第61話 一条家のお家事情。

 私は自習、いつねさんは台本を読んで過ごし数時間。

 夕食の用意が整ったとの知らせが届いたので、二人して食堂へ向かう。


 食堂に着くと、いとこたちは既に席についていた。


「やあ、さっきぶり」

「……」


 相変わらず気さくな笑みを浮かべる家和と、仏頂面の家高。


「ごちそうになります」


 軽く挨拶を済ませて、私たちも席につく。

 ほどなく、祖父母もやって来た。

 伯父は仕事で遅くなるらしい。


 給仕のものが今日はフランス料理だと告げる。

 あぁ……テーブルマナーがめんどくさい。


 食事に先立って、祖父がいつねの滞在について触れた。


「今日から暫くの間、和泉の友人であるいつねさんが滞在される。みな、篤くもてなすように」


 一条の者がみな頷いて食事が始まった。



◆◇◆◇◆



「和泉がお友だちを連れてくるなんて、本当に嬉しいわ」


 祖母が感慨深げに言った。


「孫のお友だちと一緒に食卓を囲めるなんて、本当に夢のよう。ねえ、源一郎さん?」

「うむ」


 祖父も頷く。


「あたしも和泉さんのご家族と食事をご一緒出来るなんて夢のようです。本当に嬉しいです」

「うふふ。ありがとう」


 祖母はごきげんだ。


「学校での和泉はどうだい、いつねちゃん?」


 家和がそんな話題を振る。


「いつも皆の中心にいますねー。仲の良い子たちの中では、とーま君が男子の中心で、和泉さんは女子の中心です」

「そんなこと……」


 事実無根である。


「へえ? でも、入学初日に何やらやらかしたって聞いたけど?」


 人の悪い笑みを浮かべて問う家和。


「あはは。確かにあれはインパクト大でしたよー。でもあたし、逆に興味が湧いちゃって、この子とは絶対に友達になろうって決めたんです」

「ふふふ、そうかい。いつねちゃんは物好きだなあ」

「でも、私の直感は間違ってなかったですよ? 和泉さん、とっても面白いですから」

「聞かせて欲しいわ。和泉のどんな所がお気に召したの?」


 みな関心があったようで、いつねさんに注目が集まる。


「何を考えてるか全然分からないところ、ですね」


 私はカトラリーを落っことしそうになった。


「……それは好ましいことなのか?」


 思わず、と言った感じで、これまで沈黙を守り続けていた家高が問うた。


「はい。何が入っているか分からない宝箱のようなものです。毎回、素敵なものが入っているんですよ」

「……」


 家高は知らないいきものを見るような目で、いつねを見た。


「家高さんも似ているような印象を受けました」

「……俺が?」

「はい。お祖父様と家高さん、いずみさんはとても似ていらっしゃると思います」


 祖父と家高がきょとんとした顔をした。


「うふふ。源一郎さん、家高さん。今のその顔、いつねちゃんの言う通りそっくりよ」

「ですよね?」

「うんうん。いつねちゃんは人を見る目があるわ」


 祖母といつねさんがころころ笑う。

 どことなく似たような雰囲気があるのはこの二人も同じだ。


「……褒められているのか、それは?」


 仏頂面に戻って呟く家高。


「あ。ごめんなさい。お気を悪くされましたか?」

「……いや、そんなことはない。気にするな」

「むしろ喜んでるのよね、家高?」

「……」

「お祖母様、兄上で遊ぶのはほどほどにして下さいよ?」


 家和がフォローに入る。


「からかうと面白いのも、三人に共通する所よね」

「それはお祖母様の悪い癖です。機嫌を損ねると面倒なのも、三人共通なんですから」

「あら、そうだったわね」

「……伊予、家和」


 祖父が軽くたしなめる。

 ……が、満更でもなさそうな所がしまらない。

 厳格な祖父、本当にどこ行った。


「家高さん、家和さんは大学院生ですよね?」

「……ああ」

「そうだよ?」

「ご専攻は何を?」


 今度はいつねさんから話題を振る。


 どうでもいいけれど、ここまでに発言したみんな自然に会話しているのに、テーブルマナー完璧なんだよね。

 私は少し心許ない。


「……経営学だ」

「僕もだよ。ゆくゆくは仕事で必要だからね」

「きっとお二人とも、いずみさんに似て優秀でいらっしゃるんでしょうね」


 その時、それまで和気あいあいとしていた会話の中に、ほんの僅かな空白が生まれた。


「?」

「……俺は……そうでもない」

「ふふふ。謙遜するところも和泉さんそっくり」

「……」


 家高の表情が曇った。


「あ……」


 それをコミュ力の高いいつねさんが見逃すはずもない。

 いつねさんは自分が何か失言したことに気づいた。


「ごめんなさい、あたし何か――」

「大学は何かとややこしいからね。そう言えば、いつねちゃんはどこの大学に進むの?」

「あ……えっと……。まだ決めてないんです。演劇が好きなので、それが学べる大学にしようとは思っているんですけれど」


 絶妙のタイミングで家和が話題を変えた。

 いつねさんも空気を読んでそれに乗る。


「へえ? 演劇か。じゃあ、部活は演劇部に?」

「はい。学園祭では主役を貰ったんですけれど、病欠しちゃって……」

「それは惜しいことをしたね。兄さんは空手部、僕は討論部で――」


 しかしその後、食事が終わるまで、家高は一切口を開かなかった。



◆◇◆◇◆



「……あたし、今度は何か失敗しちゃったよね……?」


 食事を終えて私の部屋に戻るやいなや、いつねさんがしょげた声を出した。

 食事中は笑顔を絶やさなかったけれど、やはり家高のことが気になっていたのだろう。


