荷物、三人目の到着

 労いの言葉をかけ、サインをし、荷物を受け取る。両親が留守がちだったために実家で何度も行なった慣れたプロセス。しかし、どこか真新しい緊張感があるのはやはり新居に移ったからなのだろうか。

 一人暮らしだからかな。頭をよぎったその考えを、四季しきは首を振って打ち消した。残念ながら、もはや当初計画していた暮らしは望めまい。なんか初日から二人も増えたし。

 居間に戻ると、三人分の視線が出迎えた。その荷物を認めたらしいれんが怪訝な声を上げる。


「それだけ? 引越しの人じゃなかったの?」

「ん……そうかと思ったんだけど」


 四季も小さく首を傾げる。彼女かれが受け取ったのは、両手で支えられる程度の段ボール箱一つ。やけに軽い。

 到底、これからの新生活のための道具が入っている雰囲気ではなかった。配達先を間違えられたかと確認しても、宛先は間違いなくここの住所。差出人も四季の母の名前だし、住所だって実家のものだ。


『とりあえず開けてみましょう! このまま悩んでても仕方ないですし』


 提案したのは小夜子さよこだった。怜の傍をふよふよとすり抜けた幽霊は、興味深そうに四季の持つ段ボール箱を見下ろす。

 思わず苦笑した四季はふと気づく。最後の一人……鬼女のめぐりがやや距離を取っていることに。


「どうかした? 巡さん」

「ああ、いえ。すんでのところで滑り込めてよかったなと思っている次第で。ときに幽霊」

『小夜子ですってば!』

「……小夜子。あたしだったらそれ以上そいつには近づかないね。離れたがいい」


 そっけない言葉に、幽霊がきょとんと振り向いた。そのときだ。

 小さな硬い音とともに、四季の手の中にあった箱が震えた。そして底冷えするような妖気。


「危ない!」


 怜が叫んだときには、四季は箱を取り落としていた。彼女の言葉に従ったわけではない。突如として段ボール箱を突き破って飛び出してきたものに驚いたからだ。

 飛び出してきたもの……どろどろとした赤い触手のようなそれは、向き直ったばかりの小夜子を容易く捕らえる。


『ぎゃあーっ!? なんですかこれぇーっ!?』

「だから離れとけつったんだよ」


 今さらながらに慌てふためく小夜子を見やり、巡が小さく毒づいた。

 彼女とて安穏としている訳ではない。同時に箱から飛び出してきた赤い触手を睨んでいる。触手は蠢くも、届かない。見えぬほどに細い蜘蛛の糸で絡め取られているからだ。


 一方、箱のほうは動きを止めていた。落下寸前で溢れ出た細く長い腕が箱を支え、奇妙なオブジェのような有様となっている。

 そして、そこから一人の童女が姿を現わす。普通の人間ならば入る余地のない箱の中から。

 おかっぱ頭に赤い振袖姿のその童女は、触手に巻き取られた幽霊を疎ましげに見やり、薄青い鬼女を憎々しげに睨みつけ、最後に身構える怜を見て……驚いたような顔をした。


「あら、草江神社のところの娘さんじゃない。どうしてこんなところに?」

「……なんで私の名前を」

「うん? ああ、そうね。顔を合わせたことはなかったかしら。四季と遊んでいるのを見ていただけだったものね」


 微笑した彼女は、最後に側に立つ四季を見上げた。

 四季は複雑な顔で視線を受け止める。彼女かれにとっては見知った顔だった。


「大丈夫だよ、怜。知り合いだから……なんで来たの、御影みかげお姉ちゃん」

「あら、ひどい子。お母様に頼まれたから来てあげたのよ? それにあなた、一人にすると危なっかしいじゃない……現にもう二匹も悪い虫が入り込んでるんだから」


 澄ました顔で返した童女……御影は、すぐに忌々しげな顔で鬼女を睨む。


「よくもまあおめおめと私の前に顔を見せられたな虫けら。その手脚もぎ取って放り出してくれる」

「まったく、相変わらず血の気が多いねこの餓鬼は……若旦那の前なんだから、少しは淑やかにしたらどうだい」


 巡がうんざりとした表情を浮かべる。顔見知りなのか……一瞬驚いた四季も、すぐに得心がいった。

 自分を観察していた、と彼女は言っていた。なぜ観察にとどめていたのか。その理由が御影なのだろう。

 御影は日条家が越してくる前から、屋敷に住み憑いていた怪異だ。家の守護を務めていた彼女がいたからこそ、巡も向こうでは思うように動けなかったのではないだろうか。


 だからこそ、こうして顔を合わせた瞬間に険悪な空気を醸し出しているのだろう。

 御影が手に持った黒い寄木細工の小箱を掲げる。すでに二筋の赤い触手を吐き出していたそれは、さらにゴボゴボと音を立てて血を垂れ流し始めた。


 なんとも言えぬ異臭が鼻をつく。四季はわずかに顔をしかめ、床を広がる血の池を見つめた。怜が身を引き、足元に届き始めた血の池から退避するのも見える。

 床に広がった血から、何本もの腕が伸びる。細く長い、女の腕。それは揺らめき、鬼女に掌を向ける。

 眉間にしわを寄せた巡が舌打ちする。


「しつこいね……しかし、なんだね。あんたも少し頭を冷やしたほうがいい」

「何を賢しらに」

「あたしはいい。若旦那も問題ないだろう。しかし、そこの退魔師の餓鬼を忘れちゃいないかね? あんたの呪いは女子供に特によく効く。本気を出したら、まず真っ先に死ぬのはそこの退魔師だよ」


