第12話『スーパー銭湯にて』

妹が憎たらしいのには訳がある・12


『スーパー銭湯にて』    




「じゃ、ちょっと行ってくる!」


 そう言って親父はアクセルを踏んだ。バックミラーに写る幸子とお袋の姿が小さくなっていく。



 男同士の話がしたい。


 そう言って、俺を車で十分ほど行ったところのスーパー銭湯に連れ出した。



 これは、かなり異例なことだ。親父は結論しか言わない人だ。一月前、お袋と復縁するときも、そうだった。そして、それ以前のいろいろも。


 幸子のことだろうと察しはついた。お袋も、そうだろうと思ったはずなのに、いぶかる風はなかった。

「まあ、今夜は男同士、女同士ってことで」

 女同士といっても、お袋の前では、幸子はプログラムされた娘を演ずるだけだ。お袋はボクとお父さんに託したいことがあるのかも知れない。


 人気の岩盤浴やジャグジーは避けて、この時期には人気のない露天風呂に入った。

 親父は慣れた様子で、前も隠さず露天風呂に向かった。

 露天風呂に続くドアを開けたとたんにブルってしまった。まだ四月の初旬、外気は冷たい。

 親父はザッとお湯を前にかけると勢いよくお湯に漬かった。


「太一も早く来い」


 俺は、お湯を被って「アチチ」、お湯に片脚漬けただけで「アッチチ」

「一気に漬かるのが醍醐味なのにな」

「俺は、猫舌、猫肌、猫なで声がモットーなんだよ!」

「そりゃ、営業職に向いとるなあ」

「どうしてさ」

「営業ってのは、あんまり派手じゃだめなんだ。相手に合わせて一歩遅れてるぐらいの可愛げがなきゃ勤まらん。そうやって、じんわりお湯に身を慣らしていくようにな」

「なんだか人生訓だね……」


 この段階で、やっとお湯の中で膝立ち……。


「オレは、営業ってのは、常に、相手の先手を取ることだと思っていた。この風呂にザンブリと入るようにな。でも、それじゃダメなんだと分かったときには大阪支社に回された。それも総務でな。完全な左遷だと思ったよ」

「それで、お袋と別れたんだろ」


 ここで、やっと胸の下。


「ああ。だけど、オレは、大阪でがんばって営業に戻って、成績をあげれば、また東京に戻れるとタカをくくっていた」

「いまでも、総務じゃん」

「ああ、今は総務で満足してる。高橋さんて人がいてな、その人が、こう言ったんだ『営業ってのは、航空母艦に載ってる戦闘機みたいなもんだけど。総務ってのは、その戦闘機がいつもベストなコンディションで発艦できるようにしてやるクルーみたいなもんだ』ってな。そう言われて高橋さんの仕事を見てると、まさにそうなんだ。若い営業が新規の飛び込みに行くときなんかは、いったん引き留めてな、バカな話をしたり、靴なんか脱がせて足裏マッサージしてやったり……」

「なんか、地味なカウンセラー……」


 やっと、首まで漬かったけど、体はガチガチ、湯が噛みついてくる。


「おれもな……」

「う、動かないでよ。お湯がこっち来て噛みつくんだ……」

「ああ、すまん。まあ、そうやってホグして送り出してやる。名人芸だったな……そのうち、大阪で営業に回されたけど、自分で総務に戻った。ちょうど幸子が最初の事故に遭ったころだ」

「で、幸子がサイボーグになるのを……その……受け入れたんだね」

「ああ、お母さんはパニクっていたけどな……オレは、これを受け入れるしかないと……こういう気持ちを放下(ほうげ)っていうんだ。任せると思ったら、完全に力や疑いを捨てて任せることだ」

「で、今日に至っているわけ……」

 俺の言葉に、親父はノンビリと、でも敏感に反応した。

「放下というのは、バカになって放棄することじゃない。その先に待っているリスクも含めて、しっかりと、そしてヤンワリと受け止めることだ」

「親父は、受け止められた……?」

「そのつもりだったけどな。今日の自分を思い返すと、まだまだだ……この先、何がおこるか分からん」

「この先……?」

「考えてもみろよ。たとえ幸子という少女の命を救うためだとは言え、おかしいだろ、厚労省のトップまで絡んでいるんだ」

「ああ、今日口止めにきた」


 このとき、湯気の向こうで女性の悲鳴があがった。一瞬ボクたちが間違っているのかと思った。


「お嬢さんたち、女湯は隣りだよ」

「す、すみません!」

 怒っているのか、謝っているのか分からない感じで、女の人たちが前を隠して行ってしまった。ボクはプリンプリンのお尻が三つ揺れながら脱衣場に消えていくまで観てしまった。

「ハハ、幸子の裸を見たぐらいじゃ、免疫にはならんなあ」

「幸子の方が、プロポーションはよかった」

 バカな答えをした。

「良すぎるとは思わないか?」

「え、プロポーション!?」

「バカ、幸子の全てだよ。バックで国が動いているらしいこと……なにより、幸子の義体の技術は、この時代のものじゃないと思う」

「それって……」

「それ以上は分からん。これからなにが起こるかわからんが、しっかりと、でもヤンワリと受け止めていくことだな。まあ、多少ヘンテコな妹を持ったと思って、ユッタリ、ドッシリとやってくれや……」

 そういうと、親父は、片側のお尻を軽く持ち上げた。ポワンと大きな泡が浮かんで弾けた。

「く……臭えなあ!」

「すまん。すっかり緩んじまった……」


 この会話が聞こえたのか、隣の露天風呂で、さっきの女の人たちの笑い声がした。

 お湯は、ようやく体に馴染んで噛みつかなくなっていた……。

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