使徒の器

 一歩一歩、焼けた地面を踏みしめていく。

 僕の一歩後ろを、僕よりも静かな足音で、並んで歩くアリーチオとパトリス。

 視界の中央に定めた太陽狼スコルが、足を踏み出すごとに少しずつ、少しずつその姿を大きくしていく。

 そして鮮やかな銀色に輝く毛並みの、その毛の一本一本が見えるくらいの距離まで近づいて、僕は改めて目の前に立つ日輪狼スコルの顔を見上げた。


「(大きい……)」


 近くまで寄ってその姿を見ると、聳え立つ白い壁のようにも思えた。

 足元の爪は僕の手ほども大きく、かつ鋭い。ひとたび振るわれれば、僕の皮膚など簡単に貫いてしまえそうだ。

 僕の後ろでアリーチオが、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。


『ひぇぇ……パトリス、俺、戻っててもいいっすか……?』

『情けない、それでもお前は使徒様の伴魔ですか』


 明らかに恐れ戦いているアリーチオに、パトリスが侮蔑の感情がこもった視線を投げかける。やはり、臆病者の誹りは簡単に拭い去れるものではなさそうだ。

 ふと、柔らかな感触が左手に伝わった。そちらを見ると、僕の隣に移動して来たイヴァノエが、僕の手に身体を寄せていた。


『エリク……俺は大丈夫だ。まっすぐぶつけて来い』


 二人のやり取りを背中で聞きながら、イヴァノエに背中を押されながら、僕は両の手をぐっと握った。僕がしっかりしなければ。そう心に決めて、口を開く。


「自然神カーンの使徒、エリク・ダヴィドです。初めまして」

「自然神カーンの臣僕が一、日輪狼スコル。我を示す名は未だ有らず」


 まさしく太陽のような金色の瞳をきらりと輝かせ、日輪狼スコルは僕をまじまじと見た。その大きな瞳に僕の顔が映りこむのを眺めながら、僕は同じように目を大きく見開いて口を開く。


「名前が、無い……のですか?」

「左様。我の他に日輪狼スコルはなく、故に日輪狼スコルが我を示す記号となる。我が月輪狼ハティも然り」


 僕の質問に答えながらも、日輪狼スコルは僕から視線を逸らさず、観察するような、値踏みするような目でじっと僕を見た。

 そして、数秒僕を見つめた後に。


「なるほど……おのれが使徒の器に値する・・・ことは、まぎれもない事実のようだ。しかし、使徒としてはなんとも青く、未熟であることよ」


 そう漏らしながら、口の端をにやりと歪めてみせた。

 認められたのか、認められていないのか、なんともはっきりしない物言いに、口を噤む僕。日輪狼スコルは僕を見つめたまま、再度口を開いた。


「その身に宿すカーン神からの加護の強さは比肩なきもの。自然の持つ「慈愛」の側面は、これ以上ないほどに体現していると言えよう。

 ただし、自然とは時に厳しく、時に容赦なく牙を剥くものだ。その「厳しさ」を体現できるようにならねば、自然神の使徒として一人前とは言えまい」

「自然の、厳しさ……」


 その発言に、僕は日輪狼スコルの顔から視線を外した。俯き気味に視線を落とし、日輪狼スコルの足元を見やる。

 自然の厳しさ。これまで考えたこともなかった。太陽はいつも温かく、風は優しく吹き渡り、森はその恵みを絶やすことはなく、獣は人間の傍に寄り添って生きていくもの。僕はそう思っていた。

 しかしそれは、あくまでも一つの側面でしかない。自然の厳しさを、知識としては地球で生きていた頃に知ってはいたけれど、こちらに転生してからはそういう実感がまるで無かった。

