神と人と獣と迎える朝
閉じた瞼の上から、陽光が僕を照らしてくる。
顔が仄かに熱を帯び、覚醒し始めた僕の耳へと聞こえてくる、鳥の囀りと寝息が二つ。
ゆっくりと目を開いた僕は、身体の両側から抱かれるようにして、獣毛と柔らかい膨らみに挟まれていることを認識した。
確か寝る前に、イヴァノエが枕代わりになってくれたのは間違いないから、後頭部が柔らかい獣毛に受け止められているのはいいのだけれど。
小さく身じろぎをするが寝返りが打てない。身体も起こせない。なので視線だけを巡らせた僕は目を見張った。
「……え??」
まず僕の右側、顔のすぐそばにあるのは、すやすやと穏やかな表情で眠る、明るい茶色の毛を持つ山猫の顔。
左側に視線を向けるとこちらには、ぐっすりと深い眠りに堕ちている、銀色の体毛に青い紋様が浮かんだ狼の顔。
二人が僕を両側から抱き竦めるようにして、一緒に寝息を立てていたのだ。
ともあれ二人を起こさないとどうにもならない。僕はゆさゆさと自分の体を揺すった。何しろ両腕も抱かれていて動かせないのだ。
「ねぇ、アグネスカもアリーチェも起きてよ、朝だよ。起きないと動けないよ」
「んむ……あ、おはようございます、エリク」
「ふぁ……おはようございます、エリクさん。よく眠れましたか?」
『んっ、ふわぁぁ……んだよ、もう朝かよ……』
僕が身体を揺することで、右側のアグネスカも後方のイヴァノエも、そして左側の
二人と一匹は揃って欠伸をして、ぐっと身体を伸ばしている。
神獣人の彼女は、僕とルドウィグとリュシールの三人で話し合った結果、元となったアリーチオの名前を尊重し、『アリーチェ』と名付けられた。伴魔ではあるが同時に僕の家族でもあるので、『アリーチェ・ダヴィド』というフルネームも持っている。
彼女の自称の年齢は200歳とちょっと、とのこと。元となったアリーチオの年齢は聞いていないのであれだけど、神獣とはそんなにも長命な生き物なのだろうか。
僕はゆっくりと状態を起こしながら、未だイヴァノエの腹に頭を横たえたままの二人に視線を落とした。
「眠れたけれど……なんで二人揃って僕を抱き締めて眠ってたの? おかげで身体が痛いんだけど」
「何を今更、エリクは昔から私に抱き着いて眠っていたでしょう。アグネスカと一緒に寝る、と何度言われたことか」
「一緒に寝ようとしたらアグネスカさんと抱き合って眠っていらしたので、伴魔としては少々心に来るものがありまして。気が付いたら一緒の布団に潜り込んでいました」
ふん、と鼻を鳴らして僕の足に身体を擦り付けるアグネスカと、尻尾をパサリと振って恥じらうアリーチェ。
二人は何やら僕の背中越しに視線をぶつけ合いながら、互いに牽制し合っているようだ。バチバチと火花が散る音が聞こえる、ような気がする。
「新参者のくせに生意気です、アリーチェ。ダヴィド家での序列は私の方が貴女よりも上なんですから、先輩を立てなさい」
「でも年齢は私の方が何倍も上ですし? 私はエリクさんの
「ぐぬぬぬ……」
「ぐぬぬぬ……」
『おいコラうるせぇぞ姉二人!! とっとと起きて俺から離れろ畜生め!!』
イヴァノエの上に頭を預けたままで歯を食いしばり始めた二人に、青筋を立てた顔をぐいっと持ち上げてイヴァノエが怒鳴った。
アグネスカもアリーチェも、しぶしぶと言った具合に身体を起こして立ち上がる。勿論、二人して僕にくっついて、だ。
「はーい。さぁエリクさん、朝ご飯食べに行きましょう朝ご飯」
「そうですね、お腹が空いては建設的な議論も出来ません」
「あ、うん……イヴァノエはいいの? 朝ご飯」
『俺はいい、朝は生肉に限る。
二人に引っ張られるようにして立ち上がった僕が後ろを振り向くと、イヴァノエはフンと鼻を鳴らして再び地面に顎を付ける。
やっぱり、彼の徹底した生肉主義はこの先も変わりそうにはない。大丈夫かな、とちょっと心配になってくる。
昨日まで
ちなみに
テーブルの上には全粒粉を用いて焼かれた丸パン。大皿に載せられた、丸のままローストされた
人の住まない山の中で食べられるとはとても思えないほどに、豪勢な朝食が並んでいた。
「おはようございます」
「おはようございます、領主様」
「おはようございます、エリク殿、アグネスカ殿、アリーチェ殿。先程ちょうどパンが焼けたところですよ」
朝の挨拶をした僕達に真っ先に微笑みかけてきたのはヴィルジールだ。
地面に置かれた椅子代わりの石の上に腰掛けつつ聞くところによると、テーブル上の丸パンも、ローストされた
「すみません、西の王様自ら用意していただいて」
「なに、毎朝の日課ですからな。聖域に派遣する
「パン作りはエクトルにも仕込んでおったが、教育の手間が省けるのはありがたいことじゃなぁ」
ヴィルジールに頭を下げると、彼は誇らしげに胸を張った。よほど手作りのパンに自信があるらしい。
聖域では主に毎食のパンを焼くのはエクトル一人の仕事だったが、今度からはアリーチェ他、
屋敷で暮らす人数が一気に増えるので、エクトル以外にもパンを焼ける人間が増えるのは純粋にありがたい。そこはルドウィグの言うとおりだ。
ともあれ、朝食の席に人が揃ったところで。リュシールが場をぐるりと見渡した。
