起床、三者面談

「…………四季しきッ!」


 鋭い呼び声に、四季は勢いよく身を起こし……なにか白い靄のようなものの中に顔を突っ込んだ。


「わぷっ」

『ひゃあっ! す、すみませんっ!』


 慌てたような声とともに靄が取り払わられる。

 なんだったのだろう、と考える前に四季はぼんやりと周囲を見渡した。どうやら室内のようだ。一〇五号室の居間、だろうか。嫌に暗い。


「なんだ、もう夜か……」

「違うに決まってるでしょ。こら、二度寝しようとしない!」


 再び身を横たえようとしたところ、がしりと首根を掴まれ阻止された。

 手荒に睡眠を妨げられた四季は思わず眉間にしわを寄せて相手を睨みつける。そこでようやく意識が覚醒した。


「あれ、れん。どうしたの?」

「どうしたのもこうしたのもないよ、まったく。急に出てくると危ないじゃない」


 きつい口調で咎められ、四季は身をすくませる。改めて意識を失う前の状況を思い出した彼女かれは慌てて頭を下げた。


「ご、ごめん! でも、なんというかあそこまでやらなくてもと思って……」

『そうですよう。幽霊だからって暴力を振るうのよくないです。ご先祖様を大事にするようご両親から教わらなかったんですか?』


 すぐ真後ろから、聞きなれない女の声が耳をくすぐる。どうやらとっさにかばってしまった幽霊のようだ。……さっきの霞、もしかして自分を覗き込んでいた彼女に顔を突っ込んでしまったのだろうか。気づいてしまうと、不意に顔が火照る。

 退魔師は四季からわずかに視線をそらし、苛立ちを隠すことなく舌打ちしてみせた。


「どこの馬の骨ともしれない浮遊霊ごときがなにを偉そうに。誰が私のご先祖さまだって?」

『か、関わってるかもしれないじゃないですか……』

「そんなわけないでしょ、バカバカしい。その見た目からしてごく最近に幽霊になったんでしょう? 適当なこと言わないで。すり潰すよ?」

『やめてください! なんですかこの子!? 怖い!』


 悲鳴と同時、四季の背中にひんやりとした柔らかいものが密着した。急速に体温を奪われて一瞬身震いしてしまう。ここまでくると、さすがの四季にもおおよそ自分が置かれている状況が理解できた。

 つまり、見ず知らずの幽霊に背中へしがみつかれた状態で、死ぬほど機嫌の悪い幼馴染と対峙している。

 寝ている場合じゃなかった。


「あ、あの……怜、とりあえず落ち着いて……」

「落ち着いてる。それより四季、話戻すけど急に割って入るのは本当にやめて。本気で殴り飛ばすところだったじゃない」

「ご、ごめんなさい」

「なんとか寸止めできたからよかったけど、もし直撃してたら」


 不意に怜が言葉を切り上げ、考え込む。ごくりと唾を飲む四季の前で、彼女は淡々と続きを述べた。


「……首が飛んでたかもね」

「冗談でしょ!?」

「さあ。私、本気で人殴ったことないし。今日実践することにならなくてよかったよ」


 しれっとした顔で言われ、今さらながら背筋が冷える。はっきり言って冗談を言っているようには見えない。本当に死ぬところだったのかもしれない。こんなことで。

 青くなる四季の後ろから、おずおずと声が上がる。


『あの、本気で人を殴ったことがないわりには、すごく腰が入っていたというか』

「は? 当たり前じゃない。怪異相手に本気出さないわけないでしょ。ぶっ飛ばすよ?」

『だから怖いです! なんでそんな殺意満々なんですか!?』

「お前が怪異だから。というかとっくのとうに死んでるでしょ。幽霊なんだし」

「……ええと、怜。お願いだから少しだけ我慢して」


 恐々と怜をなだめつつ、四季は自分の肩越しに手を伸ばした。無造作に後ろの怪異の(おそらく)肩を掴むと、そのまま引き剥がす。ぱりぱりと自分の体から薄い膜が剥がれる感覚。

 思わずため息が出た。どうやら取り憑かれる寸前だったらしい。そのまま幽霊を解放し、向き合う。


『あ、あれ?なんでそんな簡単に』

「慣れてる。……体の中に潜り込まれちゃうとちょっとだけ面倒なんだけど、まあこれくらいならどうとでもなるし」


 律儀に幽霊の疑問に答えてから、四季は首を振った。そうではない。なぜか目を丸くしている怜をよそに、四季は率直に尋ねる。


「それはどうでもいい。ええと、きみ、名前は?」

『名前……ええと、小夜子さよこと申しますです。はじめまして』


 案外素直に幽霊はぺこりと頭を下げた。

 腰ほどの長さはある黒髪。飾り気のまったくない白いワンピース。青白い肌は、暗闇の中だとほのかな燐光を放っているような錯覚を受ける。典型的な近代怪談における幽霊のイメージそのまま、といった特徴だ。

