第38話~鶏のお煮しめ~

~新宿・歌舞伎町~

~居酒屋「陽羽南ひばな」~




「「「えぇぇぇぇぇぇ!?」」」


 その日の午後。

 いつものように出勤してきたエティ、パスティータ、シフェールは、先んじて出勤して話し合いをしていた僕と澄乃からの報告を受け、卒倒せんばかりに驚いていた。


「店長が別の店の店長になる!?」

「マウロがこの店の店長に!?」

「一体全体、何が起こったというのですか!?」


 三人揃って噛みつかんばかりに僕と澄乃へと詰め寄ってきて、逆に目を白黒させたのは僕の方だった。

 対して、澄乃はあっけらかんとしたものである。笑って答えた。


「私が社長に推薦したんだよ。

 この2ヶ月で、マウロちゃんも皆もすっかり自分たちで考えて働けるようになった。お客さんからの評判もいいし、定着もしている。

 一人前になったから、もういいだろうってね」

「確かに私達、ちゃんと働けるようにはなりましたけれど……」

「一人前、と言っていただけるほど成熟しているわけでは……」


 エティとシフェールが揃って悲しそうな顔をした。パスティータに至っては既に目の端に涙を浮かべている。

 三人の表情に、僕の胸がチクリと痛んだ。

 澄乃はもういいだろうと言ったが、まだたったの2ヶ月だ。澄乃から教わりたいこと、学びたいことはまだまだたくさんある。

 それは目の前の三人も思っていたことだろうが、僕だってそうだ。もっと色々なことを自分の目で見て学びたかったと、思う。

 僕は自分の胸に右手を置いて、目を伏せながら口を開いた。


「僕だって、今日社長と話して、店長を引き受けたけれど……やっぱり、不安です。

 店長になったらやることも考えることも増えるし、責任だって大きくなる。

 僕一人でうまく回せるか、どうしても自信が……」

「なーに言ってんのマウロちゃんってば」


 意気消沈した僕の肩を、澄乃は優しくポンと叩いた。いつもだったらバシッと背中を強く叩いてくるところだろうが、そうではなく、軽く柔らかく、だ。

 思わぬ感触に顔を上げて隣にいる澄乃へと目を向けると、澄乃は優しく微笑みながら、肩から離した手で僕の頬の毛をそっと撫でた。


「一人で全部抱え込まなくてもいいのよ。

 店長ってのはね、店員皆の責任を取る立場なのさ。他の店員がいなかったら、店長は店長としてやっていけない。

 マウロちゃんが率先して動くんじゃない、店員に動いてもらって、その行動の責任を、マウロちゃんが負うの。

 だから、自分一人で全部うまく回そうなんて、考えなくてもいいのよ」

「店長……」


 僕の頬を愛おしそうに撫でる澄乃の手に、僕の手がそっと重なる。

 そのまま数秒間、手を触れさせたまま見つめ合うと、すっと手を引っ込めた澄乃がパシリと僕の肩を叩いた。


「ま、あれよ。私はここの店長じゃなくなるけどさ、二号店は駅挟んで反対側のすぐ近くだし、メゾン・リープの寮母は継続して続けるから。

 分かんないことがあったらいつでも聞いてくれていいわよ。今生の別れって訳じゃないんだから、どっしり構えてなさいな」

「は……はい。お店の方は、こっちで頑張るとして……寮の方では、これからもよろしくお願いします」


 激励を受けて、小さく頭を下げる僕。その周りで女子三人も口々に感謝の気持ちを述べながら、澄乃に頭を下げた。


「これからもよろしくお願いします、店長!」

「寮での美味しいご飯、これからもよろしくお願いします!」

「あっ、ご飯と言えば店長、お米の焚き方のコツ、今のうちに教えてください!」

「はいはい、店長は今週末から私じゃなくてマウロちゃんになるんだから、今のうちに気が済むまで店長と呼びなさい!」


 開店作業そっちのけで澄乃の周りに群がる面々を前にして、僕は先程澄乃に撫でられた頬を小さく掻くのだった。




 いつものようにお店が開店して、いつものようにお客さんがやってきては食事してお酒を飲んで帰って行って、いつものように後片付けをして閉店した陽羽南の店内で。

 僕と澄乃は他に誰もいなくなった店内で、今日のお通しで出していた鶏のお煮しめをつついていた。

 エティとパスティータは既に帰って行った。シフェールはこれからアンバスと飲みに行くらしい。だから今、この店内には僕達二人しかいない。

 澄乃が割り箸でこんにゃくを器用につまみながら、感慨深げに口を開いた。


「それにしてもマウロちゃん、料理上手くなったよねぇ。このお煮しめ、ほんとに酒が進むわ」

「ありがとうございます……まだまだ日本料理は勉強中の身なんで、試行錯誤の繰り返しですけど」


 こんにゃくを口に含んでもごもごと口を動かす澄乃の左手は、浦霞うらかすみで満たしたお猪口に伸びている。店のメニューに掲載していないながらも決まって冷蔵庫に収まっている黒いラベルのこの酒は、澄乃のお気に入りの銘柄だ。

