使徒の器
一歩一歩、焼けた地面を踏みしめていく。
僕の一歩後ろを、僕よりも静かな足音で、並んで歩くアリーチオとパトリス。
視界の中央に定めた
そして鮮やかな銀色に輝く毛並みの、その毛の一本一本が見えるくらいの距離まで近づいて、僕は改めて目の前に立つ
「(大きい……)」
近くまで寄ってその姿を見ると、聳え立つ白い壁のようにも思えた。
足元の爪は僕の手ほども大きく、かつ鋭い。ひとたび振るわれれば、僕の皮膚など簡単に貫いてしまえそうだ。
僕の後ろでアリーチオが、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
『ひぇぇ……パトリス、俺、戻っててもいいっすか……?』
『情けない、それでもお前は使徒様の伴魔ですか』
明らかに恐れ戦いているアリーチオに、パトリスが侮蔑の感情がこもった視線を投げかける。やはり、臆病者の誹りは簡単に拭い去れるものではなさそうだ。
ふと、柔らかな感触が左手に伝わった。そちらを見ると、僕の隣に移動して来たイヴァノエが、僕の手に身体を寄せていた。
『エリク……俺は大丈夫だ。まっすぐぶつけて来い』
二人のやり取りを背中で聞きながら、イヴァノエに背中を押されながら、僕は両の手をぐっと握った。僕がしっかりしなければ。そう心に決めて、口を開く。
「自然神カーンの使徒、エリク・ダヴィドです。初めまして」
「自然神カーンの臣僕が一、
まさしく太陽のような金色の瞳をきらりと輝かせ、
「名前が、無い……のですか?」
「左様。我の他に
僕の質問に答えながらも、
そして、数秒僕を見つめた後に。
「なるほど……おのれが使徒の器に
そう漏らしながら、口の端をにやりと歪めてみせた。
認められたのか、認められていないのか、なんともはっきりしない物言いに、口を噤む僕。
「その身に宿すカーン神からの加護の強さは比肩なきもの。自然の持つ「慈愛」の側面は、これ以上ないほどに体現していると言えよう。
ただし、自然とは時に厳しく、時に容赦なく牙を剥くものだ。その「厳しさ」を体現できるようにならねば、自然神の使徒として一人前とは言えまい」
「自然の、厳しさ……」
その発言に、僕は
自然の厳しさ。これまで考えたこともなかった。太陽はいつも温かく、風は優しく吹き渡り、森はその恵みを絶やすことはなく、獣は人間の傍に寄り添って生きていくもの。僕はそう思っていた。
しかしそれは、あくまでも一つの側面でしかない。自然の厳しさを、知識としては地球で生きていた頃に知ってはいたけれど、こちらに転生してからはそういう実感がまるで無かった。
そんな僕の頭の上で、
「とはいえ、十やそこらしか生きていない小僧にそれを体現せよ、というのも酷な話であるな。人間の社会の中で安穏と生きてきたのなら猶の事。
今の我の話は、そう深く考えずともよい。小僧、我はおのれの使徒の器を認めよう」
「……ありがとうございます。あの、いくつか質問してもいいでしょうか」
その金色の瞳を僅かに細めた
「よかろう。使徒たるおのれからの言葉であれば」
「ありがとうございます。あの……先程まで貴方は、ベスティア語で話していました。しかし今は、ルピア語で話しています。何故ですか?」
そう、先程の戦闘の際中は、
しかし今は流暢な
「あれは、相手によって切り替えているのだ。人間を相手にする時は人間の言葉で、獣を相手にする時は獣の言葉で話す。そうしているだけに過ぎん。
おのれは、加護の力で獣相手ならば自然と言葉を伝えられるゆえ、使い分ける必要性が無いかもしれんがな」
確かに僕は、ベスティア語を話してはいない。ルピア語しか話さないで、しかし動物や獣種の魔物と普通にコミュニケーションが取れている。
これもカーン神の加護の力の一端だと、サバイバル実習の前にリュシールが教えてくれた。
故に、加護を宿していない人間や動物や魔物たちは明確に、人間と話す時はルピア語を、獣種と話す時はベスティア語を、といった具合で使い分けなくてはならないのだ。
恐らく僕も、海種の魔物や竜種の魔物と話をする必要が出てきたら、フーシ語やラガルト語で話をしないと通じないことだろう。
「ありがとうございます。次は……その、何故、この山に入ってきて、ここの洞窟に魔物たちを近づけまいと、していたのですか?」
一つの疑問が氷解したところで、僕はもう一つ、質問を投げかけた。同時に、
僕の問いかけに、
「うぬ……そうだな、そこについては説明せんとなるまい。
だが踏み入り、事態を明らかにする者は制限させてもらう。小僧、そこな
残りは、洞窟の外で待っているがよい」
『なっ、エリクの伴魔の俺達でも駄目だってのかよ、畜生め!』
僕の横でじっと話を聞いていたイヴァノエが、戸惑いがちに声を上げた。後ろからこちらにやって来たトランクィロが、その頭をポンと叩く。
『ま、駄目なもんは駄目ってこったな。諦めて待ってろ、この野郎』
『ちぇっ……』
『残念だけど、こればかりはしょうがないっすねー』
「ごめんねイヴァノエ、アリーチオも。後で説明するから、待ってて」
頭の後ろに両手を回したアリーチオと、トランクィロに頭に手を置かれたイヴァノエに、僕は申し訳なさげな視線を投げかけ小さく頭を下げた。
その僕の肩を、アルノー先生がポンと叩く。
「よしエリク、中に入るぞ。そいつらにしっかり説明できるように、内容をきちんと覚えておけよ」
「……はい」
「では準備はよいな? 行くぞ」
促す
ラッツォリ沼傍の洞窟は、沼の近くにあることもあって湿気が多く、ひんやりとしていた。
その身体の炎をランタン代わりにしながら、
「我と我が
理由は二つある。一つは、その使徒の力が如何ほどのものかを、この目で確かめるため。もう一つは、我が
「呪いだと……? 神獣を蝕むほどの呪いが、この世に存在するのか?」
ヴィルジールが驚きを隠さずに口を開いた。
神獣は文字通り伝説的な存在だ。その身には強い神の加護がかかっている。そんな存在に呪いをかけるなど、並大抵の力ではない。
「無論、人の世に伝わる呪術とは趣が異なる。神々や、それに連なる者にかかる呪いなど、それこそ神が自らその手でかける呪いよ。
我が
美しい白銀の毛並みは漆黒の闇に飲まれ、癒しの力を発揮することも叶わず、文字通り死に瀕しながら、何とかこの山まで辿り着いたのだ」
「なるほどな……つまりお前さんは、
その言葉に頷きを返す
「そういうことよ。如何にこの山に暮らす者共と言えど、呪いをもらった我が
……さぁ、着いたぞ。そこにいるのが、我が
「……なっ……!?」
「おいおい、マジかよ……」
「これは……」
光に照らされた洞窟の奥部を見て、ヴィルジールが、トランクィロが、アルノー先生が、一様に驚愕の声を漏らした。
そして僕も、アルノー先生の横から顔を覗かせて
「そんな……これが、
震えながら驚愕に目を見開いて、声を漏らすほかなかった。
洞窟の最深部で、眠るように身を横たえていた
その白銀のはずの毛並みを漆黒に染め、体表の紋様を毒々しい紫色に光らせながら、苦悶の表情を浮かべて目を閉じていたのだった。
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