第44話~ラディッシュのピクルス~

~新宿・歌舞伎町~

~居酒屋「陽羽南」 歌舞伎町店~



 カウンター席の端に通されたジーナがにこにこと、厨房に立つ僕を見ている。

その手にはキンキンに冷えたハイボールのジョッキ。手元にはお通しで出した炒り豆腐。

 これが普通の客ならば何の問題も無いのだが、対外的に見れば普通の客と変わりはないのだが、僕は非常に居心地の悪さを感じていた。

 なにせ、れっきとした身内である。僕の。


「いやー、いいじゃないのいいじゃないの。開店してまだ2ヶ月でしょ? 我が弟ながら立派なもんだ」

「持ち上げたってなにもサービスしないぞ、姉貴」


 殊更に憮然としながらエティの注文したハイボールを、仕切り越しにカウンターへ置く僕。その様子を見てジーナの目が、笑みを浮かべたままでうっすら開かれた。

 まるでおかしなものでも見るかのような目で、僕を見ている。


「なんだよ」

「なんだよって、あんたが働いている姿を実際にこの目で見るの、初めてなんだもの。嬉しいじゃない。

 あの小さかったマウロが立派になったなーって思ってさ」

「そういえば、マウロは冒険者になってから、一度も故郷には帰らなかったんでしたっけ……?」


 ハイボールのジョッキを持ち上げたエティが、おずおずと上目遣いに僕を見た。

 その通り、と僕は頷く。村を飛び出して冒険者になったのが15の時。それから25になる現在までの10年間、一度も故郷に戻ったことは無い。

 依頼でロンディーヌ県に行ったことなら何度もある。しかしグレケット村には、一度も近づいていなかった。

 そんな僕の不機嫌そうな様子を何故か嬉しそうなにこにこ笑顔のままで見ながら、ジーナがハイボールのジョッキを持ち上げた。


「じゃー、三匹の仔犬トライピルツ射貫く炎スバランドの五人と、陽羽南ひばな歌舞伎町店に、かんぱーい!」

「何に乾杯しているんですか、ジーナさん……」


 ガチャガチャと、ジョッキがぶつかる音が響く。その乾杯の発声を聞いて、僕はふるふると頭を振った。ジョッキを差し出すエティも呆れ声だ。

 飲み会でも何でもないのに、なんでまた僕達五人に乾杯されなければならないのだろう。

 と、屈んでピクルスの瓶を取り出そうとして、僕はハッと顔を上げた。


「おい姉貴、なんで僕達のパーティー名のみならず、アンバスとシフェールのパーティー名まで知ってるんだよ」

「ん?」


 ジョッキからぐびりぐびりと喉を鳴らしてハイボールを飲むジーナに、僕が訝し気な視線を向けると、隣のエティも不思議そうに眉を寄せた。手に持ったハイボールは飲まれないままだ。


「そういえばそうです、三匹の仔犬トライピルツの話はジーナさんの喫茶店でしましたけれど、射貫く炎スバランドの名前は出さなかったのに……」

「あー、そういうこと? そういえばエティちゃんにも詳しくは言ってなかったっけ」


 疑いの視線を一身に浴びて目を見開くジーナ。すると持ってきたハンドバッグの中をごそごそと漁ると、中から何かを取り出した。

 それはスマートフォンだった。見た目はAndroidの、二年ほど前の型のものだ。裏側にジーナの喫茶店のロゴが印刷された、淡いピンク色をしたハードカバーが取り付けられている。

 そのスマートフォンを僕やエティに見せるようにしながら、ジーナが口を開く。


「これよこれ、あたしのスマホ。

 こっちに来た時からなんか知らないけど持ってて、普通にインターネットに繋がるんだけどさ、チェルパのニュースや・・・・・・・・・・公共放送・・・・もなんか逐一入ってくんの」

「いつの間にか持っていた、ということですか? 見た目は普通のスマートフォンですけれど……あ、でもキャリアが確かに日本のどこのでもないです」


 ロックボタンを押し込んで画面を覗き込んだエティが声を上げた。僕の顔の近くに寄せて見せてもらうと、確かにキャリアの部分が「Magica」だ。日本で広く電波を展開しているどこのキャリアでもない。

 ジーナ曰く、2016年12月に四ツ谷の裏通りに転移してきたその時には、既に手に握っていたんだそうだ。使い続けてだいぶ経つが、電池がへたれている様子もないらしい。


「転移課の受付の人に聞いたら、なんかあたしの技能スキルに関係する代物らしくてさー。だからシュマルに帰れたことは一度も無いんだけど、向こうの情報は普通に入ってくるわけよ。

