第14話~里芋の煮っころがし~

~新宿・大久保~

~メゾン・リープ 102号室~



「はー……」


 木曜日、午後7時。

 俺――アンバスは本社での研修を終えて、自室で一人ベッドに横たわっていた。

 もうそろそろ店をオープンしてから一ヶ月、来週からは業務の合間に研修を挟むこともなくなるだろう。

 折角だから由実の飲みの誘いに乗っかってもよかったのだが、結局断り、まっすぐ帰ってきて、今に至る。

 どうにも気分が乗らなかったのだ。たまにはそんな日もある。


「そういや今日は満月だっけか……パスティータのやつ、大丈夫だろうな……」


 帰る途中に空に浮かんでいた満月を思い出し、独り言ちる。

 先月は何とかなったと当人は言っていたが、呪いは呪い。やはり心配だ。

 こちらの世界では治療や解呪が出来るとも思えないし、うまいこと付き合っていくしかないところだろう。


「……はぁ」


 再度、ため息をついた。と。

 グゥゥゥゥ……と腹の虫が鳴く。そういえば夕飯をまだ食べていなかった。

 時間帯的に食堂はまだまだ活気があるころだろう。俺はベッドから身体を起こすと、服を整えて部屋の扉に手をかける。

 ドアを開けるのに合わせて、首元のロケットがちり、と揺れた。



~メゾン・リープ 食堂~



 食堂に入ると、予想に反して人影はまばらだった。仕事を終えて来たであろう数人が、各々離れた席で無言で食事を取っている。

 俺は所在無さげに首筋をかくと、注文カウンターへと向かった。


「豚生姜焼き定食一つ」

「はいよー」


 カウンターから厨房へ注文の声を投げると、中でご飯をよそう澄乃が威勢のいい声を返してきた。

 俺は厨房傍の長テーブルに腰掛けて、注文品の出来上がりを待つ。後ろで食器と盆が音を鳴らし、肉の焼ける香りが漂って、実に食欲を刺激してくる。

 水を飲み飲み、待つこと数分。


「はい、豚生姜焼き定食おまちー」


 澄乃の声が食堂に響く。立ち上がった俺は後ろを振り返り、カウンターに置かれた盆を手に取った。


「ありがとな」

「どういたしまして。しっかり食べてってちょうだい」


 礼を言った俺に、にっこり笑いかけた澄乃。そしてまた厨房の奥へと戻っていくその背中を見つつ、俺は夕食を食べ始めた。

 今日のメニューは豚肉の生姜焼き、小鉢に里芋の煮っころがし、漬け物、ご飯にわかめの味噌汁。

 和食とは、すなわちこういうメニューを言うのだろう。


「……いただきます」


 俺は目を閉じて両手を合わせると、箸で里芋の煮っころがしに手を付けた。

 口に運び、ゆっくりと咀嚼する。醤油の味わいが優しく、ホッとする。

 つい再び里芋に箸が伸びる。一個、また一個、俺の口の中に消えていく里芋。

 四つほど連続で食べたところで、ハッと気が付いて味噌汁の椀に手を付けた。そのタイミングで。


「いいねぇ、そんなに美味しそうに食べてくれると、私も嬉しいってもんだ」


 唐突に正面から、澄乃が声をかけてきた。エプロンを締めたまま、両手でカレーの乗った盆を盛った状態で。

 ……俺は危うく、味噌汁を澄乃の顔面に吹きかけるところだった。僅かにこぼした程度で済ませたことは褒められていいと思う。


「っっ、てんちょ、何すか急に」

「何って、言葉の通りだよ? 作った料理を食べる人の手がついつい伸びる、そんな様子を見せられたら嬉しいじゃないか」


 手近なところにあった布巾でこぼした味噌汁を拭きながら、俺は澄乃に質問するも、帰ってくる言葉は何とも飄々として、掴みどころがない。

 澄乃は明るいしよく働くし、料理も美味しいのだが、この飄々としてするりとかわしてくるところだけはまだよく分からない。

