第70話 忠誠と復讐。
「……貴様……景宗……」
「敬称くらいつけて欲しいなあ。これでも目上なんだから」
家高に人が殺せそうな視線で睨まれたても、景宗は少しもひるむ様子はない。
むしろ、その笑みをますます深くしているようだ。
「ところでさぁ……最近、義父さんも義兄さんも忙しそうだよねぇ」
景宗が突然関係ないことを言い出した。
祖父と伯父がどうかしたのだろうか?
「……何が……言いたい……?」
「忙しい理由、キミ知ってる?」
「……知っているが……お前に教えるつもりはない……」
「あはは、教えてもらわなくても知ってるさ。一条に敵対的な行動を取る企業が増えて、対応に追われているからだろう?」
家高は答えない。
けれど、景宗の答えは正しい。
昨年の春以降、一条家の関連企業に対して敵対的な市場行動を取る企業が出だしたのである。
最初はごく小規模なものだったのだけれど、一条家の対応を先読みするかのような動きで徐々に勢力を拡大し、今では一条家でも無視できないほどの規模にまで膨れ上がっている。
祖父も伯父も、その対応に追われているのだ。
そういえば、昨年夏の誘拐事件の時、誘拐犯がつきつけてきた要求もその敵対企業グループを利するものだった。
と、言うことは……?
「反一条包囲網を影で操っていたのはボクだよ。財界の雄を相手に歯向かうゲームは実に楽しかった」
やはりそうか。
「……だからどうした……結局、最後に勝つのは一条家だ……」
「あはは、どこまでおめでたいんだろうね、キミは。おかしいと思わなかったのかい? どうして一条家の対応がいつも後手後手に回ってしまうのか」
「……」
「内通者がいたからさ。それもとびっきりの中核にね」
みなの視線が、ナイフを構えたままの佐脇に集まる。
「……佐脇……お前……」
「申し訳ございません、家高様」
言葉では謝罪を口にするけれど、佐脇の表情に申し訳無さのようなものは微塵もない。
「それで? お前はここで何をしようっていうんだ?」
冬馬が口を開いた。
こんな状況なのに、いい度胸だ。
「それを話す前に、まずは行動を制限させてもらおうか。和泉」
急に名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がった。
「感動の再会と行きたいところが、時間もあまりないんでね。とりあえず、この紐で全員の親指を後ろ手に縛れ」
そう言って、景宗は紐を人数分放ってきた。
「……嫌だといったら?」
「下らない質問で時間を取らせないで欲しいな。いつねちゃんの可愛い顔に傷がつくよ?」
背筋が凍ったかと思った。
冬馬の目蓋の傷を思い出す。
あんなことは二度とごめんだ。
「和泉、いいから縛れ。今は奴の言う通りにしろ」
冬馬の言う通りなのだろうか。
でも、このままでは――。
迷った末、私は紐を手にした。
「きつく縛るんだよ?」
私は全員の親指を縛っていった。
一言、景宗と佐脇には聞こえないように、ある言葉を添えて。
最後にいつねさんの親指を縛り終えると、私の親指を景宗自らが縛った。
「これでよし、と。さて、ここにボクが何をしに来たか、だったね?」
「景宗」
「いいじゃないか、佐脇さん。自分の最後くらい聞いておきたいだろう」
佐脇がたしなめるのも聞かず、景宗が笑いをこらえきれないように口を開いた。
「和泉、お前を殺すためだ。苦痛と後悔のどん底でな」
◆◇◆◇◆
「……目的は……俺じゃないのか……?」
家高が意外そうに言った。
「キミはボクの獲物じゃない。佐脇の獲物さ」
景宗がそう言うと、佐脇はいつねさんから離れて家高の前に立った。
「……早紀の復讐か……?」
「それもございます。が、一条家の御ためでもあります」
佐脇は続けた。
「一条家を継ぐのは、貴方よりも家和様がふさわしい」
「……そのことに異存はない……」
「しかし、貴方が生きている限り、一条家は二つに割れ、不安定なままだ」
「……それで……俺を殺すのか……」
「貴方には恨みもある。お覚悟めされよ」
佐脇のその言葉に、家高は静かに目をつむった。
「ダメだよ!」
そこに、いつねさんの声が響いた。
「佐脇さん、ダメだよ! 過去にどんなことがあったかあたしは知らないけれど、人を殺すなんて絶対ダメだよ!」
「いつね様……貴女は何も知らないのです。家高様が過去にどんな罪を犯したのか……」
「罪……? それは、命を以って贖わなければならないほどのものなんですか!? 佐脇さんがその手を汚さなければならないほどのものなんですか!?」
「そうです。家高様……いえ、この男は、私の孫娘をお手つきにし、孕ませ、堕胎させ、死に追いやった――!」
「!?」
いつねさんの表情が驚愕に歪む。
視線は自然と家高に向かった。
「……事実全てではない……だが、嘘でもない……」
家高は消極的にではあるけれど、佐脇の言を認めた。
いつねさんの目が驚きに見開かれる。
「でも、早紀さんに堕胎を厳命したのは、他ならぬ佐脇さん、あなたでしょう」
私も噂でしか知らないことを、冬馬はまるで見てきたかのように言った。
一体どこで聞きつけたのか。
「そうです。私は孫娘にひ孫を殺せと命じました。いえ、命ぜざるをえなかった。一条家に仕えるこの身に、他の選択肢などありえなかった……!」