 それを除けば人間とさほど変わらない。見た目の歳は四季たちよりも少し上か。顔立ちも崩れてはいない。気弱そうな女性である。


 ともあれ、落ち着いて話ができそうな手合いだ。四季は胸の内で安堵の息をつく。


「ええと、俺は四季。今日この部屋に引っ越すんだけど」

『そうなんですか! いらっしゃいませ! 仲良くしましょうね!』

「普通に自分の部屋扱いしたうえ居座るつもりだ!?」


 戦慄したような怜の言葉は聞き流す。いや、たしかに見た目のわりに面の皮が厚いとは思ったが。

 それよりも、気になることを聞かなければ。ある程度警戒心を解くためにも、怪異相手に自分の名前を晒したのだから。


「ええと、小夜子さんはなんでここに? この部屋、ちょっと前に来たときは誰もいなかったと思うんだけど……」

『あー、私もここに憑いたのは最近ですから。こう、ふと気づくと見慣れぬ場所に放り出されていてですね。なんでか知らないけど全身包帯の人から追いかけられてたところを燕尾服の怪異ひとに助けられまして』

「シェイプシフター!?」

『そうそう、そんな名前だった気がします。その怪異が親切でですねー、いい場所を紹介するってここまで案内してくれたんですよ! 事実、霊気の質が段違いで!』


 楽しげにはしゃぐ小夜子をよそに、四季はこっそりと怜に目配せする。彼女もまた難しい表情でこちらを見つめていた。

 燕尾服の怪異、シェイプシフター。ほぼ間違いなく昨夜に遭遇したあの怪異だろう。つまりこの女幽霊、どういうわけかあれの手引きでここに憑いたわけで。


「……お前、あの燕尾服のやつがどこに行ったか知ってる?」

『さあ。お礼を言う前に消えてしまったので……あ、知っててもあなたには教えませんからね! こんな凶暴な人間を紹介したらかわいそうです!』

「別にかわいそうでもなんでもない。あいつが一筋縄じゃいかない怪異なのはよく知ってる。それはそれとしてお前除霊してやるから歯を食いしばれ」

『いーやーでーすー!』


 ぼふ、と間の抜けた音とともに小夜子の姿が靄状に変化した。次の瞬間には靄は四季の背後にわだかまり、再び凝縮して人型を取る。

 目じりを釣り上げる怜を前に、四季を盾にした小夜子は怯えたように身を竦めた。


『わ、私悪いことしてませんもん! 他の人間にも迷惑かけてませんし!』

「……自覚なしか。あのね、この部屋の有様を見て本当にそう言える? 周囲からここまで霊気を奪えるやつ、野放しになんかできないでしょ」


 冷たく言い放つ怜は、眉間にしわを寄せ四季を見つめた。


「四季も四季だよ。怪異をひっぺがせるんならさっさとして。そのまま取り憑かれてたら、間違いなく死ぬよ?」

「いや、まあ。大丈夫じゃないかな」

「なにを根拠に……!」

「実家にはもっとたくさん怪異が憑いてたし。幽霊の一人や二人くらい、なんともないって」

「は?」


 ひどく怪訝な顔をされた。

 そういえばこのへんの話はまだ怜にもしていなかったか。しかし、彼女の家だって蛇神を祀っているわけだし、そこまで驚かれるようなことでもない気がする。


「……ねえ、四季。たくさんってどれくらい?」

「ええー、数えたことないからな……十人以上はいると思うよ」

「現在進行形?」

「現在進行形。さすがに憑いてこられたら困るから、その辺はちゃんと言ってある」

「そ、そう……へぇー……」


 彼女の顔がなぜか引きつっているように見える。なぜだろうか。四季は首を傾げた。

 と、その肩にぽすんと軽いなにかが寄りかかる。小夜子が顎を乗せてきたらしい。


『いいですねー、四季さんは。優しいし、慣れてますし、憑き心地がいいですし。うふふ、私ってばラッキーです』

「……あの、部屋のことに関しては話し合いの場を設けるからね? なんかなあなあのうちに住み憑く気みたいだけど」

『交渉の余地はあるんですよね? なら全然問題ないです! そこの人の形した暴力装置さんと比べたら断然ましグッハァ!?』


 四季の眼前を赤い帯が通り過ぎ、小夜子の顔面をしたたかに打ち据えた。怜の仕業である。

 沈痛な溜息を吐きつつ、彼女は顔を上げた。


「なに余裕こいてるんだかわからないけど、そこも充分私の射程範囲だからね。変な真似したら絞め落とすから」

『ぜ、絶対意識失うだけじゃすまない……!』

「当たり前でしょ。その首が千切れて落ちるまで絞めつけてやるって意味だもの」

『想像してたよりやばいやつでした! 助けてください四季さん! あいつあんなこと言ってますよ!?』


 涙声で訴えられ、四季は顔を覆った。一度助けに入ってしまったためか、完全に味方として扱われている。

 別にそれで後悔するわけでもない。しかし、怜をどう落ち着かせたものか。というより彼女はなぜこんなに殺意を隠さないのか。退魔師というのはみんなこうなのか。そうなら控えめに言ってお近づきになりたくない。

 

 四季を境に奇妙な睨み合いが始まろうとした、その時。

 ピンボーン、と。不意に呼び鈴がなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます