第48話~異邦の客人~

~新宿・歌舞伎町~

~居酒屋「陽羽南ひばな」 歌舞伎町店~



 その日の夜。

 いつものように開店し、いつものようにお客さんが来る「陽羽南ひばな」の店内は、普段と異なる様相を見せていた。

 何故か。


「1席様、らっきょうと出汁巻き玉子どうぞー!」

「「了解!!」」

「A卓様、チキンボールと南蛮漬けいただきましたー!!」

「「ありがとうございまーす!」」


 そう、フロアも厨房も、いつもと段違いに活気があるのだ。

 帰れることに希望が見いだせたからか、特にフロア側の活気が凄まじい。今日はフロア担当がエティ、アンバス、シフェールの三人だから余計にだ。

 いつも以上にはきはきと声を上げて、きびきびと動き回る三人を見て、カウンターに座るマルチェッロが怪訝そうな顔をしている。


「カマンサックさん、今日、何やら皆さん元気ですねぇ……?」

「まぁ、クズマーノさんのおかげだと思いますよ。今日の件、もう皆に話してありますし」

「あぁ、なるほど……?」


 苦笑しながらカウンターに立ち、マルチェッロに言葉を返す僕に対し、要領を得ないという様子のマルチェッロが目を見開いた。

 ただ、マルチェッロのおかげだというのはその通りだ。彼から齎された情報と方法が、僕達に希望を見出させたのだから。

 ふぅ、とため息をつきながらカウンターにもたれて力を抜くマルチェッロの前に、僕はお代わりをお願いされた剣菱けんびしの徳利を置いた。最近のマルチェッロはこの酒ばかりを飲んでいる。