「家高さんは少なくとも堕胎を望んだりはしなかったし、強要したりもしなかった。早紀さんを追いやったのは、貴方だ。佐脇さん」
「黙れ、若造! お前に私の何が分かる!」
ナイフの切っ先が冬馬に向けられた。
佐脇の目が血走っている。
「孫にひ孫を殺せと告げることが、どれほどの葛藤だったか! 早紀が首を吊ったあの時から、何度この生命を絶とうと思ったか!」
こちらの身が引き裂かれるような怨嗟の声を上げながら、冬馬に詰め寄る佐脇。
「一条家に生まれた者に、恋愛など許されない。恋することこそが
ナイフを眼前につきつけられても、冬馬はこゆるぎもしなかった。
「わからん。あんたの言ってることは全然わからん。でも、あんたがやってることは、ただの逆恨みだ」
「この――!」
「……待て……」
激昂する佐脇を、家高の低い声が止めた。
「……お前の目的は……俺の命だろう……冬馬に手をかければ……お前が娘の命を犠牲にしてまで守った一条家に……致命的な傷がつくぞ……?」
「………………左様ですな……」
長い黙考の末に、佐脇はまた家高の方を向いた。
「あはは、泣けるねぇ……。おっと、こっちも始めようかな?」
景宗がいつねさんの方に近づいていく。
「ちょっと! 貴方の目的は私なんでしょう!?」
「そうだよ? でも、ただじゃあ殺してあげない。自分のせいで友達が傷つけられる様を見ながら、地獄の苦しみと後悔の中で死ぬがいいさ」
「やめて! やめてよ!」
私はもがいた。
けれど、後ろ手に縛られた指はびくともしない。
「どうして!? お父さん!!」
「お父さん? ああ、そうか。そうだったね。キミはボクの娘だった――でも」
それまで笑みを崩さなかった景宗が、急に無表情になった。
「お前なんか、いなければよかったのに」
その目は、決して自分の子どもを見る目ではなかった。
親の仇でも見るかのような、憎悪に満ちた目だった。
「私が何をしたっていうんですか!? あなたたちが勝手に産んで、勝手に捨てて――それなのに、何でこんなことされなきゃならないの!!!」
「キミは知らなくてもいいことさ。さて、手始めにいつねちゃんを汚すことから始めてみようか。ごめんねぇ、いつねちゃん。恨むなら和泉を恨んでね?」
なぶるような口調でそういう景宗を、いつねさんは気丈にもキッと睨み返した。
景宗の手が、いつねさんのブラウスのリボンタイにかかった――その時。
ゴッ!
鈍い音がして、景宗の身体が横に吹き飛ばされた。
紐を解いた冬馬が、握りこぶしを作って立っていた。
佐脇と家高の間には、誠が立ちはだかっている。
実はみんなの指を縛る時、ちょっとした小細工をしたのだ。
一見すると縛っているように見えてその実縛っていない、ロープマジックの基本テクニック。
フォールスノットと呼ばれるものである。
みんなには「縛ってないから」とだけ伝えてあった。
もしもの時に備えていたのだ。
「あ痛たた……。乱暴なことするなぁ、キミ。それじゃあ、ボクもそれなりの対応を取らせて貰おうかな?」
景宗が懐から取り出したのは――拳銃だった。
「どきなよ。いくらかっこつけたって、コレにはかなわないだろう?」
「和泉の身代わりくらいにはなるさ。それに、どうせ弾が入ってないとかそんなオチだろ? 銃そのものよりも、弾の方が入手しづらいらしいからな」
「試してみるかい?」
「やってみろよ」
冬馬に向けられていた銃口が――こちらを向いた。
パン!
乾いた音がして、続いて人が倒れた音がした。
私は座っている。
倒れたのは――。
「いつねさん!」
いつねさんが肩の辺りから血を流して倒れていた。
景宗には、冬馬が組み付いている。
いつねさん――私をかばって――?
続けて四発、発砲音がした。
そして――。
「ぐぅっ!」
最後の一発はくぐもった音。
どうやら景宗自身に当たったようだ。
顔を激しく歪めている。
嬉一が冬馬に加勢し、景宗を取り押さえようとしたが、振り切られる。
「ふぅ……。ちょっと油断したかな? ただの子どもがここまでやるとはね」
「逃げられるとでも思っているのか?」
「ああ。佐脇に逃走路は確保してもらってるからね」
不敵に笑う景宗。
しかし――。
「いえや。私もあなたもこれまでです」
佐脇は景宗の言葉を否定した。
「何を言ってる?」
「ここは包囲されています。そのように手配しました」
「馬鹿な。そんなことをすれば、お前だって――」
「初めから、あなたを逃すつもりはなかった。家高とお前……一条家の障害となりうるものを排斥できそうだと思ったからこそ、お前の誘いに乗ったまで」
「……」
景宗の脇腹の辺りが血で滲んでいる。
出血は……少なくない。
「ふふふ……。ゲームセット……かな? まぁ、行ける所まで行ってみるさ。それじゃあ、バイバイ」
そう言うと、景宗は身を翻してレストランの裏口から出て行った。
「早く、救急車を!」
「もう呼んだ」
誠がスマホの通話を終えたところだった。
「警察にも連絡した。じき、駆けつけるだろう」
「応急処置を――」
「もうやった。落ち着け」
よく見れば、いつねさんの腕の付け根を、紐で縛ってある。
それから救急車が到着するまでの間、私は無限にも思える時間を過ごした。
十六歳の誕生日は、最悪の形で幕を下ろした。
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