 ヴァリッサの洞窟に出現した巨獣が来訪者マレビトで、大規模討伐レイドが組まれて3ヶ月かかってやっと討伐に成功したってニュースも知ってるわよ。

 その巨獣討伐に最初に失敗したのがあんた達で、そのごたごたの合間にこっちに転移してきたってところまでは知らなかったけどさ」


 事も無げに言ってのけるジーナの発言に、僕もエティも目を剥くしかなかった。僕など、器に盛り途中だったピクルスの瓶を落としそうになったくらいだ。

 僕達が挑みかかって敗走したあの巨獣が来訪者マレビトだったということも驚きだが、それ以上にジーナのスキルの方が驚きだ。

 シュマル王国を含め、チェルパの各国には公共放送がある。電波ではなく魔力波を用いた情報送信を行っており、それぞれの国の首都には必ず、放送用の巨大な掲示板が設置されていて、日々更新される国からの発表が市民の目に留まるようになっているのだ。

 チェルパの中であれば、市販されている魔法板タブレットでそれらの情報を手元で閲覧することもできるのだが、ここは地球。魔力が届かないので情報の伝送も出来はしない。本来は・・・

 僕は長くため息をつきながら、小鉢に盛ったラディッシュのピクルスを、トンとジーナの前に置いた。呆れたような、悲しいような、そんな気持ちを感じながら眉尻を下げる。


「姉貴が地球に居ながらにして僕達の世界チェルパの情報を得られるのは分かったよ。素直に凄いと思う。

 じゃあ、逆はどうなんだ? 姉貴のスマートフォンからチェルパに情報を送ることは出来るのか?」

「それが分かったらあたしもこんな苦労してないっての。

 向こうと何かしら繋がってるとはいっても、入ってくるのはニュースと公共放送ばかりで、個人持ちの魔法板タブレット宛ての魔力伝文テキストメッセージは来ないし……まぁあたしのスマホの同定番号なんて、あっちに知られてないから来なくて当然なんだけどさ。

 あたしが向こうの……例えばパパの持ってる魔法板タブレットの同定番号入力して文送しようとしたって、エラー来ないで送れはするけど返事が返ってきたことなんて無いもん。届いてるかどうかの確証すら持てないわけよ。

 まぁよしんば届いていても送った魔力伝文テキストメッセージがパパには読めない公算が高いけどね、日本語だから」


 ピクルスを箸で摘まみながらハキハキと発するジーナの言葉に、僕は腕を組むしかなかった。

 確かに、公共放送を受け取れることと個人宛ての魔力伝文テキストメッセージなどを受信できることは別物だ。

 あちらからの文送がない以上、届いたかどうかを確認する手段もない。

 だからジーナは、自分が異世界にいることを僕達の世界チェルパに伝える手段を、現状持たないというわけなのである。

 悩ましい表情で小さく唸る僕の前で、箸で摘まんだピクルスをかじるジーナ。

 と、その表情が途端に明るくなった。


「あー、ラディッシュのピクルス、懐かしい味よねー、家庭の味だわ。

 ママがよくローズビートでさ、ピクルス漬けてたわよね、自分の家で。それが食卓に並ぶと真っ赤なピクルスで彩りが良くってさ。

 ママのピクルスの味を思い出すわー。マウロもこんなピクルス、自分で漬けれるようになったんだねぇ」

「まぁね……ピクルスはそれこそ、王都に住んでる頃から自分で漬けてたから。母さんの味を思い出しながら、試行錯誤して」


 はにかんだ表情を隠すように俯きながら、次の料理の支度にとりかかる僕。

 そんな僕の頭の上で垂れた耳に、ジーナの嬉しそうな声が入り込んできた。


「うーんいいねぇ。

 マウロ、大喧嘩してうちを飛び出してったから、あたし達家族のことなんてどうでもいいんじゃ、と思ってたけど――家庭の味は、ちゃんと覚えて思い返しててくれたんだねぇ」

「やめろよ恥ずかしい……忘れられなかったんだから仕方ないだろ。

 それより姉貴、昼間はエティと何を話したんだよ。色々聞かせてもらうからな」

「あぁそうそう、いやー思いの外エティちゃんとの話が盛り上がっちゃってさ、あん時は。

 パパもママも、公共放送の冒険者ギルド名簿更改情報でマウロがSランクに上がったのを知った時はそりゃーもう凄い喜んで……」


 酒が入った勢いもあってか、つらつらと語り始めるジーナ。

 話しながらもピクルスをつまんで食べる手は止まらない。

 これはピクルスのおかわりが必要になるかな、と考えつつ、僕は包丁を動かす手を休めない。

 そして程なくして。


「そんで……あっピクルスもうないや。マウローおかわりー」

「はいはい。それとこれ、カツオの酒盗クリームチーズ和え」

「おー来た来たー。酒盗好きなのよー」


 ピクルスを盛っていた小鉢と交換に、酒盗とクリームチーズを乗せた小鉢を受け取るジーナ。その隣でニコニコと笑うエティも楽しそうだ。

 かくしてジーナの口は止まらないまま、周囲のお客さんも巻き込んで、陽羽南の夜は更けていくのだった。



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