 小さく僕に頭を下げながら、ゆっくりとお猪口に剣菱を注いでいくマルチェッロ。どうもその表情には疲労の色が見て取れる。


「お疲れみたいですね、クズマーノさん」

「そりゃあ、カマンサックさんたちのおかげですよ。

 私も久しぶりにあれやって疲れましたし、他の職員への根回しもしないとなりませんでしたから。職員たちは喜んでいましたけれどね、なかなか地元に帰る機会も無いので」

「なんだい、マルチェッロさん、マウロちゃんと秘密の仕事でもしてるのかい?」


 マルチェッロの隣、カウンターの隅に座る松尾さんが、焼きたての出汁巻き玉子に箸を入れながらにこにこと笑っていた。

 声をかけられたマルチェッロは柔らかく微笑みながら「守秘義務がありますので」と答えている。確かにこんなところで大っぴらに話す案件でもない。


「そうですね、秘密です」


 そう松尾さんに言葉を返して微笑み、チキンボール用の下味をつけた鶏肉を取り出すと、フロアにいるエティから声がかかった。


「マウロ、ごめん……ちょっといいかしら?」

「ん、どうした? ディトさんすみません、A卓様のチキンボールお願いします」

「分かりました」


 取り出した鶏の胸肉をディトに任せて、僕は厨房の出口へと向かう。そこで待っていたエティは非常に困惑した表情だ。


「どうしたんだ?何か……」

「うん、その……あれ・・、何かしら……」

「あれ? ……へっ!?」


 エティが指さした先、エレベーターの向かい側にある壁にあるそれ・・を見た僕は、思わず素っ頓狂な声を上げた。

 ホールだ。

 壁にぴったりくっつくようにしてホールが空いている。

 しかもこうして視認できるくらいに存在の安定したホール。間違いなく人為的に開かれたものだ。

 一体誰が、いつの間に。そしてなんでピンポイントにうちの店のここに。


「なんてこった……ホールだ」

「えっ、これが!?」

「しかも人為的に開かれたものだ。誰がここに……」


 僕とエティが二人して困惑していると。

 一瞬、ホールが揺らぎを見せた。

 そして、次の瞬間。


「……む?」


 僕とエティの目の前。ホールの開いた壁の前に、一人の人物が立って、何やら疑問の声を発していた。

 マントのフードを目深にかぶった大柄な人物だ。アンバスと同じくらいの身長があるだろうか。フードの中の顔は杳として知れない。声色からして老齢な男性だとは思うのだが。

 男性は店の中をちらりと見ると、小さく首を傾げた。そのまま僕とエティの方へと顔を向けてくる。


「なんと、また店が変わったのか。そこな犬獣人、ここは「安生あんじょう 新宿店」ではないのだな?」

安生あんじょう……あぁ、うちの前の前のお店が確かその名前ですね。

 申し訳ありませんお客様、こちらは「陽羽南ひばな」 歌舞伎町店となります。店長を務めております、カマンサックと言います」


 どうやらこの異邦人は飲みに来た客らしい。目的の店とは異なるが、お越しくださったからには歓迎しなくては。

 深々と頭を下げる僕の隣で、エティも頭を下げる。男性は背後に開いたホールをさっと腕を伸ばして閉じると、僕達に向けて頭を下げた。


「歓待に感謝する。席に案内してもらおう。一名ゆえ、カウンターで構わん」

「かしこまりました。4席お客様のお越しでーす!」

「「いらっしゃいませー!!」」


 僕は厨房に戻って手を洗い、エティがカウンター席にその大柄な男性客を通したのだが。

 彼が椅子を引いて席に着こう、というところで、彼の左手側に座るマルチェッロが信じられないと言わんばかりの声を上げた。


「まさか……サハテニ先生!?」

「む、その声は……マルチェッロ坊か。久しいな」

「なに、マルチェッロさん、お知り合い?」


 マルチェッロの後ろでマントの男性を見ていた松尾さんが、不思議そうにマルチェッロに声をかけた。

 問われたマルチェッロはすぐには答えない。答えあぐねている様子だ。

 そんな沈黙を打破したのは、マントの男性の方だった。

 マントを脱ぎ、フードを取ると、その下から精悍な人間ヒューマンの男性の顔が現れる。


「グンボルト・サハテニ。異世界グウェンダル出身の流浪の民だ。

 そこなマルチェッロ坊の師匠に当たる」

「師匠……?」


 正体を掴みかねている松尾さんが首を傾げている。マルチェッロの師匠という割には、外見年齢がどう見てもマルチェッロより10は若いせいもあるだろう。僕も同様に、疑問が頭の中に浮かんでいた。

 それ以上に、彼が一体何の分野でマルチェッロの師匠なのかが分からない。

 マルチェッロの師匠というからには、彼が異世界で修めていたという錬金術の師匠だろうか。しかしマルチェッロの出身世界はグウェンダルではなく、メルヴァルだったはずだ。

 頭に疑問符を浮かべている僕と松尾さんに、男性――グンボルトはカウンター上に置かれたメニューを手に取りながら顎をしゃくった。


世界転移術・・・・・をこやつに教えたのは私だ。

 グウェンダルの民は世界を渡り歩く術を持つ。こやつが区役所なる場所で転移者の管理人の長となっているだろう、それに必要な技術を教えたのが私だ」

「わ、わーっ!! 先生、ストップ、ストーップ!!」


 事も無げに機密事項を話し始めたグンボルトを、大慌てで静止し始めるマルチェッロ。

 お酒が幾分か入ってとろんとした目つきの松尾さんはまぁ、お酒のせいで記憶があいまいだったんでしょうなどと言い訳が出来るだろうが、僕は素面である。

 更に言うなら他にも周囲にお客様はいるわけなので。

 マルチェッロの制止を意に介さないままで、グンボルトはカウンター内でぽかんとしたままの僕を見た。


「店長、浦霞うらかすみを二合、冷やで貰おう」

「あ、はいっ! ただいま!」


 注文を受けて急いで伝票に書き留め、僕はサケを収めた冷蔵庫に走る。

 その後ろでマルチェッロの呻くような声が聞こえてきた。


「なんてことだ……先生が自分で機密事項をベラベラ喋るだなんて……」


 その悲しみに満ちた声に、僕は同情を禁じ得ないままに徳利に日本酒を注ぐのだった。



~第49話へ~

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