 そんな僕の頭の上で、日輪狼スコルがフンと鼻を鳴らした。


「とはいえ、十やそこらしか生きていない小僧にそれを体現せよ、というのも酷な話であるな。人間の社会の中で安穏と生きてきたのなら猶の事。

 今の我の話は、そう深く考えずともよい。小僧、我はおのれの使徒の器を認めよう」

「……ありがとうございます。あの、いくつか質問してもいいでしょうか」


 その金色の瞳を僅かに細めた日輪狼スコルに、僕は改めて視線を向けた。まっすぐその顔を見つめた僕に対し、日輪狼スコルはゆるりと頷きを返す。


「よかろう。使徒たるおのれからの言葉であれば」

「ありがとうございます。あの……先程まで貴方は、ベスティア語で話していました。しかし今は、ルピア語で話しています。何故ですか?」


 そう、先程の戦闘の際中は、日輪狼スコルは常にベスティア語を話していた。戦闘が始まる前、アルノー先生や王様たちに吼えた時もベスティア語だ。

 しかし今は流暢な人間語ルピア語で、僕と話をしている。そこがどうしても気になっていた。


「あれは、相手によって切り替えているのだ。人間を相手にする時は人間の言葉で、獣を相手にする時は獣の言葉で話す。そうしているだけに過ぎん。

 おのれは、加護の力で獣相手ならば自然と言葉を伝えられるゆえ、使い分ける必要性が無いかもしれんがな」


 日輪狼スコルの答えに、僕は大きく頷いた。

 確かに僕は、ベスティア語を話してはいない。ルピア語しか話さないで、しかし動物や獣種の魔物と普通にコミュニケーションが取れている。

 これもカーン神の加護の力の一端だと、サバイバル実習の前にリュシールが教えてくれた。

 故に、加護を宿していない人間や動物や魔物たちは明確に、人間と話す時はルピア語を、獣種と話す時はベスティア語を、といった具合で使い分けなくてはならないのだ。

 恐らく僕も、海種の魔物や竜種の魔物と話をする必要が出てきたら、フーシ語やラガルト語で話をしないと通じないことだろう。


「ありがとうございます。次は……その、何故、この山に入ってきて、ここの洞窟に魔物たちを近づけまいと、していたのですか?」


 一つの疑問が氷解したところで、僕はもう一つ、質問を投げかけた。同時に、日輪狼スコルの後方でその入り口を開く、ラッツォリ沼の洞窟へと視線を向ける。

 僕の問いかけに、日輪狼スコルも首を回して、後方の洞窟へと視線を投げる。そのまま小さく、唸り声を漏らしてから言った。


「うぬ……そうだな、そこについては説明せんとなるまい。

 だが踏み入り、事態を明らかにする者は制限させてもらう。小僧、そこな融合士フュージョナーの戦士、イタチウェッセルの王、ループの王。おのれら四人には理由を見せてやろう。

 残りは、洞窟の外で待っているがよい」

『なっ、エリクの伴魔の俺達でも駄目だってのかよ、畜生め!』


 僕の横でじっと話を聞いていたイヴァノエが、戸惑いがちに声を上げた。後ろからこちらにやって来たトランクィロが、その頭をポンと叩く。


『ま、駄目なもんは駄目ってこったな。諦めて待ってろ、この野郎』

『ちぇっ……』

『残念だけど、こればかりはしょうがないっすねー』

「ごめんねイヴァノエ、アリーチオも。後で説明するから、待ってて」


 頭の後ろに両手を回したアリーチオと、トランクィロに頭に手を置かれたイヴァノエに、僕は申し訳なさげな視線を投げかけ小さく頭を下げた。

 その僕の肩を、アルノー先生がポンと叩く。


「よしエリク、中に入るぞ。そいつらにしっかり説明できるように、内容をきちんと覚えておけよ」

「……はい」

「では準備はよいな? 行くぞ」


 促す日輪狼スコルが、洞窟に足を踏み入れながらこちらを振り返る。先を行くトランクィロとヴィルジールに続いて、僕はアルノー先生に付き添われるようにして、暗い洞窟の中へと踏み込んだ。




 ラッツォリ沼傍の洞窟は、沼の近くにあることもあって湿気が多く、ひんやりとしていた。

 その身体の炎をランタン代わりにしながら、日輪狼スコルが先頭を歩きつつ話し始める。


「我と我が月輪狼ハティは、大陸の中部からこの王国を目指して旅してきたのだ。大陸西部のラコルデール王国、その国にて自然神カーンの使徒が目覚めたことを察知して、な。

 理由は二つある。一つは、その使徒の力が如何ほどのものかを、この目で確かめるため。もう一つは、我が月輪狼ハティを蝕む呪い・・に対抗するためだ」

「呪いだと……? 神獣を蝕むほどの呪いが、この世に存在するのか?」


 ヴィルジールが驚きを隠さずに口を開いた。

 神獣は文字通り伝説的な存在だ。その身には強い神の加護がかかっている。そんな存在に呪いをかけるなど、並大抵の力ではない。

 太陽狼スコルが鼻を鳴らしながら目を細めた。


「無論、人の世に伝わる呪術とは趣が異なる。神々や、それに連なる者にかかる呪いなど、それこそ神が自らその手でかける呪いよ。

 我が月輪狼ハティは幼い頃に邪神に呪われた。いずれその身を蝕み、衰弱させ、死に至らしめる呪いだ。それが三年ほど前に、突如として牙を剥いた。

 美しい白銀の毛並みは漆黒の闇に飲まれ、癒しの力を発揮することも叶わず、文字通り死に瀕しながら、何とかこの山まで辿り着いたのだ」

「なるほどな……つまりお前さんは、月輪狼ハティをこの洞窟で休ませて、そこに近づくやつらを撃退していたってわけか」


 日輪狼スコルの説明に、トランクィロが腕を組みながら唸った。

 その言葉に頷きを返す日輪狼スコル。その尻尾がばさりと揺らされ、光が洞窟の奥部を満たす。


「そういうことよ。如何にこの山に暮らす者共と言えど、呪いをもらった我が月輪狼ハティに近づけさせるわけにはいかなかったのだ。

 ……さぁ、着いたぞ。そこにいるのが、我が月輪狼ハティである」

「……なっ……!?」

「おいおい、マジかよ……」

「これは……」


 光に照らされた洞窟の奥部を見て、ヴィルジールが、トランクィロが、アルノー先生が、一様に驚愕の声を漏らした。

 そして僕も、アルノー先生の横から顔を覗かせてそれ・・を見ると。


「そんな……これが、月輪狼ハティ……!?」


 震えながら驚愕に目を見開いて、声を漏らすほかなかった。


 洞窟の最深部で、眠るように身を横たえていた月輪狼ハティは。

 その白銀のはずの毛並みを漆黒に染め、体表の紋様を毒々しい紫色に光らせながら、苦悶の表情を浮かべて目を閉じていたのだった。



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