「では、揃ったところで朝食といたしましょう……ところで、祈りはどなたが」
リュシールの問いかけに、トランクィロとヴィルジールが、アルノー先生とルドウィグが、互いに顔を見合わせた。
カーン、インゲ、シューラのルピア三大神に日々の恵みと食物への感謝を行う、食前の祈り。
人間たちの間で広く信仰されているルピア三神教だけでなく、獣種の魔物たちの間で信仰されているルピア一神教自然神派でも、食前の祈りは家長が行うものと決められている。
海種の信仰する水神派や、竜獣種の信仰する火神派でも同じだと聞いているが、詳細は知らない。
しばし誰が家長にあたるかを話し合ったところで、トランクィロが隣のヴィルジールに親指を向けた。
「ヴィルジールがやればいいんじゃねぇか?ここはお前の領内だから、お前が場所のトップだろ」
「なるほど、一理ある。守護者様や先生を差し置いてというのも申し訳ありませんが……エリク殿もおられることだし、三神式でよろしいか?」
指をさされたヴィルジールがテーブルを見回す。異を唱える者は一人もいなかった。
それを確認したヴィルジールが両手を組んで目を閉じると、他の7人もそれに合わせて目を閉じた。
そして、沼の前の広場に祈りの文句が響きだす。
「……カーン様の与えたもう、大地の恵みに感謝を。
インゲ様の与えたもう、太陽の熱に感謝を。
シューラ様の与えたもう、清らかな水に感謝を。
偉大なる三神、その恵みの一片を、今頂かん……」
祈りの文句が終わり、各々が目を開くと同時に、焼き立ての丸パンへと方々から手が伸びた。
僕も丸パンの一つを手に取って割ると、濃い茶色をした表面の下からうっすらと茶色を帯びた柔らかい中身が顔を覗かせる。口に含むと、じんわりと甘い。
ルドウィグやリュシール、アグネスカにアリーチェも、ヴィルジールお手製のパンの美味しさに手が止まらないようだった。
彼直伝のパン焼きの技術を有した
そうこうするうちに
ある者は肉を頬張り、ある者は果物にかぶりつき、そうして食事をしながらも話の種は尽きない。
「王様の村でも朝の祈りは三神式なんですか?」
「いや、三神式は、
「俺のところは自然神式だな、朝も夜も。魔物連中も大体が自然神式だし……」
「三神式の祈りの言葉、私は初めて聞きました。
そうしてあれよあれよという間にテーブルの食事は皆の胃の中へ。
イヴァノエものそりと洞窟から出てきて、残った
「それで、改めて状況を整理すると、だ。
アリーチェとイヴァノエは、エリクの伴魔としてヴァンド森の聖域に入る。
ヴィルジール配下の
アリーチェのことと
こんな具合で間違いはないよな?」
「えぇ」
「大丈夫だ」
アルノー先生の整理した事柄に、その場にいる全員が頷いた。
そしてその全員の顔をぐるりと見回し、僕の顔を見たところでアルノー先生はぴたりと顔の動きを止めた。
テーブルの下に置いていた僕の手が、思わずぐっと握られる。
「それとエリク、お前に命じた
トランクィロの領内に住処があるんだろう、持ち込んだものがあったら回収してこい」
「えっ……修了って、なんでですか?」
突然の
一応、まだあと
驚く僕に、アルノー先生はぼりぼりと頭を掻いて眉尻を下げてみせた。
「
初日の夜に
そこにこの
学校への在籍と特待生待遇はそのままにして、お前に必要な講義や
だからお前は今日のうちに、聖域に帰れ。学校中庭の噴水に転移陣を敷いたから、明日には男子寮のお前の部屋も片付けるからな」
「は、はぁ……分かりました」
強い口調で告げるアルノー先生に、僕は小さく頷いた。
今日明日中にとなると、結構慌ただしい。学校にも常設の転移陣を用意してもらったし、山や寮の部屋の転移陣は持ち運びができる形だから、移動は多少楽になるだろうけれど。
終わるだろうか、全ての作業が。
そんな僕の心配をよそに、アリーチェはうきうきとはしゃいでいた。聖域の屋敷に行くのが楽しみで仕方ないらしい。
「エリクさんのお家に行くんですか? うわぁ、今から楽しみです!」
「アリーチェの部屋はエリクとは別に用意しますからね、私だって個別に部屋が用意されているんですから」
尻尾をパタパタと振りつつ、喜びを抑えきれないといった様子のアリーチェに、アグネスカが相も変わらず冷淡な視線を投げた。
ルドウィグの傍ではイヴァノエが、自分が暮らす予定になる森についての話を聞いている。
『聖域って、森の中にあるんだろ? 獲物の動物はどのくらいいるんだ?』
「
「
ルドウィグの話にヴィルジールも乗っかって、再び話に花が咲き始める。
僕は一つため息をつきながら椅子代わりの石から降りると、身体をぐーっと伸ばして目を閉じた。
隣で、同じく石から降りたアグネスカが、僕の隣へと近寄ってくる。
「明日から、楽しくなりそうですね、エリク」
「そうだね……きっと、今までよりもっと面白くなりそうだ」
自然神の力に満ちた土地で送る、仲良しの皆と、一緒に暮らす日々。
それが僕はとっても楽しみで。
明日から送る毎日がきっと充実した、良いものになるだろうと、期待を胸いっぱいに膨らませるのであった。
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