人間の成れの果て

 赤い光の眩しさに目を閉じて、僕が再び目を開けると。

 そこはゲヤゲ島の上にあったのと同じような、小さな木造の小屋の中だった。

 だが部屋の中は薄く魔法灯が灯っているだけで、ひどく暗い。窓にもカーテンが掛かっているようだ。


「う……」

「こ、ここが……?」


 僕達四人が部屋の中をキョロキョロと見回していると。部屋の窓のところにイルムヒルデがくっついているのがうっすら見えた。外の光に彼女の顔が僅かに照らされている。


「イルムヒルデさん?」

「どう――」

「シーッ」


 僕とアリーチェが声をかけ、ようとした時。イルムヒルデがくちばしの前に羽の指部分を一本立てた。表情は殊更に険しい。

 そのまま、彼女が自分の方へと手招きしてくる。恐る恐る彼女のいる窓のそばに寄って、彼女が小さくめくり上げたカーテンから、外を覗く。

 と。


「こ……」

「これって……!」


 そこはまさしく、地獄と呼ぶにふさわしい様相だった。

 地面は真っ赤に染まり、乾いた風がその表面の砂を巻き上げて竜巻を起こす。さらにその地表の各所で赤々と炎が燃え、外に元々あっただろう家々や畑が、見るも無残に破壊されていた。

 そしてその村だったものを闊歩する、おぞましい生き物たち。獣種、海種、竜種の魔物がごちゃまぜになり、一つの生き物として合わさったかのような、獣と魚と爬虫類の特徴を全て併せ持つ生き物が、口の端からよだれと炎を垂らしながら歩いていた。

 と、いつの間にか部屋の中が明るくなっている。部屋の中のどこかにいたらしいディートマルが、こちらに近づいてきていた。


「……結界に手を加えました。あれらの魔物から、この建物の中は見えませんし、音も聞こえません」


 ディートマルに頷きながら、イルムヒルデがカーテンをそっと開く。カーテンを開けても外の怪物がこちらの存在に気付いた様子はない。まるでこの小屋がそこに存在しないかのような振る舞いだ。

 ふっと息を吐き出しながら、イルムヒルデが口を開く。


「この小屋はルピアクロワ側の小屋と同様、結界になっています。さすがに外の魔物・・達も、破壊することは出来なかったようですね」


 その言葉に、アグネスカとアリーチェが揃って息を呑んだ。

 魔物。あのとんでもない姿の生き物が、魔物だなんて。


「魔物……って、あれが、ですか?」

「あんな、おぞましい生き物が……」


 信じられないと言わんばかりの二人に、ディートマルが小さく首を縦に振った。


「はい、ルピアクロワに生息する魔物とは性質が大きく異なります。怪物、と申し上げてもいいでしょう。ですが確かに、あれは魔物の範疇に入るのです」

「キマイラという、悪種の魔物です。何体もの魔物が混ざり合い、一つになって生まれた存在……」


 彼の言葉の後を継いで、イルムヒルデも話し始める。外を歩くキマイラを、憂うように見つめる彼女だったが。


「と言えば、聞こえはいいですが。この禁域にいるものは、それとは異なります」

「えっ?」


 不意に発せられたその言葉に、僕が思わず声を漏らす。

 何体もの魔物が混ざりあった魔物、というだけでもおぞましいのに、それとは異なるとは、一体どういうことだろう。

 するとイルムヒルデは、僕と、信じられない表情で外を見つめているマドレーヌに目を向けながら、小屋の中をゆっくり歩きつつ話を始めた。


「ダヴィド様、エイゼンシッツ様。オーベルタン様がヴァンド森の神域を発つ前日に、こう申し上げたのを覚えていますか。『禁域に住まわれている邪神の信徒の皆さんが、無事でいると思いますか?』と。そして私が『否です』と答えたことを」


 彼女の言葉に、僕は昨日の屋敷での会話を思い出す。確かにリュシールがそんなことをイルムヒルデに問うて、イルムヒルデが首を振っていた。

 あの話で話題に上がっていたのが誰か、を思い出して、僕ははっと目を見開く。


「えっ……」

「……まさか」


 マドレーヌも同様に、今の言葉が何を意味するかを理解したらしい。顔からさっと血の気が引いていた。

 まさか。そんなこと、考えたくもないが、もしかして。

 僕の、嘘であってくれという期待を裏切るように、イルムヒルデは険しい顔付きでそう言った。


「はい、恐らく、あのキマイラ達はこの禁域に住んでいた邪神の信徒の・・・・・・成れの果て・・・・・。エスメイによって極限まで『器』を変質させられ、その存在を歪められた、悲しい生き物なのです」