 巡に伸ばされていた手が、弾かれたように身を引く。

 御影は暗い顔で怜を見やった。しばし彼女を見つめたあと、諦めたように溜息をつき、小箱を撫でる。

 途端、居間の大半を占めていた血の池が逆戻しをかけたかのように小箱の中へと戻っていた。残されたのは以前と変わりない部屋の情景。


『あのー!? 私のことを助けるとかしてくれないんですか巡さーん!?』


 そして、相変わらず触手のために身動きの取れない小夜子だった。

 巡は心底うざったそうに幽霊を見やる。


「あんたのことまで面倒見きれんよ。せいぜいお願いしてみるんだね」

「……そもそもこれはなんなの、四季? そこの虫けらはどうせ悪知恵を働かせて入り込んだんだろうけど。この幽霊はそこまで頭が回りそうに見えないし。自分から招いたんじゃないのよね?」

「違うよ! 俺が来る前から憑いてたの!」

「そう。なお悪いわね。処分してしまっていいのね?」

「駄目ッ!」


 四季は叫んでいた。自分でも驚くくらいの声量で。

 御影としても意外な反応だったのだろう。彼女もまた面食らったように目を見開いている。

 少し呼吸を整えてから、四季は言った。


「その……小夜子さん、っていうんだけど、とにかくその幽霊ひと、悪い感じではなさそうだし。だから、そこまで酷いことしなくてもいいよ。大丈夫だから」

「けど」

「大丈夫だから! もう子どもじゃないんだし、それくらいの判断はできるよ」

「そういうこと言ってるうちはまだ子どもだと思うのだけれど。まあ、いいわ」


 御影は溜息とともに小箱を撫でる。それと同時、幽霊に巻きついていた触手はするすると小箱の中に戻っていった。

 ついでに巡へ突きつけた分の触手も回収し、すべてがうちに収まったことを確認してから、箱の蓋を閉める。


「そうね。この部屋の主人はあなただものね。なら、少しくらい意を汲んであげようかしら」

「ありがとう、御影お姉ちゃん。……それはそれとしてさ」


 事態が収まったことに嘆息してから、四季は半眼で自分より幼く見える姉を睨む。


「お姉ちゃん、なにしに来たの? 一人暮らしするってちゃんと言ったじゃない」

「たしかに聞かされたわ。で、引越しのお手伝いに来たのよ。そうそう、それが本題だった」


 わざとらしく御影が小箱を叩く。ひとりでに開いた箱の中から煙が吹き出す。

 その煙が消えたその場所に、大きな段ボール箱が出現していた。でかでかと「食器」と記されている。


「ほら、最近の人の世は大きな荷物を運ぶだけでも代金が馬鹿にならないでしょう? だから私、お母様に提案したのよ。私がまとめて運べば節約ができますよって」

「母さん……」


 四季は思わず額を抑えた。

 彼女かれの母もまた怪異を受け入れるだけの度量の持ち主であり、かつ四季とは違って怪異の力を借りることにそこまで忌避感がない。御影はむしろ、その隙をついてこちらにやってきたのだろう。


「たしかにお手伝いするだけのつもりだったのよ?けれど、御覧なさい。もう怪しげな虫が入り込んでるじゃない? まあ幽霊は仕方ないとしても、そこの虫けら……ねえ四季、あれは追い出さなくていいの?」

「……たぶんだけど、追い出したほうが後々面倒なことになる予感がする」

「ははは! よくわかっていらっしゃる」


 鬼女がからからと笑う。それに苛立ちの一瞥をぶつけてから、御影はまた話に戻った。


「……とにかく、入り込んできてるでしょう? 思うに、このまま放っておくと際限なく増えていくのは間違いないわ。だからまた、手伝いをしてあげる必要があると思うの、私」


 童女はどこか得意げに微笑した。

 恐ろしく白々しい。おそらくこの場に小夜子や巡がいなかったところで、彼女はなにかしら理由をつけてこの部屋に居座るつもりだったろう。四季はそう確信している。

 御影は四季にとって初めて友人となった怪異であり……恐ろしくお節介焼きの姉貴分なのだから。


 ともあれ、また一〇五号室に住人が増えたようだった。

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