幽霊アパート

第2怪:一〇五号室の話

入室、一人目との遭遇

 ドアを開けると、幽霊と目が合った。


「いた?」

「……いた」


 反射的にドアを閉めてしまった四季しきは、隣で様子を見ていたらしいれんに苦い顔で頷いた。

 続いて、ゆっくりと頭を抱える。


「もー、絶対『見えるやつだ』って思われたよ……俺のバカ……反応しなきゃごまかせたのにー!」

「とっさのことだもの、しょうがないよ」


 喜会荘、一〇五号室。それがこの春からの日条 四季の新居である。

 高校入学を機に、怪異まみれの日々から抜け出そうと心機一転した彼女かれは、幸運にもかつての幼馴染と再会することができた。

 が、同時に不穏なニュースとも直面することになる。どういうわけかこの喜会荘がちょっと見ない間に幽霊アパートと化しているというのだ。そして例外など許さないとでも言いたげな様子で、彼の部屋にも怪異が住み憑いているらしい。


 怜は肩をすくめると、四季を押しのけるようにして一〇五号室の前に立った。華奢な体躯にもかかわらず、その背中には妙に頼もしい。

 ほう、と四季は息をついて彼女を見上げる。同じ歳にも関わらず、頭一つ分ほどの差が開いていた。もっともこれは彼女が特別背が高いというより、四季のほうが歳の割に小柄なのだろう。

 どうせだったら怜のようになりたかったな、と四季は自分の胸を腕で支えつつ考える。


「ところで」

「なっ、なに!?」

「……いや、中にいたのがどんな怪異やつだったか聞きたいんだけど。なんでそんなにビクビクしてるの?」


 肩越しに呆れた眼差しが飛んでくる。思わず縮こまりながらも、四季はつかの間の記憶を引っ張り出した。


「……ええと、たぶん幽霊じゃないかな? 正直、なんか白かったくらいしかわかんなかった」

「たぶんか。ま、いいや。少し待ってて」


 怜は確かめるように左手の拳を開き、握る。そして無造作に右手でドアを開けた。

 当然のごとく幽霊がいた。始めに四季が目撃した居間の奥ではなく、玄関のすぐ前に。

 直後、空気が震えた。


『ぶへあっ!?』


 潰れたような悲鳴とともに幽霊が消える。いや、部屋の中に吹き飛んだ。四季の目では到底捉えられない速度で、その顔面に拳が叩き込まれたのだ。

 それだけではない。彼女の左袖からはすでに赤い帯が滑り出ている。蛇神、朽縄御前の力を受けたそれは空を切り、幽霊に巻きついた……のだと思う。四季の位置からはよく見えない。

 ぴん、と張った帯の手応えを確かめるかのように怜は腕を引く。そして跳んだ。巻き取られるかのように暗い部屋の中へ飛び込んでいく。再度、空気が震えた。


「うわあ」


 四季は思わず声を漏らしていた。怜がちょっと見ない間に退魔師となっていたのは本人から聞いているし、昨夜などはより凶暴そうな怪異をなんなく蹴散らしたところも目撃している。

 なんともまあ人間離れしたものだ。呆気にとられている間にも、三度、四度と空気の震えが頬をかすかに揺らす。除霊ってこんな物理的なものだったろうか。


 と、闇の奥から白いものが浮き出てきた。それがこちらに向かってきている幽霊だと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 とはいえ、まるで脅威を感じない。ふらふらと漂うその様は台風に翻弄される小鳥かなにかのようだし、ようやくまともに見ることができたその顔にも鮮やかな青あざが刻まれていたからだ。退魔師に殴られるとああなるのだろうか。

 どこからどう見ても敗走中。哀れな有様だった。


『た、助けてぇ……』


 だからだろうか。か細い声に四季が反応してしまったのは。

 別に意識して動いたわけではない……気づいたときには幽霊の腕を掴んで、自分の背後に回していた。怪異に触るなんて簡単だ。触られたことだって何十回とある。

 だから気づいたときには、自分の腕に青色の帯が巻きついていた。ぐい、と引っ張られ、反射的に足を踏みしめる。


 次の瞬間、四季は怜を見た。


 心なし、時間の流れがゆっくりになったようだった。鮮明に見える。左拳を引きしぼるように後ろへ引いた幼馴染の眉が、少しだけひそめられる。

 ちゃんと見れたのはそこだけだ。おそらくは彼女自身がおかしいと思う前に、拳は四季めがけてとんできた。思わず目を瞑る。

 パァン、といい音とともに彼女かれはのけぞった。鋭い衝撃が脳を揺らし、意識を一瞬で混濁させる。拳は当たったのだろうか。いや、おそらく当たっていない。寸前で止められて……その風圧だけでこうなった。なぜかそれが理解できる。


