御影がふんと鼻を鳴らして視線を逸らす。巡は小さく肩を竦めただけだ。

 ひとまず小康状態は保てたらしい。四季は息を吐き、思考を仕切り直す。念願の一人暮らしが初日にして崩れたのは悲しむべき事態。だが、悔やむより先にこれからのことを考えるとしよう。


「とりあえず、改めて聞きたいんだけど。三人ともここから出ていくつもりはないんだよね?」

「出てもようございますが……若旦那の性質を考えるに、あたしを近くに置いておいたほうがよいと思いますなあ。無論、そこの餓鬼もです」


 胸元から取り出して扇子で隣の童女を示しつつ、鬼女が答える。先んじて答えられたことに、御影が微妙に苛立ちを見せた。

 それに構う様子もなく、巡が喋り続ける。


「先にそこの餓鬼が」

「あのさ、御影って名前があるんだよ。ちゃんと名前で呼んであげて」

「……失敬。あー、御影。こいつが言ってたとおりで、なにもしませんと、この部屋に四六時中怪異が押しかける羽目になります。断言してもいい。なので、結界を張るための人員は置いて損はないと思いますよ」


 想像以上に真っ当な意見が返ってきた。今ひとつ真意を見せない怪異ではあるものの、ちゃんと四季を頭領と見なして意見してきてくれているらしい。

 四季は続いて御影を見た。


「御影お姉ちゃんはどうせ帰る気ないでしょ?」

「なんですかその言い様は。そんな簡単に決めつけるだなんて、お姉ちゃん悲しいわ。よよよ……」

「……帰るの?」

「帰らないけれど」


 小賢しくも泣き真似までしてみせた御影は、四季の追求にけろりとした顔で答えた。昔からそうだが、いい性格をしている。

 呆れた眼差しを物ともせず、童女は隣の鬼女を横目で睨みつける。


「だいたい、この虫けらを」

「巡さんって言うんだってさ」

「む……め、巡? とにかくこいつをあなたの側にのさばらせておくわけにもいかないでしょう。なにを企んでいるかわかったものじゃない」

「ははは。本人の前でそれを言うか。腹芸ができん性分だね? 見た目相応というべきか」


 巡はこれまでどおりの人を食った態度を崩さない。その反応に、御影の口が忌々しげに歪められた。

 しかし彼女は気を取り直したように四季へ笑顔を向ける。


「それに、一人暮らしを志したっていきなり家事ができるようにはならないじゃない? そういうことも手伝えると思うのよ。ほら、ご飯とか作ってあげ……ああ、違うわね。作るお手伝いもできるし。ね?」

「うん……それは助かるけど」


 弱いところを突かれた。思わず渋い表情が出てしまう四季である。

 両親が共働きであるため、そういう経験も積んできている……と言えないのが情けないところだ。改めてそう思う。なにしろ、やろうと思ったときには先回りしてやってくれる存在がいたのだから。

 主に目の前の姉を自称している彼女である。満面の笑みがちょっと憎たらしい。


「私のことはそれでいいとして。四季、その幽霊……ええと、小夜子さんでよかったかしら? それはどうするの?」


 御影の言葉に、今まで静かにしていた幽霊へ一斉に視線が集まる。

 当の幽霊は物欲しげな眼差しで四季の前のおにぎりを見つめていた。まだ足りなかったらしい。四季は手際よくおにぎりを開封し、彼女の前に差し出す。

 嬉しげにおにぎりに手を伸ばす小夜子を微笑ましく見やってから、四季はふと思い出して巡へ視線を移した。


「そういや巡さん、さっき小夜子さんのことを怪談幽霊とかなんとか言ってたよね? あれどういう意味?」

「ああ、ご存知ありませんでしたか。そうですねえ……」


 天井を仰いでなにやら考え込んでいた鬼女は、唐突に扇子で怜を指し示す。

 おにぎりを頬張る幽霊を、退屈そうに頬杖をつきつつ見守っていた彼女もまたそれに気づいたのだろう。不機嫌そうに睨み返した。


「退魔師どものほうが『最新の情報』に近いでしょう。説明してもらいなさいな」

「……簡単に言うと、『生まれつきの幽霊』だね」


 呟かれたのは、なにやら矛盾した単語。首を傾げる四季を見て、退魔師は身を起こした。


「幽霊の定義から始めようか。幽霊っていうのは平たく言うと『未練を残した人間の魂が基となって生まれた』怪異。これはいい?」

「……うん。なんとなくわかる」

「よし。で、怪談幽霊。こいつは人の間に伝わる噂話を基にして誕生した怪異。厳密に言うと幽霊じゃなくて、一見幽霊に見える怪異ってわけ」

「噂話……?」

「どこそこで悲惨な事件があって、それが原因で亡くなった人の幽霊が出る、みたいな……つまるところ『怪談』だね。怪異ってのは変な性質があって、そういうのが語られるだけでも似たような姿を持ったのが現れるんだよ。実際に起こったことじゃなくてもね……って、ここまでわからなくてもいいんだけどさ」