 おつまみをつまんで、酒を飲んで、その合間に語って。

 この店に来るお客さんたちが、この店でやっているその一連の流れを、僕達は模倣するように行っていく。

 自分のお猪口を空にした澄乃が、大徳利を僕の方へと向けてきた。


「ほら、マウロちゃんも飲んで飲んで」

「あっ、すみませんいただきます」


 慌てて箸を置き、自分のお猪口に残る酒を飲み干して差し出す。そうして空にされたお猪口に新たに酒を注ぎながら、澄乃がくつくつと喉を鳴らして笑った。


「くくっ、そういうとこ、マウロちゃんもすっかり日本の人・・・・になったよねぇ」

「まぁ……あれだけ何度も目にしたやり取りですからね」


 なみなみと注がれた浦霞が零れないよう、お猪口に口を寄せる僕を面白そうに見やりながら、澄乃が自分のお猪口に酒を注ぐ。

 たぷんと揺れた透明な水面を見つめながら、澄乃がぽつりと口を開いた。


「……私はさ。マウロちゃんや、社長や、皆が生まれるずっと前から日本で暮らしているからさ。

 私が来た頃には役所に転移課なんてなかったし、戸籍が出来る前だったし……だから、ずっと日本人・・・なんだ」

「……」


 目を伏せたままで訥々と語る澄乃に、僕は無言のままで話に耳を傾けた。

 澄乃はお煮しめに箸を伸ばし、鶏肉を食みながら言葉を続ける。


「地球の生まれじゃない、日本の生まれじゃない、人間じゃない、だけど日本人。

 異世界と繋がることこそあったけどさ、今みたいにホールのことなんて分からなかったし、あの時自分の身に何が起こったのか、自分のルーツはどこにあるのか、私はそういうのさっぱり・・・・なんだ。

 私の生まれた世界はどれなのか、どんな名前なのか、今も存在しているのか……

 だからさ、ちょっと羨ましいんだ。自分の元来た世界が、ルーツがはっきりしているマウロちゃん達のことが」

「……そう、でしたか」


 力無く微笑みを零した澄乃に、僕は眉を下げるしかなかった。

 自分が確実に周りの人々と――地球の人間と違うのに、自分のルーツを証し立てることが出来ない状況。

 永きを生きてきた彼女は、どれほどに心細かったことだろうか。

 生まれた場所から切り離され、流れ着いた先の国に組み込まれて、たった一人で。


「マウロちゃんの店長昇格を社長に推薦しに行ったときさ、最初は難色を示されたんだよ」

「早すぎる……ってことで、ですか?」

「それもあったけど、一番は『役職を与えることで、この世界に縛り付けてしまわないか』ってことかな」


 柔らかく煮込まれたニンジンに箸を伸ばしつつ、言葉を選びながら話す澄乃。

 その内容に、僕の箸が止まった。

 やはり政親は、悩んでいたのだ。僕を店長の座に据えることに。

 僕に申し訳ないと謝った午前中の一幕が、脳裏に思い起こされる。

 僕の方にちらと視線を向けて、澄乃は再び口を開いた。


「私も、マウロちゃん達が早く元の世界に帰れたらいいと思ってる。

 その時が来たら、陽羽南の店長、店員という立場が邪魔をするだろうってことも、なんとなく分かってる。

 でも私はね、期待してるんだ。きっと、それらを乗り越えられるって」


 そう言って、澄乃は手に持ったお猪口の浦霞を一息に飲み干した。

 まるで振り切るように、吹っ切れたように天井をしばし見上げる澄乃。その姿を見て、僕の心に小さな灯が点った。


 僕は、期待されて今この場にいる。

 僕達は、いずれ来るその時を迎えても、決して折れないだろうと。

 元の世界チェルパに帰るその時に、決断を下せるだろうと。


 ならばその想いに、僕は応えるまでだ。

 僕は手元のお猪口を、澄乃がそうしたようにぐいと干した。お猪口をテーブルに置く乾いた音が、カツンと響く。


「店長」

「うん?」

「僕は……店長を引き受ける時に、社長にこの世界が大好きです・・・・・・・・・・って言いました」

「……そっか」

「だから僕は、僕の仕事をしっかりします。

 居酒屋の店長の仕事も、元の世界に帰る手段を探すことも。

 帰るときに、胸を張ってあちらチェルパに帰りたいですから」

「そっか……そうだね。大丈夫。

 マウロちゃんなら……君達なら、きっと堂々と帰れるさ」


 そう、微笑んで言いながら、再び澄乃は浦霞をお猪口に注いだ。

 自分のものにも、僕のものにも注いで徳利をテーブルに置くと、笑みを浮かべたままでそれを持ち上げて見せる。

 僕も彼女に倣い、お猪口を持ち上げて微笑めば。

 チンと小さく、陶器の当たる音が鳴った。



~第39話へ~

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