第42話~キャロットラペ~

~新宿・四ツ谷~

~鉄板焼ビストロ「En Terrasse」~



 カントリー調の店内をずんずん進み、数段上がったカウンターへと、ジーナはわき目も振らずに進んでいく。

 カウンターの中では店長と思しき男性が、先程出ていったのにまた入ってきたジーナの姿を見て目を丸くしていた。目の前の鉄板では牛肉が焼かれてジューといい音を立てている。


「やー、ごめんね師匠、出た直後にまた入ることになるとは思わなかったわ」

「まぁ、そこは大丈夫だけれど……どうしたの? ゲリラ豪雨にでも遭った?」


 気さくに声をかけるジーナに、牛肉に蓋をしながら首を傾げつつ声をかける店長。ジーナから裏の通りにつながる扉の方に視線を移すも、勿論雨が降っているなんてことはなく。

 ジーナがカウンターの椅子を引きながら、引いていた僕の手を離して視線をこちらに向ける。


「にゃ、外はいい天気。偶然ここのビルの外で、あたしの弟に逢ったもんだから」

「えぇと、初めまして……いつも姉が、お世話になっているようで」


 鞄を椅子の内側に置きながら、小さく店長へと頭を下げると、彼は僕を見やって目を見開いた。


「へぇ、ジーナちゃんの弟さん! ってことはなに、異世界から?」

「はい、今年の6月にこちらに来まして。今は大久保の方に」


 さすが姉の知り合い、話の飲み込みが早くて助かる。そうでなくてもこの日本、異世界からの来訪者と触れ合うケースなんて珍しい体験でもないから、案外普通の反応でもあるのだろうけれど。

 口元に笑みを浮かべつつ改めて店長へと頭を下げる僕に、既にメニューを開いていたジーナが手をひらひらと動かしてみせる。


「まーいいから座んなさいよあんたも。あ、あたしはコーヒーをブラックで、あとオニオンリングを。

 あんたはどうすんの、時間も時間だから腹減ってんでしょ」

「急かすなよ姉貴……ゆっくり見させろって」


 椅子に腰かけた僕はジーナからメニューを受け取ってざっと目を通した。

 カジュアルな雰囲気の店内だが、メニューは非常にしっかりしている。牛肉も豚肉もブランド名がしっかりと明記されているし、ただ鉄板で焼いただけの肉を出しているわけではないことが見て取れた。

 オムレツが看板メニューの一つらしいが、きっとこのオムレツも目の前の鉄板で焼いてくれるのだろう。

 ワインメニューもいいところのワインが揃っていて、力を入れているのが見るだけで分かる。

 それにしてもそこそこいい値段がするのだが、こんなに気楽に気軽に入ってきている姉は、一体このお店とどんな関係があるのやら。


「じゃあ、キャロットラペとオムレツ、あと黒豚レモンステーキをお願いします。それとワインを……えーと、ボーグルヴィンヤーズ シャルドネをグラスで」

「かしこまりました」


 店長に注文を告げると、すぐさま後ろに控えていた女性の店員がワインセラーに向かった。一本のワインボトルを取り出し、ワイングラスを一脚取ると、僕のところに戻ってきてグラスに黄金色のワインを注いでくれる。

