第35話~再会~

~???~



 緑が豊かな山の中腹、切り立った山道にて。

 母親に連れられて歩く、赤い鱗の竜人ドラゴンレイスの少女の足元の道が、みしりと音を立てて割れた。

 そのまま地面と共に、眼下の森へと落下を始める少女。驚愕と恐怖に見開かれた目が、母親に向けられる。


「いやぁ! ママっ!」

「ラウラ!!」


 傍らについていた母親がとっさに少女の手を掴もうと、その手を伸ばす。

 必死に差し出した手を、少女の小さな両手が握り締めるも、母親の身体を支える地面も、もはやそこには無い。


「きゃぁぁぁーーーっ!!」


 山中に甲高い悲鳴が響き渡った。

 幼い娘を抱きしめたまま、空中を自由落下してゆく母親。背に持つ翼を羽搏かせるも、落ちていくのを止めることは出来そうにない。

 キュッと目を瞑って娘を強く抱きしめた瞬間。


 視界一面を光が満たした。




 悲鳴を聞きつけた村人の通報により、兵士たちによる必死の捜索が行われるも、滑落した竜人ドラゴンレイスの母子を見つけることは、ついぞ叶わなかった。


 近隣の村に住む者の証言によるとその時、山肌でまばゆい光が数度瞬いたと同時に、女性の悲鳴がかき消えたのだという……





~新宿・歌舞伎町~

~居酒屋「陽羽南」~



 夏季休暇が明けた「陽羽南ひばな」は、いつも通りに営業を再開した。

 「こでまり」のサポートに向かったマウロを除いて、全員いい具合にリフレッシュできたという話である。

 お客様も常連さん、一見さん、変わらずお店にやってきて、互いの話に耳を傾けつつ酒器を傾けていた。

 そうしてまたいつも通りの日常が戻ってきて、8月22日、水曜日。

 水曜日ということもあって店内は仕事帰りの客でよく賑わっていた。


「いやー、やはりここでの仕事帰りの一杯はたまりませんねぇ。あ、ジスクールさんすみません、らっきょうとポテトサラダ、ブリ大根一つ!」

「かしこまりました。1席様、らっきょう1、ポテサラ1、ブリ大根1いただきましたー!」

「ありがとうございまーす! クズマーノさん、今日はご機嫌ですね」


 厨房から声を張った僕は、カウンター越しに顔を出して一番奥、1席に腰を下ろすマルチェッロに声をかけた。

 大徳利を傾け、墨廼江すみのえの純米吟醸を味わうマルチェッロが、その小さな手と同じくらいのサイズがあるお猪口に寄せた口を離しながら言う。


「先々週にカマンサックさんからご報告いただいた転移の件が、ようやく片付きましてね。区内での久しぶりの大事件だったもので、てんやわんやでしたよ」

「俺やマウロとは逆に、こっちからあっちに転移していくこともあるのか?」


 マルチェッロから席を一つ空けて隣、カウンターの3席でビールジョッキを干すレミが、小さく首を傾げつつ言った。

 警備会社への就職を無事に決めたレミは、今週月曜が初めての給料日だったという。研修期間中だったこともありなかなか店に顔を出せなかったが、これからは時間を作れそうだ、と入店時に精悍な顔を緩めていた。

 まだ地球に来てから日の浅いレミに、数少ない顔見知りであるマルチェッロが優しい眼差しを向けた。その手には勿論、墨廼江の注がれたお猪口。


「この世界、というよりこの日本という国は、どういう因果か他の世界と位相・・が重なりやすいようでしてね。結構起こるのですよ、世界間の転移が。

 まぁ、転出の件数は転入よりもだいぶ少ないのですが。だから発生すると騒がれるんです。

 転出者の特定、職場や学校への連絡と対応協議、ご家族へのサポート、居住地の自治体への報告……異世界から転入してくる場合よりも、センシティブな仕事が多いから大変です」


