「手術台」

「わたしを、殺してください」


 彼女は確かにそう言った、大きな目で真っ直ぐ僕を見て。名前はリリイ、十六歳、女子高生、さっき電車の中で会った少女。


 不覚にもドキッとした。

 人の本気、本音、本心は冗談だとしても心臓にずしんとくる。

 返答に詰まった僕を見て彼女はまた口を開こうとした。


「あの……」

「ちょっとまって」


 すかさずその言葉を止める。情報が少なすぎる。驚きはしたが、そのままの意味に取るのは早計が過ぎる。


「穏やかじゃないね、殺しては」

「はい、そうなんです。でもそうなんです」


 彼女自身目的を口に出したはいいが、少し混乱しているのだろう。


「順序だてて説明してもらっても良いかな?殺してください、はいいいよ、とは流石にならないし、君を助けるということに手を貸せるかどうか今のじゃわからない」


 いい大人が焦って言葉を返す。しかし恥ずかしがっている場合じゃない。なにより興味を持ってしまった、彼女のその一線を超えたお願いに。いや、そんなお願いをする彼女にだ。


「はい、えっと上手く説明出来るかわからないですけど」


 どうやらただの死にたがりではないようだ、理由があり、原因がある。ただの死にたがりというのも会ったことはないが。

 彼女はさっきと同様真っ直ぐに僕を見据え話し出した。


「私はわたしじゃないんです」


 彼女の目は笑っていなかった。


「いつからかは覚えていません、でも日本に来てからだと思います。五才までアメリカにいてその後日本に来ました、私がわたしじゃないとはっきり感じたのは三年くらい前です、でもその前から違和感は感じてました」


 多重人格や夢遊病の類いの話だろうか、それともストレス性の人格解離だろうか。自分が自分ではないと感じるということは今の時代ものすごく珍しいというわけではない。

 言葉を選び慎重に聞いてみる。


「自分自身の他に自分の中にもう一人別の自分自身がいるみたいなことかな」


 まったく大した言葉のセンスだ。

 彼女は気にも留めず答える


「多分違います、どうやらわたしは彼女、えっとわたしの身体とは違う彼女の身体に居ついてしまっているみたいなんです。あれ?合っているかな、わたしの身体とは違うわたしが別の身体にじゃなくて、えーと……」


 側からみると微笑ましく不謹慎ながら面白いほどに困った顔をしている。しかし真剣なはずである。

 思わず口を挟む。


「つまり、リリイちゃんがAだとしたらリリイちゃんの身体は実は別のBの人の身体だったってことかな」


 彼女は大きく頷く。


「そうです、そうですわたしのリリイの身体は本当はBのリリイなんです、なのにどうしてか今わたしは彼女の身体で暮らしているんです。それもずっと」


 まるで精神を乗っ取られた、いや乗っ取ってしまったという話か。


「それじゃ例えば元の自分がいた場所とか覚えていたりするの?逆に本来の身体の持ち主が出てきたりとか」

「元の身体の記憶は無いです、でもここじゃないどこかでわたしのすべき事というのがあった気がするんです。思い出せないけど。それに本来の身体の彼女が出てくるということもありません、でもこの身体の中に眠っているのは感じるんです、でも、だからこんな話しは誰も信じてくれなくて」


 それはそうだろう、僕もこんな話をいきなりされて全て信じるかといえばノーだ。しかし、例えばこの話がどこに着地するのかというのは非常に興味がある。それが何故「殺してください」なのか。


「それで疑問なのだけれど、君を助けるというのは目の前にいるリリイちゃんを助けるということでいいのかな、本来の持ち主ではなく」

「どっちも助けてください、リリイの身体もリリイ自身も」

「ややこしいのだけれど、リリイちゃんの身体を助けるということは、俺と話しているリリイちゃんが居なくなれば本来の持ち主が目が覚めるみたいなイメージで、リリイちゃんを助けるというのは本来の身体を探してどうにかしなくちゃいけないという事なのかな」


 最初からややこしかったがだんだん分からなくなってきた。


「そうだと思います。確証も何もないですけれど。でもそのためにはまずわたしを殺すなりして身体からどけなくちゃいけないんです、きっと」

 彼女は続けて言った。

「いつまでもわたしがこの身体にいちゃいけないんです。本来の持ち主は眠りっぱなしで、わたしずっと人の身体を操っているみたいで、悪いことしているみたいで、だってこれって他人の身体の時間奪ってわたしが生きているってことで、それって凄くずるいことで」


 彼女の目から涙が溢れそうだった、自分のものではない身体を自分が生きる為に使い続けるというどうしようもない罪悪感。

 そんな罪悪感は捨てて思いっきり人生を謳歌すればいいのだ本来は。

 わたしの身体が私じゃないなんて気づかないほどに喜び、楽しみ、哀しみ、怒り、笑えばいいのだ。

 簡単なことだ。みんなそうやって生きている必死に、どうしようもなく、なんとなく。

 でも気づいてしまったのだろう。そして、解決できるかもしれないと信じてしまったのだろう。



 だから僕と出会ってしまったのだろう。



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