「ごめんなさい。あらかじめ説明しておくべきでした」


 これは私の手抜かりである。


「家高兄さまと家和兄さまは、微妙な立ち位置にいるんです」

「微妙な立ち位置?」


 いつねさんが首をかしげる。


「一条家は基本的に長男が家を継ぎます。男子が生まれなかった時は、分家から婿を取ることもありますけれど……」

「うん」


 ちなみに祖父はその婿養子である。


「今の一条家当主はお祖父様ですが、そう遠くない将来、伯父に代替わりするでしょう。そしてその次は家高兄さまです」

「うん。それのどこが微妙なの?」


 ここまではいいのだ。


「家高兄さまは決して能力が低い人ではないんですが、何というか不器用な人でして……」

「うーん……。それは何となく分かるけどー……」

「それに比べて、家和兄さまは何事も容量が良くて」

「それも何となく分かるかなー」

「おまけに家和兄さんは飛び抜けて優秀なんです。小学生時代にIQ計ったら百七十五とかいう数字が出たとか」

「うわ、すごい。頭脳はとーま君系かー」


 その冬馬をして「あの人には絶対に敵わない」と言わしめた人物である。

 いかに優秀かお分かり頂けるだろうか。


「そんなこともあって、一条家の一部――特に若手を中心に、将来の当主は家和兄さまにという声があるのですよ」

「えっ!?」


 目下、お祖父様の頭痛の種の一つである。


「お祖父様も伯父様も、将来の当主は家高兄さまと断言してはいるのです。でも、能力を度外視した古い慣習はいい加減やめるべきだという声も無視できないほどありまして……。家高兄さまの立場は非常にデリケートなことになってしまっているんです」

「……」


 もう一つ。

 家高には実はまことしやかに囁かれる悪い噂があるのだけれど、それはいくら相手がいつねさんといえど、おいそれと口にできる内容ではない。


「……でも」

「?」

「でも、あたしなら、家和さんよりも、家高さんの下で働きたいと思うな」

「……どうしてですか?」

「うまく言えない。強いて言えば、いずみんの時と似たような直感」

「……」


 どう返事したものかと逡巡していると――。


 コンコンコン。


 扉がノックされた。


「はい」

「……俺だ。入ってもいいか?」

「!? ……どうぞ」


 噂をすればなんとやら。

 現れたのは家高だった。


「……夜分にすまん」

「いえ、どうされたのですか?」


 家高がこの離れにある私の部屋に来ることなど滅多に――いや、今までに一度もなかった。


「……その……」

「?」


 心なしか、家高の顔が赤い。

 何だ?


「……すまなかった……な……」

「? 何がですか?」

「……せっかくいつねが来てくれているのに……食事の雰囲気を壊してしまった……」


 驚いた。

 家高にこんなフォローが出来るなんて。


「! いえ! そんな! 家高さんは悪く無いです! あたしが無神経なこと言ったから!」

「……そうか……和泉から聞いたか……」

「あ……ごめんなさい」

「……いや、家和の方が優秀なのは事実だ。俺がもっとちゃんとしていれば……済む話なんだ……」


 家高の声に苦渋がにじむ。

 それに何を思ったか、いつねさんが決心したように口を開いた。


「……人って、能力だけじゃないと思うんです」

「……?」


 家高の顔に疑問符が浮かんでいる。


「家高さんは不器用かもしれませんが、優しい方だと思います」

「……そんな……ことは……」

「だって、初めて会うあたしなんかに、こうして頭を下げに来てくれたじゃないですか」

「……」

「家和さんは如才なく誰にでも好かれる方なのかもしれません。でも、家高さんは、限られた人と深く付き合える人だと思います」


 家高の表情が変わった。

 だけど、まだ苦悩は消えない。


「……だが……それでは……人の上には……」

「ふふふ。ねえ、家高さん。こう言ったら失礼ですけれど、お祖父様って家高さんと家和さん、どっちタイプだと思いますか?」

「!」


 なるほど。


「……それは……」

「どうですか?」

「……俺タイプ……だと思う……」

「ですよね? 何も心配いらないですよ。後は家高さんなりにベストを尽くせばそれでいいと思います」

「……」


 家高はまた知らないいきものを見る目でいつねさんを見た。


「……お前は……変なやつだな……」

「えへへ……。よく言われます」

「……だが……」


 そこで一度言葉を切って、家高は私の方を見た。


「……和泉が惹かれた理由が……分かる気がする……」


 そして、家高はほんのりと笑みを浮かべた。


「やっと笑ってくれましたね」

「……すまない」

「いいえ。でも、家高さんはきっともっと笑ったほうがいいですよ。いずみんもそうですけれど」

「……そうか……」


 笑みを浮かべていたことに気が付かなかったのだろう。

 指摘されると、家高はまた仏頂面に戻ってしまった。


「……邪魔したな……おやすみ……」

「おやすみなさい!」

「おやすみなさい」


 そう言って家高は部屋を後にした。


「……私、分かりました」

「なーにー?」

「一条の家の者はみんな、きっといつねさんみたいなタイプに弱いんです」


 祖父、祖母、家高、私――みんないつねさんに「落とされて」いる。


「へ? なにそれ?」

「いいんです。私が分かっていれば」


 男だったら、いつねさんに惚れていたかもなぁ、などと考えて、私は今日二回目のため息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る