 そう言って、マルチェッロは目を閉じて深く息を吐いた。


 この国の人々は各自治体がしっかりと住民の情報の管理を行っている上に、大概の場合どこかしらの「組織」に身を置いている。

 その兼ね合いで、急に行方をくらませる人が出ると、組織や自治体が管理する情報の整合性が取れなくなるのだそうだ。僕も入植の際に、その辺りの話を念入りに聞かされた。

 僕の国シュマルは戸籍管理を厳密にしていなかったはずなので、混乱しているとしたら僕たちが所属していた冒険者ギルドくらいなものだろうけれど。その辺りの管理する度合いは、地球の方が断然上だ。


 ふーん、と声を漏らしつつ話を聞いていたレミの前へと、僕はコトリと唐揚げを盛った皿を置く。


「唐揚げ、お待たせしました。飲み物はどうします?」

「ん、こいつをもう一杯。後は何か、辛味のあるものを貰えるか?」


 ざっくりしたオーダーに、僕は少し思案した。少し考えを巡らせた後に、壁の貼り紙を指す。


「新メニューのディエチ風南蛮漬けはどうでしょう? 唐辛子を加えたダレに揚げたアジを漬け込んだ料理なんですが、刺激的で美味しいですよ」

「ほう、美味そうだな。じゃあそれを」

「ありがとうございます。3席様、生1に南蛮漬け1いただきましたー!」


 レミのジョッキを下げつつ、カウンターから顔を引っ込めた僕が声を張ると、どうやら僕がメニューを指さしていたのが他のお客さんにも見えていたらしい。

 次々にテーブルで手が上がった。


「マウロちゃん、俺にも南蛮漬け1つ!」

「あ、ごめんこっちにも南蛮漬け2つ欲しいー!」

「かしこまりました、お待ちくださーい。D卓様南蛮漬け1、B卓様南蛮漬け2いただきましたー!」

「「ありがとうございまーす!」」


 フロアに立つアンバス、エティ、パスティータが揃って僕の声掛けに呼応する。

 僕は後ろを振り向いてディトへと指示を飛ばすと、レミの飲んでいたジョッキに生ビールを注いだ。

 黄金色のビールが泡を伴ってジョッキを満たしていく。僕はそのまま厨房を出て、カウンターに座るレミの元へ。レミの目の前にジョッキをそっと置いた。


「生ビール、お待たせしました」

「ありがとう」


 短く交わされるやり取りと、微笑み。それを横目に眺めていたマルチェッロが満足そうに息を吐いた。


「カマンサックさん、すっかり風格が出てきましたねぇ。もうすぐ二号店が西新宿にオープンすると聞いていますし、店長就任も近いんじゃないですか?」

「らしいですね。でも流石に早いでしょう、僕が店長は」


 片方の口角を上げてマルチェッロに笑みを返す僕に、目の前の小さなドラゴンは高らかに笑うと、手に持つお猪口の酒を呷った。

 さっさと厨房に戻った僕は、冷蔵庫かららっきょうの袋を取り出して小鉢に盛る。一緒に注文を貰ったブリ大根は、既にカウンターの上で待っていた。その器の隣にらっきょうの小鉢を置いて、声を上げた。


「1席様、らっきょう、ブリ大根どうぞー!」

「了か……」



 ビーッ、ビーッ!!



 僕の声にアンバスが返答を返そうとした瞬間、店内にけたたましい警報音が鳴り響いた。

 何事か、と辺りを見回すお客さんたちに、僕達。そして僕は視界の隅で、マルチェッロが青い顔をしてスマートフォンを取り上げるのを目にした。

 警報はマルチェッロの手に持つそれから発せられているようだ。しかし、この警報音は聞いたことが無い。

 すっかり酒気の抜けた表情でスマートフォンを操作するマルチェッロが、突然椅子から飛び降りた。

 床の上に飛び降りた彼の瞳に、焦りの色が浮かぶ。


「皆さん本当にすみません、急いで店の壁際に寄ってください!!