 非常に慣れた、洗練された手つきだ。水で膨らませるタイプのおしぼりを使っていることも加わり、とてもお洒落な空間になっている。

 同様にブラックコーヒーで満たされたコーヒーカップが運んでこられ、それを手に取ったジーナと、そっとグラスとカップを合わせる僕たちだ。


「いやー、しかしあの小さくて我が儘だったマウロが酒を嗜む年齢になったかー。なにあんた、普段から普通に飲んでるの?」

「いつも飲んでるのは日本酒だけどね、ワインはまぁたまにってくらい……こっち来てから居酒屋で働いてて、今月から店長だから」


 からからと笑いながら近況を話し始める僕とジーナ。今月から店長の地位に就いたことを話すと、ジーナはあんぐりと口を開いた。


「店長!? あんたが!?」

「そうだよ、僕だってびっくりしてるよ……まさか店で働いて3ヶ月目には、もう店長だなんて」

「はー、てかあんたこっち来てから飲食業界で働いてたのね……」


 コーヒーカップをそっとソーサーの上に置きながら、感慨深げに話すジーナの口ぶりに、僕は首を傾げた。


「『も』? ってことは、姉貴も飲食?」

「そういうこと。今年の3月までこの店で勉強しながら店員やってて、今年の4月から四ツ谷にカフェ開いたの」


 あっけらかんと話すジーナの言葉に、今度は僕が口をあんぐりと開いた。二の句が継げないとはこのことだ。

 まさかジーナも飲食業界で働いていて、彼女も店長をやっていて、しかも同じ新宿区内で店を開いていたとは。

 確か僕が村を飛び出した頃合いから、故郷のグレケット村の食堂でウェイトレスをしていたはずだから、飲食業界で働いていることそのものに驚きはないけれど。

 しかし、話しぶりを聞くに結構前にチェルパから地球に転移していたようだ。世の中不思議がいっぱいである。

 気分が盛り上がってきたのか、ジーナが僕の方に手を置いて軽くしなだれかかってきた。そのままに僕を見る眼差しはじとっとしている。


「いやー、しかし姉弟揃って飲食の道に進むとはねー、こりゃ面白いわ。なにあんた、料理やる方? 接客する方? どっち?」

「基本は料理の方だけど接客もするよ、店長だとどうしても両方やんないとならないし……ていうか料理はあっちにいた頃から得意だったから」

「まー、村を単身飛び出してって十年じゃねー。そりゃ出来るようにもなるか。人に食わせるくらいにまで成長してるとは思わなかったけど」


 僕の肩から手を離したジーナが、しみじみと目を細めながらコーヒーカップに口を付けた。

 十年経っても相変わらず、ジーナは動きも感情表現も大げさだ。見た目で分かりやすいともいえる。これが彼女のいい所でもあり、欠点でもあるのだが。

 目の前の鉄板で蒸し焼きにしていた牛肉をカットし、それを皿に盛りつけながら、店長がこれまたしみじみと口を開いた。


「血は争えないってやつなんですかねー。はい、キャロットラペ、お待たせしました」

「ありがとうございます……いただきます」


 店長から手渡されたキャロットラペの皿を受け取り、僕は手を合わせて箸を取った。

 箸でそうっと細切りのニンジンを摘まみ上げ、口に運んで咀嚼すると、ほんのりと優しいニンジンの甘みとしゃっきりした歯応え、オイルと酢が絡んだ濃い味わいが口の中を満たす。

 その素材の良さを最大限に引き出した美味しさに僕がほうと息を吐くと、隣でジーナが口元ににんまり笑みを浮かべた。


「この店は大体なんもかんも美味いからねー、ほぼ身内のあたしが言うのもなんだけどさ」

「身内だからこそ褒めてもらわないと。はい、オニオンリング」

「サンキュー、師匠」


 店を褒める言葉を臆面もなく零して、オニオンリングの盛られた角形の深皿を受け取るジーナが箸を取る。

 そのまま取ったオニオンリングを自分で食べるかと思いきや、それを僕の目の前の小皿にポンと置いた。食べていい、ということらしい。

 おもむろに置かれたそれを持ち上げて口に含むと、さっくりした歯応えと共に玉ねぎの甘みが口いっぱいに広がる。これも非常に美味しい。


「姉貴がさっきから言ってる師匠ってのは?」

「こちらにいる、ここのエグゼクティヴシェフのことね。あたしの料理の師匠ってこと。

 フランスの星持ちレストランやら国内のホテルやらで修業を重ねてきた凄腕なわけよ、この人」

「食材の目利きや調達も僕が自分で担当させてもらっています。ま、自分で確認した美味しい食材を味わってもらいたいですからね、うちは特に鉄板焼きだから」


 師匠と呼ばれた店長が、僕が注文したオムレツを焼きながら言葉を返した。

 溶き卵を薄く広げて焼き、そぼろ状の肉を巻きながら焼いていくオムレツはなかなかに手間暇がかかっている。これを目の前で見れるというのは、なんとも贅沢だ。

 同じ飲食の仕事についている人間としては、学びの機会が非常に多い店だと、心底から思うわけである。キャロットラペに箸を伸ばしながら僕は口を開いた。


「はー……同業としては見習うところが多くて凄いなと思うしか……このキャロットラペも、食材から調理法から拘っているのがよく分かりますし」

「いやぁ、ジーナちゃんの弟さんにそこまで言われると恥ずかしいですねぇ。聞いてますよ、異世界では凄腕の魔法使いだって」


 店長さんの言葉に、僕は箸で持っていたキャロットラペを零しそうになった。口がぽかんと開いたままで固まったのが自分でも分かる。

 何とか零さずに堪えたニンジンを口に含んで飲み込むと、僕は細めた眼差しを隣でオニオンリングを幸せそうに食べる姉に向ける。


「店長さんに何話してんだよ、姉貴」

「当然でしょ、自慢の弟なんだもの。魔法使いとしては王国随一、加えて料理の腕前も結構なもん、ってなったら自慢もしたくなるでしょ」

「まぁ、気持ちはわかるけどさ……」


 これまたあっさりと、あっけらかんと答えるジーナ。

 その反応に怒気を抜かれた気がして、僕は小さく肩の力を抜いた。

 ちょうど焼き上げられたミートオムレツの平皿を受け取りながら、店長へと視線と言葉を投げる。


「ちなみになんですけど、うちの姉とはどういう経緯で?」

「2016年の12月だったかな、そこの扉を出たところの通りでまごついてるジーナちゃんを見かけて、お店に招き入れたのがきっかけですね。

 確かその時、こっちに転移してきたすぐだったんだっけ?」

「そうそう。食堂の仕事を終えて家に帰ろうと歩いてたら、いきなり景色が変わってさー。気付いた時にはそこの通りに出てたわけ。ビビったわよ」


 店長とジーナの言葉に、僕は小さく息を漏らした。

 僕と、姉。二人揃って地球に来てしまったわけで、果たしてグレケット村の両親はどうしているのだろうか。

 いつか地球からチェルパに変える手段を見つけたら、生まれ故郷の村に戻ろう。

 そう心に決めながら、僕はお店のロゴを象った焼き印の押されたミートオムレツに、フォークを入れるのだった。



~第43話へ~

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