第11話~アグロ風チキンボール~

~飯田橋・新小川町~

~リンクス株式会社・本社~



 一週間の始まり、月曜日がやって来た。

 仕事人達は電車に揺られ、車輌から吐き出されては各々の職場に向かい、学生たちは講義に不平をこぼしながら大学のキャンパスに向かい、児童は土曜日ぶりに顔を合わせた友達とはしゃぎながら、学校へと向かっていく。

 そんな、慌ただしくかついつも通りに動いていく飯田橋の街を、僕は更衣室で着替えながら見下ろしていた。


「(これが毎日だって言うんだから、信じられないよな……毎度のことだけど)」


 長袖Yシャツを脱ぎ、調理用のシャツに袖を通しながら、僕は思う。

 この世界は、いや、この国は、多くの人が、冒険に出ることも内戦に巻き込まれることもなく、平和で平穏な日常の中で、淡々と、ともすれば惰性の中で、その中に幸せを見出して暮らしているのだ。

 僕達のいた世界にも、そうして平穏な日常を暮らす人々がいなかったわけではない。むしろそうやって暮らす人達の方が多数派だった。

 だが、貴族同士の内紛に巻き込まれて家を失ったり、集落を襲った魔物や魔獣に命を奪われたり、そういう「不慮の事故」が多かったのは事実だ。

 この世界の、他の国は僕にはまだ分からないが。この国においては、そういった「不慮の事故」の規模が、随分と小さいように思う。


「そういえばこの間、代々木の居酒屋に暴漢が立て籠もったって、ニュースになっていたっけな……」


 世間を賑わすニュースも王都だったら、衛士が駆けつけて鎮圧して何事もなかったかのように片付けられ、人の噂からも数日で消えるような話題ばかりだ。

 事件を聞いた時には同じことで陽羽南で起こったらどうしようと、心の底から不安だったが。


 キーンコーン……――


 定時を知らせるチャイムが鳴り響く。

 僕は慌ててエプロンを締めてネームタグを首にかけると、更衣室を飛び出していった。やばい。



「5分遅刻だぞ、カマンサック」

「……すみません、瀧さん」


……間に合わなかった。うなだれる僕に、宗二朗はシンクを指でクイと指す。

そうだ、手を洗わなくては。僕は気持ちを切り替え、研修に取り掛かった。




 今日の研修も、実に慌ただしいものだった。

 限られた時間内に多くの料理を仕込む手際と手順の習得、素早く正確なみじん切りの訓練、肉の切り方、魚の捌き方の練習。

 本来ならもっと時間をかけて、実業務の中で学んでいくものだが、何分僕達はこちらの世界に来てからまだまだ日が浅い。

 要は根本からの価値観や感覚が違うのだ。それを踏まえた上で、こちらの世界で問題なく働いていけるようにするため、こうしてみっちりと指導をしているのだ。

 そう、宗二朗と政親は最初の研修で言っていた。

 実際僕も、この世界の人々との根本的な考え方や感じ方の違いやズレは、大いに感じていた。

 調理器具は常に最上の状態を保っていて然るべき、客はサービスを提供される側でその事実は動かない、料理は舌で味わうよりまず目で味わう……などなど。枚挙に暇がない。

 特に、頼んだ料理を前にして魔法板タブレット――スマートフォンと言うらしい――のカメラで盛んに写真を撮っているのは、初めて見た時に目を疑ったものだ。


「……終わりました!」

「ふむ……」


 三枚に下ろした僕の手元の鯖を、宗二朗が細かくチェックする。

 しばらくチェックした後、ぴしゃりと一言。


「中骨に身が残りすぎ! もう一回!」

「えぇ……!?」


 判定が厳しい。仕方なしに僕は、冷蔵庫から新しい鯖を取り出した。が。


「いかん! 魚を持つときは背を持てと言っただろう!