 バンフィさん、そこの真ん中のテーブルを端によけてください、早く!!」

「何事だ!?」


 突然の事態と飛ばされる指示に、右往左往するE卓のお客さんをなだめるアンバスが声を張った。

 対してマルチェッロも、心底から真剣な声で告げる。


ホールです! ホールこの場所・・・・に開こうとしています!!」

「「ここに!?」」


 その場にいる全員が、一様に驚愕の声を上げた。

 今までもこの店の入っているビルの近辺や、ビル近隣に入り口のある地下街にホールが開くことはあったが、このビルの中に、しかもこの店の中に、ピンポイントにホールが開くだなんて。

 大急ぎでエティとパスティータがテーブル上の皿や料理を移動させ、アンバスがテーブルを移動させた直後に、僕は店の真ん中の空間が、空間の向こうに立つアンバスの姿が、大きく歪むのを見た。

 同時に僕の身体へと流れ込んでくる魔力・・。間違いない、このホールが繋がっているのは僕たちの世界チェルパだ。

 そしてお客さんとスタッフが店内中央の空間の歪みを取り囲む形になったところで、スマートフォンを握るマルチェッロが叫んだ。



ホール、開通します!!」



 刹那、僕の身体めがけてまるで滝のように、大量の魔力が叩きつけられてきた。

 それは乾いたスポンジに大量の水をかけても全てを吸い込み切れないように、僕の身体から弾かれて店の中に拡散していく。

 あんまりにもあんまりな勢いの魔力に、僕の身体は自然と膝をついた。


「くぅっ……!」

「カマンサックさん! 大丈夫ですか!?」


 胸を押さえる僕の後ろから駆け寄ってきたディトが、しゃがみ込んで僕の背中に手を添えた。

 その瞬間である。


「……ぁぁあっ!!」


 店内中央から、お客さんでも・・・・・・スタッフでもない誰か・・・・・・・・・・の叫び声が聞こえた。

 同時に、床の上に重たいものが落とされたような、ドスンという音が響く。

 まさか。まさかとは思うが。


 また誰かが・・・・・チェルパから地球へと・・・・・・・・・・転移してきたのか・・・・・・・・


「カマンサックさん、具合は……」

「あぁ、うん……大丈夫です、ありがとうございます」


 数度深呼吸した後に、ディトへ笑みを見せると、僕はゆっくり立ち上がった。再び、視界にフロアを収める。

 空間を歪め、渦を巻いていたホールは、既に閉じている。魔力の流入も止まっていた。

 そしてお客様に取り囲まれるようにして床の上に座っていたのは、白い鱗を持つ竜人ドラゴンレイスの女性と、彼女に抱かれる赤い鱗を持つ竜人ドラゴンレイスの少女だった。

 大きな翼で自身と娘を守るように壁を作る女性は、突然周囲の風景が変化したことに驚愕しているのだろう、目を丸くして辺りを見回していた。

 だが、それ以上に。彼女らを取り囲んでいる人の中に、さらなる驚愕の表情を顔に貼り付けている人物がいた。


「ミラ……?」


 アンバスのあんぐりと開かれた口から、まるで信じられないものを目にしたかのような声色で、言葉が漏れ出した。

 その声に反応した白い鱗の女性が、恐る恐る後ろを振り返る。そして震えながら口を開いて、言うことには。


「あなた……あなたなの!?」

「ミラ……ラウラ……!! 本当に、本当にお前たちなのか!?」


 たまらず傍に寄り、女性の肩を抱くアンバス。

 そのアンバスの姿を見て、女性に抱かれた少女がぱぁっと表情を明るくした。


「おとーさんだ!! ほんものだ!!」




 地球と、異世界チェルパで、離れ離れになっていた親子の再会。

 その、俄かには信じがたい、この上ないほどに感動的な場面が、人々の目の前で繰り広げられていた。

 自然と、お客さんの輪の中から拍手が起こる。その拍手はやがて店内いっぱいに広がり、アンバスとその妻子を祝福していた。


「うっうっ……バンフィさん、よかったですねぇ……ほんとに……」


 その輪の中で、一人涙を流しながらハンカチを取り出すマルチェッロの姿に苦笑したアンバスは、しっかりと愛する妻と娘を、その腕で抱きしめたのだった。



~第36話へ~

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