第37話 もてるもの、もたざるもの。

「……何のつもりですか」


 柴田先生に楽譜を預けた後、残暑厳しい帰り道で、私は不機嫌さ丸出しの声で誠に呼びかけた。


「何もこうもない。歌詞をつけたのはお前だろう」

「だから、なぜそれが私が歌うことに繋がるんですか」


 その役割は『チェンジ!』の主人公のものだ。

 彼女には作詞の才能があり、それを偶然目にした誠と懇意になる。

 そして、歌を一生懸命練習して、バンドのボーカルとして一緒に学園祭に出るのである。


 決して、悪役令嬢たる和泉の役割ではない。


「お前の声に惚れた」

「!?」


 まっすぐ見つてくる眼鏡越しの視線に思わずたじろぐ。

 言葉を選んで欲しい。

 勘違いしそうになるじゃないか。


「お前にはボーカルの才能がある。バンドに加わって欲しい」

「お断りします」

「なぜだ」

「注目を浴びたくないんです」


 私は静かに生きたいのだ。


「一条家の令嬢が目立ちたくないとは」

「一条の人間である前に、私は私ですから」


 元の和泉だって、冬馬関連では異様なほどの積極性を見せたけれど、それ以外は一方後ろに下がってしまうタイプだった。


「どうしてもダメか」

「こうして護衛をして頂いているのに申し訳ないとは思いますが」

「それは気にしなくていい。好きでやっていることだ」


 だから言葉に気をつけろと言うに。

 もしかして誠は天然たらしなのだろうか。

 寡黙武士だと思っていたのに。

 あぁ、ギャップに萌えるのかもしれない。


「どうしても嫌だというならボーカルは諦めるが、ナキの説得には協力してくれ。俺よりも和泉のほうが親しいだろう」

「そんな事実はどこにも無いのですが……」


 ナキとの距離は誠のナキに対するそれと同じくらいだと私は見積もっている。

 さすがに冬馬との距離は近いと言う他ないけれど。


「まだ時間はあるな。説得するなら早いほうがいいだろう」


 誠はスマホを取り出すとナキの番号にかけた。



◆◇◆◇◆



「せっかくデートの予定やってんのに、なんや大事な用って」


 言うほど不機嫌そうでもなく、ナキは食堂にやってきた。


「急に呼び出してすまん」

「ホンマや。和泉ちゃんがおらなんだら、絶対に来ぃへんわ」


 さり気なく私の隣の席に座るナキ。

 ナキは女性相手なら誰にでもこういう台詞を吐く。

 勘違いはしない。


 誠と私は一瞬目を見合わせる。

 誠が頷き、交渉の端緒を開いた。


「俺と一緒に学園祭に参加して欲しい」

「はぁ?」


 鳩が豆鉄砲をくらったようにきょとんとするナキ。


「誠くんのバンドが有志で学園祭のステージに上がるので、ナキくんも一緒にバイオリンで参加して欲しいんです」


 端的すぎる誠の申し出を補足するように、私は付け足した。


「なんや、藪から棒に。そないなこと、自分らで勝手にやったらええやん。何でわいが参加するいう話になるん?」

「柴田先生から持ちかけられた」


 誠の一言に、ナキは露骨に顔をしかめる。


「……そういうことかいな」

「ナキくん、あなたのバイオリンは素晴らしいものだと聞きました。私も聴いてみたいです」


 私からの言葉など大した後押しにならないとは思うけれど、これくらいは言っておかないとダメだろう。


「そらおおきに。でも、堪忍してや。バイオリンはもうええねん」


 そう言ったナキの口元には自嘲の笑みが浮かんでいた。


「先生の娘さんのことが、そんなに堪えたか」


 誠が直球どストレートをついた。

 この人はもうちょっとデリカシーのある言い方が出来ないのだろうか。


「関係あらへんよ。あれは柴田の奴が勝手に思い込んでるだけや。わいはただ単に飽きただけや」

「飽きるなどという程、その道を極めたとでも言うのか」


 誠の言葉にははっきりとトゲがあった。


「なんや。やけに絡むやん。別にそんなやあらへん。極めたとかどうとかかたっくるしいこと考えてないわ。飽きた。それだけやね」


 肩をすくめてみせるナキの表情に、嘘は見つけられなかった。


「バイオリンより女の子と遊んでる方が楽しいわ。和泉ちゃん、この後暇なん? 予定ないんやったら遊ばへん?」


 軟派にへらっと笑うナキ。

 いつものナキだ。

 軽薄でチャラくて女の子が大好きな、どうしようもない男。


「そうか。分かった。この話は聞かなかったことにしてくれていい」

「誠くん、でも――」

「音楽に飽きたなどという奴と、一緒にステージに上がりたくない。迷惑だ」


 誠はいつにもまして仏頂面である。

 彼は音楽に対してはどこまでも誠実な男だ。

 今のナキの態度は許せなかったのだろう。


「先生には悪いが、こんな男とセッションは出来ない」

「ハハ、嫌われたもんやな。真面目君は疲れんのかね」

「詩織……といったか。彼女も浮かばれんな」

「……なんやと」


 誠の無念そうなつぶやきに、ナキの表情が堅いものになった。


「すべてを彼女のせいにして逃げている。彼女はもう弾きたくても弾けないというのに。お前には、まだその両手があるというのに」

「せやから、詩織のことは関係ない言うたやろが!」

「ナキくん!」


 テーブル越しに掴みかかろうとするナキを、私は慌ててなだめた。

 

 誠はナキの軽薄さに怒っているのではなかったようだ。

 かつてともに音楽の高みを目指していたという詩織さんの無念を思って憤りを覚えたのだ。

 でも――。


「誠くん、言葉が過ぎます。ナキくんと詩織さんのことは、第三者が軽々しく触れていいことではないでしょう」

「知ったことか。才能のある者には義務がある。才能のない者や道半ばにして立ち止まらざるを得なかった者たちの思いを背負う義務が。才能とは尊いものだ。それを無駄にするような奴を、俺は許せない」


 誠はまるで虫を見るような感情のない目でナキを見た。


「なんや偉そうに。気分わる。帰らせてもらうわ」


 不機嫌さを隠そうともせず、ナキは席を立つ。

 そのまま食堂を出ていこうとするナキの背中に、誠は言葉を放った。


「ナキ。お前の両手は、バイオリンは、そんなに簡単に捨てられるものなのか」


 ナキは一瞬立ち止まり肩越しにちらりとこちらを見たが、そのまま食堂を出て行った。

 二人の迫力にたじろいでいた私は、呆然としながらその背中を見送るしかなかった。


「……いいんですか?」

「ナキが真の音楽家なら必ず立ち直る。あれだけ言ってダメなら、ナキはそこまでの男だったということだ」


 悟ったようなことを言う誠に、私は正直反感を覚えていた。


 音楽を志すということがどういうことなのか、私には分からない。

 才能ある者の義務という誠の言い分もある程度は頷ける。


 でも、想い人への情念というものは、理屈ではないのではないだろうか。

 簡単に捨てられるものなのかという誠の問いかけに対して、ちらりと振り返ったナキの表情に私は確かに見た気がしたのだ。


(簡単に、な訳がないだろうって)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る