 尾を持ってぶら下げたら自重で身が割れるのが、こうした魚なんだぞ!」

「あっ、はいっ!」


 さらに宗二朗の厳しい指摘が飛ぶ。そうだった、魚は自分の重さに自分の身が耐えられないんだった。

 僕達の世界の魚類は身が硬いものが多かったから、ついつい尻尾を持って運んでしまうのだが、ここではそうは行かない。お客様は目敏いのだ。




 魚を捌く練習を終え、手を洗った僕は、最後の工程に取り掛かった。

 鶏のモモ肉を前にした宗二朗が、腕組みをして僕に言うことには。


「鶏のモモ肉を使って、カマンサックの元いた「世界・・」の料理を、一品作れ。制限時間は10分以内だ。」


 その言葉に、僕は一瞬目を見開いた。

 10分。作り始めから作り終わりまでの一連の手順を、わずか10分でやらないといけないのか。

 だが悩んでいる時間すら惜しい。僕は一つ頷いて、まな板に置かれた鶏肉に向かい合った。


 まずは鶏肉に砂糖と塩をもみ込み、小さく切り刻む。

 胡椒を強めに振って、ここで取り出すのはショウガだ。


 この辛味と爽快感のある香りを併せ持つ香辛料は、僕達の世界でシュマル王国の南方にある海洋国家・アグロ連合国特産のハーブによく似ている。

 その独特の風味は記憶に鮮明に残っていたため、こちらに来て下ろしたショウガを口にした時、驚いたものだ。

 これを洗い、皮のついたままおろし金ですり下ろして鶏肉とよく混ぜる。

 バットに片栗粉を敷いてその上にボール状にまとめた鶏肉を乗せ、小麦粉をまぶしたら、熱した油の中に落として揚げる。

 程よく表面がきつね色になったところで油から引き揚げ、皿に盛ってレモンを添えれば完成だ。


「出来ました。アグロ風チキンボールです」


 チキンボールが盛られた皿を、宗二朗の前に出す。

 タイマーを止めた宗二朗が時計を見ると、小さく頷いた。そしてこちらに画面を見せてくる。表示された時間は、「9分38秒」。


「制限時間は合格だ。さて……」


 言葉を切り、箸を取る宗二朗。制限時間クリアにホッと胸をなでおろしたかった僕だが、そんな気持ちの余裕はなかった。ごくりとつばを飲み込む。

 宗二朗は揚げたてで湯気の立ち上るチキンボールを、一つ摘まみ、口に運んだ。目を閉じて、二度、三度と噛む――と。


「ほぉ……」


 小さく、声を漏らして宗二朗はその目を見開いた。飲み込むや否や、箸が再びチキンボールに伸びる。

 その様子に、僕は内心でガッツポーズをしていた。これは実に好意的な反応だ。よかった、喜んでもらえているようだ。

 声が上ずるのを隠しながら、二個、三個と食べ進める宗二朗に恐る恐る問いかける。


「ど、どうですか?」


 僕の言葉に宗二朗は、口に含んでいたチキンボールを飲み込むと破顔一笑、満面の笑みを見せた。


「いや、想像以上だ! これは美味い。美味いぞ!

 後でレシピを教えてくれ、日本人向けにして他の店でも出してみたい!」


 その言葉に僕の顔も自然に緩む。自分の作った料理を褒められて、嬉しくないわけがない。

 もう少し日本人向けにアレンジする必要があるのかもしれないが、それは今は置いておこう。何より、やり遂げたという喜びが大きいのだ。


「よし、研修が終わったら飲みに行くぞ!俺がおごってやる!」

「えぇ……またですか……」


 だがその喜びを薙ぎ払うように、上機嫌の宗二朗が僕の肩を叩く。対して僕は一気にがっくりと来た。

 なにせ研修の後、決まって宗二朗に連れられて居酒屋やらバーやらに行っているのだ。幾ばくか奢ってくれているとはいえ、毎週では気持ちも萎える。


「(途中でよさそうなお店見つけてたし、行ってみようかと思ってたんだけどな……聞いてくれるかな……)」


 既に仕事が終わった後のことを考えている宗二朗を見つつ、僕は耳と尻尾を力なく垂らすのであった。



~第12話へ~

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