「通りの神秘と憂鬱」二

 早朝の喫茶店、世界が速度をあげて活動し始めていた。僕は彼女の話を聞きおわり冷めたコーヒーを口にする。返事はもう決まっている。


「リリイちゃん、俺にできることはそんなに多くないよ。つまりは突然出会った人を殺すなんてことは俺にはできない」


 彼女は落ちついていた。


「そうですよね、頭おかしいですよねわたし。なんでこんな話し突然してるんだろ。わたし少し気が動転して……」


 彼女は深く息を吸った、心を押し殺すように。


「すいませんでした!見ず知らずのわたしの話を聞いていただいて。少しですけど気が楽になりました、今日の話しは……すいません忘れてください」


 そう言って彼女は席を立とうとした。


「まあ待って」


 僕はそれを制止する。慌てず、慎重に彼女の落胆をゆっくりと持ち上げるように。


「出来ることは多くない、けれど何も出来ないわけじゃない。だからもう少しお話し続けてみようか」


 彼女は少し戸惑いながらも、結局は席に着いた。


「あの何か出来ることがあるんですか?でも、わたし……」

「リリイちゃん君のことは殺せない、けれどもう一人のリリイちゃんや本来のリリイちゃんを探す手助けはできるかもしれない」

「本当ですか?でもどうしたら、だってわたし自分のこと思い出せないし、それにこの身体の持ち主も反応ないし」

「だから、もう少しお話し続けてみよう。あっ、その前にコーヒーお代わりして良いかな?」


 僕は新しいコーヒーを頼み、彼女の目を見た。


「まずは俺に出来ることを先に話そうかな、そしてね、この話もリリイちゃんの物語並みに荒唐無稽こうとうむけいなお話しなんだ」


 彼女も目を離さない。


「はい、今はどんな話でも何かきっかけになるかもしれないなら、聞かせてください」


 新しいコーヒーがやってくる、まだ熱い。僕はその熱を口の中に入れ刺激を与える。

 カフェインが優柔不断であった僕の脳をくっきりとした造形に戻していく。そして僕は口を開く。


「俺の出来る事一つ目は君のお話し、つまりリリイちゃんのを聞くことが出来る。だからこの後もう少しだけ君の物語のヒントをもらおうと思う」


 彼女は黙って頷く。


「二つ目は君のことをすることができる」


 この時の彼女の顔は写真に残したくなる表情だった。びっくりしたような、困ったような、魚を咥えたネコがばったり主人に見つかったような顔。


「演出……ですか? それってどういう……」

 明らかに戸惑っている。

「ふふ、演出は演出だよ。舞台や映画に立つ役者さんの動きをつけたり、特殊な効果のタイミングを決めたりする、あの演出さ」

「それが、山水やまみずさんのできること……」

「そう、それに演技指導もだね。シーンに則した役の感情、台詞、動きそれらを役者に見合った形で落とし込む」


 彼女はまだ要領を得ていないようだ。それもそうだろう。しかし僕は構いなく続けて語る。


「リリイちゃん、良い演技っていうのはどんなものだと思う?」

「えっとそれは、役が乗り移ったようなその役になりきったような演技とかですか」

「そうだね、大抵の人はそう答えるね。でもね実際は役が乗り移ったりはしないんだ、成り切ることはできるかもしれないけどね。でもなろうなろうと思って役に成り切ることなんかできないのさ、自分でなろうと思っているのだからそれは決して他者ではない」


 彼女はおし黙る。自分の事を考えているのかもしれない。僕は続ける。


「そんな風に役になれるのは精神を病んでいるか、はたまた、僕は信じていないがそういうことが出来てしまう圧倒的な天才だけだね」

「それじゃあ山水さんが思う、良い演技っていうのはなんですか?」

「観ている人が信じてしまう演技さ」


 彼女はキョトンとする。


「観ている人が信じるですか」

「そう、自分が役になるのを信じるんじゃない、観ている人が目の前の役を信じてしまうんだ」

「なんか言葉に騙せれているみたいです」


 彼女の素直な言葉が面白い。


「例えばね、『』という台詞を本当に愛した状態で言わなてもいいんだ、ふと明日ディズニーに行くんだよなーとか考えながら、口に出した台詞『』の方が強烈なインスピレーションを観ている人に与えたりするんだ」


 彼女が納得した様子はない。もちろんそれで構わないのだが。


「他にも必死に自転車を漕ぎながら台詞を言ってもらっても良い、なんて事を忘れるくらい必死にね」

「それって役者の職務放棄じゃないんですか」

「それは手厳しいね、でもねどうやら雑念や余白、予定調和でない感情やタイミングそういった矛盾の方がこの世界にはむしろ真に迫って映るということがあるんだ。虚構の中にある虚構故の真実というかね」

「そうなんですか……それを山水さんが演出する……わたしに」

「そう、それが僕に出来る二つ目」

「まだあるんですか、出来る事」


 彼女がおずおずと訊く、僕は自信を持って頷き決めの台詞を吐いた。



「三つ目はその姿を、一番美しい姿を切り取ることができる」


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