 その柔軟性のあるところによって、頼りがいのあるのも事実なのだが。


「そろそろこっちに来て二ヶ月くらいだろ? 悩みの一つや二つ、出て来た頃合いじゃないか?」


 カレーをスプーンですくいながら、澄乃は俺に目線を合わせないままでそう言った。

 内心ギクリとした。無いと言ったら嘘になるが、話して解決する類のものでないことは、俺がよくよく分かっている。

 気持ちを落ち着かせるため味噌汁をすすり、ふっと息を吐いた。


「……そりゃ、あるっすよ、悩んでることは。ただ、話してどうなるものでも……」

「どうなるものでなくてもいいのさ、話すってのが大事なんだから。ほら、食べた食べた。

 お悩み相談は酒でも飲みつつじっくり聞いてあげるよ」


 そう言い、すくったカレーを口に頬張る澄乃。

 確かに、食事しながら話すのも行儀がよろしくない。それに折角の生姜焼きが冷めるのもよくない。

 俺は再び味噌汁に口をつけると、豚肉に箸を伸ばした。



 お互い食事が終わり、食器を戻したころ。

 まだ周囲に人影は少なく、食事を取っていた面々も部屋に帰るなり街に繰り出すなりしていた。

 俺は澄乃と横並びに座り、里芋の煮っころがしを肴に焼酎を酌み交わしていた。

 酒が入ると自然と口も動いてくる。気が付いた頃には俺は、自分の身の上を澄乃にぽつぽつと話していた。


「……俺、あっちの世界に妻と子供が居るんです。

 元々傭兵稼業だったし、数ヶ月家に帰れないなんて話もよくあったんで、それはいいんですけれど、「こっちの世界からあっちの世界に帰れるか分からない」ってのは、やっぱり不安で……」

「そうかー……そこはやっぱり不安だよねぇ、自分ではどうにもできないし」


 両手で焼酎を入れたグラスを包み込み、悩みを吐露する俺。視線を上げると、二人の間に置かれた里芋の煮っころがしの小鉢が目に入る。


「里芋の煮っころがし、似た感じの料理を妻がよく作ってて、懐かしいなって思ったら、なんか急に、あいつの手料理が食いたくなってきて……」


 声の端が自然と滲んだ。涙がこぼれ落ちそうになるのを必死にこらえながら、焼酎のグラスを呷る。

 こんな形でホームシックにかかるなんて、情けないと思う気持ちもあるが、やはり会いたいという気持ちは抑えられない。

 そんな俺の様子を見て、澄乃は里芋を口に運びながら、口を開いた。


「私はあっちの世界に大した未練も無いから、説得力があれかもしれないんだけど……

 世界って、繋がる時はほんとに繋がったりするからねぇ。同じ世界と、一ヶ月の間に三回繋がった、なんてケースもあったりするし。

 だからアンバス君が「逢いたい」って願っていたら、その気持ちはきっと通じると思うよ?」


 里芋を咀嚼し、飲み込んで、澄乃は俺にティッシュの箱を渡してきた。

 目頭を拭い、鼻をかんだ俺は、スッと小鉢の里芋に箸を伸ばし、一つ食べた。

 咀嚼するたびに口の中に広がる、醤油と砂糖の優しい味わい。ねっとりとした里芋の柔らかさ。

 あぁ、やはり懐かしい。


「ま、大丈夫大丈夫! それほどまでに家族を愛しているアンバス君なら、きっと神様もいいこともたらしてくれるでしょ!」


 元気づけるように、俺の背中をバンと叩く澄乃。

 その力強さに押されつつも、俺の顔は自然と綻んでいた。


「(待ってろよ、父ちゃん、必ずお前たちの元に帰ってやるからな……!)」


 そう、心の中でつぶやく俺の目の前で、グラスの水面がゆらりと揺れた。



~第15話へ~

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