 驚きとも非難ともつかぬ怜の声を最後に、四季の意識は途切れた。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 気がつくと、日条 四季は実家の庭に立ち尽くしていた。

 夢か。自分の身体に触ることなく、彼はそれを理解する。なにしろ周囲の風景ときたらセピア色で、視線もいつもより低い。昔の思い出。走馬灯でなければいいな、と他人事のように考える。


 後ろを振り返る。縁側と、その向こうに広がる畳敷の大広間があった。誰もいない。

 そのままぐるりと視線を巡らせる。日条家の周囲は垣根で覆われており、外の様子を伺うことができない。庭の隅には古びた蔵がある。その扉は閉ざされているため、中には……少なくとも人間がいないことがわかる。


 どうしたものかな。四季は顎に手をやった。今の自分はどうやら子ども……おそらくここに引っ越してきたばかりで、小学校に入る前の状態らしい。まだ普通の男の子だった時分だ。

 あのときは今ひとつ体が弱く、両親も療養のためにここを選んだのだと聞いた。まあ、たしかに回復はしたのだ。同時に怪異たちからちょっかいも受けるようになっただけで。


 足を踏み出しかけた四季は、慌てて踏みとどまる。敷地の入り口のほうから、強烈な視線を感じたからだ。

 振り向いた先にいたのは、おそらく自分と同じ年頃であろう女の子。怜? いや、違う。怜の髪はあんなに紅くはないし、目だってあんなに金色に輝くはずがない。

 やや遅れて、四季は異常さに気づいた。彼女だけが色づいている。この自分の思い出の風景の中で。


 たしかに……記憶には残っている。ここに引っ越してきて初めて出会った友人は怜ではなくて、外国から来たらしい女の子だった。赤毛だった。よく覚えている。でもあの目は?

 四季は迷いながらも、再度足を踏み出した。ぴしり、とひび割れる音があたりに響く。


「えっ?」


 思わず声が出ていた。視線を下すと、自分の足元を起点に亀裂が走っている……いや、広がっている。地面だけでなく縁側も、蔵も、垣根も。どんどんと侵食している。

 鋭い舌打ちの音が聞こえた。あの女の子のものだろうか。視線を戻すより早く、四季のいた空間はヒビで覆われ尽くし、やがて破れた。


「おわああああっ!?」


 地面が喪失し、嫌な浮遊感とともに四季は落下した。

 しばらく悲鳴とともに落ち続け……不意に静止する。


『やれやれ! きみ、少し迂闊だぞ』

「……誰? ああ、いや、待って。聞いたことある」


 第三者の声に、四季は声を上げた。そして不意に、自分の姿が元に……つまり、昨夜と同じく成長した姿になっていることに気づく。

 ぐるぐる、と喉を鳴らすような音とともに、四季の眼前に赤い光が灯る。三角形を描くように。

 奇妙な既視感。どこかで聞いたことのある声。思わず手を打っていた。


「シェイプシフター! 昨日の!」

『はい正解。覚えてもらって光栄だね。それはいい。繰り返し言うがね、きみは少し行動に気をつけたまえ。あと少しで見つかるところだぞ』


 赤い光が明滅する。今回はどうやらあの燕尾服の姿を晒すつもりはないらしい。

 四季は思わず首を傾げる。相手が自分の夢に何度も現れたことよりも、最後の言葉のほうが気になった。


「見つかるって……誰に?」

『名前を思い出せないんなら、それでいい! 思い出しても口にはするなよ。要はさっきの赤毛だ。昨日の夜、きみが無防備に街に現れるもんだから察知されかけてる。こっちが冷や汗をかいた』

「ええと……」

『わからなくていい、わからなくて。普通の学校生活が送りたいのなら、気にしないことだ。ほら、あの退魔師くんが呼んでいる。さっさと起きなさい』

 

 赤い光が消滅する。シェイプシフターは強引に会話を打ち切り、姿を消したのだ。

 まったく意味がわからない。考える間もなく、四季の意識は遠のき……


 ……そこで、目が覚めた。

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