 怜が話を打ち切る。四季は目を見開いていた。なるほど、そういう違いがあったのか。知り合いの怪異こそ多い彼女かれだが、そうした原理的なことを気にしたことはなかった。

 と、なると。


「小夜子さんもこの辺で噂されてたのかなぁ」

『むぐっ、どうなんでしょうね。言われてみると生きてたときのことなんて思い出せませんけど」

「基になった話の設定が荒かったんだろうねェ。単に幽霊が出るだけで、その幽霊の素性が語られない怪談なんぞごまんとあるし」


 呑気におにぎりを食べ終えた小夜子を眺めつつ、巡は言った。

 そして彼女は四季へと向き直る。


「まあ、怪談幽霊ってのはそういう連中です。で、ここからが大事なんですが」

「なに?」

怪談幽霊こいつら、性質のおかげでんですよ。小夜子のやつも十中八九誰かに式神として産み出された怪異じゃないかと思います」


 その言葉に、四季と怜は思わず顔を見合わせた。ちなみに当の小夜子はきょとんとしている。実感が湧かないのかもしれない。


「……根拠は?」

「いや、見ればわかる……ああ、失敬。『生まれたて』なんですよこの子は。そんなのが若旦那の部屋に憑いているってだけでも、ねぇ?」

「まあ、なにか裏があるんじゃないかとは思うわよね。そのへんどうなのそこの幽霊」

『小夜子ですってば!』


 割って入った御影に言葉を向けられ、小夜子がむっとしたように反論する。


『あのですね、別に私、ずっとここにいたわけではなくてですね……燕尾服の素敵な怪異さんに紹介してもらって』

「それ、露骨に怪しいって言うのよ。大方そいつが生みの親なんじゃない?」

『でも、怪異でしたよ!?』

「……そういうことができるやつもいるさ。決めつけはよくないがね」


 巡が静かに御影を制する。帰ってくる不機嫌な視線を無視しながらも、巡は正面から四季を見つめる。


「とはいえ、小夜子をどうするかは早めに決めておいたほうがよいかと。あたしとしては正直なところ、放り出すなりそこの退魔師に任せるなりしたほうがよいかと思いますがね。そいつに悪意がなくとも、裏で糸を引いてるやつの真意次第では……あんたも同意見だろう御影」

「呼び捨てにするな! ……意見自体は、そうね。同じよ」


 不本意そうに頷きつつ、御影もまた四季を見つめる。どうするのか。そう暗に問い詰めてきている。

 四季は小夜子を見やる。彼女は不安げに揺れていた。今の会話の流れだけでも、自分が置かれている立場の危うさに気づくには充分だろう。

 彼女かれは即決した。


「別にいいよ。いてもらって」

「……四季、あなたちゃんと話を聞いてたの?」

「聞いてたよ。けど、小夜子さんが悪い幽霊じゃないのは変わらないし。それを一方的にやっつけちゃうのも目覚めが悪いし。それに、小夜子さんの裏にいるやつがなにをしてこようとも御影お姉ちゃんと巡さんがなんとかしてくれるでしょ?」


 その当てつけに、御影は鼻白んだようだった。

 対照的に巡は愉しげに微笑む。目を潤ませている幽霊から心底呆れた様子の怜へ視線を動かす。


「だそうだよ。残念だったねェ、退魔師の小娘」

「……別に。いいんじゃない、四季らしくて」


 その言葉はそっけない。

 思わず謝ろうとした四季を、彼女は片手で制した。


「怒ってはないから、いいよ。けど本当に困ることがあったら私に相談すること。いい?」

「……うん。わかった。ありがとう、怜」


 素直に頭を下げる。気のせいか、怜がわずかに微笑んだ気配がした。

 さて、結局同居人が三人も増えてしまった。ひとまず、今後の生活の決まりを話し合うことにしよう。四季は苦笑した。なんにせよ、これからの生活が楽しみだ。

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