 彼女の言葉に、僕だけではない、アグネスカも、アリーチェも、イヴァノエも。更にはマドレーヌとギーも、驚きに目を見開いた。

 あの生き物たちが、元は人間種ユーマンだったなんて。あんな、理性の欠片も無くしてしまったような、恐ろしい生き物が。

 アグネスカは文字通り言葉を失っていた。イヴァノエも顎が外れそうになっている。僕も僕で、僅かな言葉を漏らすので精一杯だった。


「そんな……!」

「酷いですね……だって、降臨してからたったの・・・・数ヶ月でしょう?」


 ギーが力なく言葉を発しながら頭を振る。エスメイが降臨したという青の月から今月、紫の月まで、四ヶ月しか経っていない。

 その四ヶ月の間に、ここまで村を、禁域を破壊したというのなら恐ろしい。


「そう、たったの・・・・数ヶ月です。その数ヶ月の間にここまで暴虐の限りを尽くした。この禁域の村……ゲヤゲ村と呼ばれていましたが、もう原型を留めないくらいに破壊した。村を破壊したのは当然、魔物と変じた村の信徒の皆さんです」


 そう話しながら、イルムヒルデが力なくため息を吐いた。この中で元のゲヤゲ村の姿を知っているのは彼女とディートマルだけ、それも十数年前の話だ。だが、エスメイが降臨するまで、この村が平和な時を過ごしていたことは想像に難くない。

 イルムヒルデが顔を上げた。その表情は悲哀に満ちている。


「お分かりになりましたでしょう。エスメイがどれほど残虐な神か。これを野放しにしていたら、間違いなく世界に害を及ぼします」


 彼女の言葉に、この場にいる全員が真剣な面持ちになった。こんなことをこんな短期間の間にしでかす神だ。三神教会が危険視し、僕が動けるようになって即座に派遣を決めるのも当然のこと。こんな暴挙、放置していてはいけない。

 と、僕の前にゆっくりと歩み寄ってきたイルムヒルデが、そっとかがみ込んだ。そのまま僕と目線を合わせ、頬に優しく触れる。その表情には、不安の色が見て取れた。


「ダヴィド様方、もし外に出るのが恐ろしいということでしたら、ここでお待ちいただいても結構です。この小屋の中でしたら、魔物は入ってまいりません。エスメイも三大神の力の働くこの場所には手出しをしてこないと思います……確証は持てませんし、裏を掻いてくるのがあの神なので、危険はございますが」


 彼女の発言に目を大きく見開く僕だ。つまり、ここに残っていてもいい、と言っているのだ。

 確かに、僕とアグネスカはこの面々の中で特に戦闘能力が低い。冒険の経験値も少ない。こんなとんでもない空間に飛び出して一緒に神に相対するよりは、この小屋の中に閉じこもっていた方がいくらか安全だろう。

 ただし相手は神だ。その名を知られた邪神だ。この小屋が本当に安全だという保証はないし、イルムヒルデ達が外に出て、僕とアグネスカだけになった時を狙って襲ってこないとも限らない。

 結局は、皆と一緒にいるほうが安全なはずなのだ。だから、僕は首を横に振る。


「いえ……行きます」

「はい。マドレーヌ様とイルムヒルデ様を危険にさらして、私達だけが閉じこもっていていいはずがありません」

「そうですよぉ、それに、私とイヴァノエさんがいればそれだけ戦える人数も増えますもの!」

『俺も行くぜ。こんな場所に閉じこもってるなんざ、伴魔としての名がすたる!』


 アグネスカも、アリーチェもイヴァノエも、気持ちは同じようだ。

 僕達四人の答えを聞いたイルムヒルデが、小さく笑う。そして立ち上がると、他の面々に目を向けつつ翼を伸ばした。


「いいでしょう。では、私が先頭に立ちます。アリーチェ様はこちら、ギー様はディートマルの隣に。マドレーヌ様、エリク様、アグネスカ様は真ん中へ……イヴァノエ様はエリク様についていてください」


 彼女の指示に従って、僕達は隊列を整える。先頭にイルムヒルデとアリーチェ、最後尾にディートマルとギー。そして真ん中前列に僕、イヴァノエ、後列にアグネスカ、マドレーヌが二列ずつで並ぶ。

 この体勢を維持しながら調査をしていく形になるわけだ。いざという時には真ん中の四人を囲むように前後の四人が展開する。この禁域では何が起こってもおかしくない。最大の注意を払ってもなお足りないのだ。

 先頭のイルムヒルデが小屋の扉に手を触れる。表面に光が走り、鍵が外れた音がする。ドアノブを力強く握った彼女がこちらを振り返って。


「では、結界を解きますよ。いいですね?」


 全員がこくりと頷いたのを確認して。

 イルムヒルデの手が勢い良く、小屋の扉を内側に引いた。

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