捜査編⑦――ショウジョウトキの見たもの。ツチノコのアリバイ
最初に部屋を飛び出したのはショウジョウトキだった。遅れてアミメキリンが部屋を出たころには、彼女は既に出入口に向かって飛び上がっていた。天井近くを滑るように飛んでいき、ぶつかるような勢いで扉を開けて出ていった。
「なな、何かあったんかい? いま入り口ん方からすんごい音が聞こえてきたけどぉ」
出入口に近い部屋の開けっ放しのドアからアルパカが出てきた。入り口とアミメキリンたちとを見比べて、困惑の表情を浮かべている。
「アルパカ! 誰かがここから出ていくのを見なかった?」
「いんやぁ。だンれも通ってねえよ」
「本当に!? 誰も通ってないの?」
勢い込んで尋ねるアミメキリンに、アルパカが頷く。
「そ、そうだよぉ。二人と別れてからずっと部屋ん中から見てたけど、だンれも見なかったよぉ」
じゃあショウジョウトキが見たツチノコは何だって言うのか。
「みんな慌てて、中で何かあったんけえ」
「……ツチノコが外にいるみたいなの」
「にええっ!?」
驚くアルパカ。様子から見るに、本当に知らなかったようだ。
二人の話を聞いていたタイリクオオカミが、情報を整理するように頷く。
「ここで話しても埒が開かない。とにかく外へ急ごう。アルパカは引き続きここで誰かが通らないか見張っててくれ」
タイリクオオカミに促され、三人は宿泊施設を出た。相変わらず酷い雨と風だった。一瞬にして全身がびしょびしょになる。
宿泊施設を出て三人は、まず二手に別れた。タイリクオオカミが最短ルートである左へ行き、アミメキリンとトキが反対側の右へ向かった。隠れる隙を与えない作戦だった。
建物をぐるりと回って角を曲がると、すでにタイリクオオカミとショウジョウトキが部屋の前で合流していた。遅れてやってきたアミメキリンに、ショウジョウトキはキッと振り返って窓のすぐ下を指さして声を張る。
「ここよ! ここにいたんですけど!」
アミメキリンは指し示された場所を見た。建物の窓からさっきまで自分たちがいた部屋が見える。
「アミメキリンたちは誰か見なかったか」
「いいえ。何も。ぐるっと回ってきましたけど何も見なかったです」
「私たちもだ」
タイリクオオカミが顔をしかめて顎に手をやる。何かを考えてるらしい様子に、ショウジョウトキが苛々と首をふる。
「何してるんですけど。早くツチノコを追わないと」
「追うって言っても、一体どこへ行けって言うんだい。そもそも、彼女はどうやって外に出たんだろうか。入り口はアルパカが見張っていた。なぜ――」
「そんなのどうだっていいんですけど!」
タイリクオオカミの言葉を遮って、ショウジョウトキは喚き立てる。翼を広げてタイリクオオカミに詰め寄り、肩を揺する。
「ツチノコが犯人! それで決まりなんですけど! 私は見たの! アイツをっ。ここでっ」
「ここにツチノコがいたとして、彼女はどこに消えてしまったんだ。建物の周りには誰もいなかった。一番近い隠れ場所はカフェだが、あそまで走って逃げる時間はなかっただろう」
宿泊施設からカフェまでかなりの距離だ。そこへ逃げたのなら、少なくとも最初に宿泊施設を飛び出したショウジョウトキが目撃していたはずだ。
「ねえ、ショウジョウトキ」
「なに!」
アミメキリンが声を掛けると、ものすごい剣幕のショウジョウトキがキッと振り返る。思わず仰け反ってしまった。こんな顔をされて、平然といられるタイリクオオカミは改めてすごいと思う。
「え、えっと、その。さっきショウジョウトキは窓の外にツチノコを見たのよね。どっちへ逃げたの?」
「なんでそんなこと聞くんですけど」
「た、大したことじゃないんだけどね。ちょっと気になっちゃって」
えへへ、とおどけて笑ってみせるが、ショウジョウトキは目は鋭いままだ。ふんっ、と鼻を鳴らして窓の方を顎でしゃくる。
「……こっち側よ」
「ええっと……。こっち側って、どっち側?」
「…………」
ジト目でにらみを利かせながら、ショウジョウトキが入り口側を指さした。「左か」とぼそりと呟いたのはタイリクオオカミだった。
「左……。部屋の中から見て右側へ逃げたということか。それだと私やショウジョウトキと出会ってないとおかしいな」
「でも出会わなかった」
「ああ、妙なことにね」
「そんなの単純な話なんですけど!」
ショウジョウトキが割り込んでくる。
「隠し扉よ。それを使って出入りしてるに決まってるんですけど」
「隠し扉か……」
タイリクオオカミが呟いたときだった。「ねえ!」と入り口の方からアルパカが走ってきた。濡れて顔に張り付いた髪を払い、入り口を指さす。
「ねえ、ちょ、ちょっと聞いで。あんたたち、ツチノコぉ探してるんだよね。ツチノコなら、中にいたゆぉ」
「中? 中ってこの宿泊施設のこと?」
アミメキリンが尋ねると、アルパカは頷いた。
「そうなんだゆぉ。みんなが出て行ったあと、ツチノコがひょっこり廊下を歩いてきてさぁ。騒がしいけど、何かあったんかって」
「ほら見なさい」
ショウジョウトキが勝ち誇ったように腕を組む。
「隠し扉を使って中に戻ったのよ。それでさも、今まで部屋の中にいたって風を装ってるに決まってるんですけど」
言って、ショウジョウトキはアルパカの来た道を辿ってズカズカと歩いて行く。
「ちょっ、どこいくの」
「隠し扉を見つけてやるのよ。アイツが、アイツの庇うスナネコが犯人だって証拠をあげてやるんですけど」
――――
「なんでないのよ!」
濡れてびしょびしょになった髪をかきむしりながら、ショウジョウトキが声を荒げる。それを部屋の端で見つめるツチノコは、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「な? オレは今の今まで部屋から一歩も外に出てないんだ。変な言いがかりはやめてくれよな」
キッと、ショウジョウトキがツチノコに睨む。目が合ったツチノコがうろたえたようにアミメキリンの後ろへ移動する。なぜ、私を盾に……。
「なっななな、なんだよやる気かよ!」
「私はちゃんと見たんですけど! アンタが外にいるのを!」
「まだ言うかァ! キシャー!」
アミメキリンを挟んで喧嘩する二人と、二人に挟まれてオロオロとするしかないアミメキリン。それらを疲れたように見つめるアルパカとトキ。見かねたタイリクオオカミが強めの咳払いで全員の注意を集めた。
「ちょっといいかな。二人も落ち着くんだ。いいね」
ようやく静かになった室内を見渡し、
「私やアミメキリンも探したが、この部屋に隠し扉はなかった。この部屋は間違いなく”入り口前の部屋や、さっき調べてたビーバーたちの部屋と全く同じ”だ。棚の中のものが違うくらいでね」
そう言って指し示されたのは、ベッドの上に載せられた棚の中身だ。そこにはツチノコの私物であるジャパリコイン数枚や宿泊施設建設に使用したという道具がいくつか、並べられている。見たこともない道具にアミメキリンは興味はそそられるが、さすがに聞ける状況ではない。
「アミメキリン」タイリクオオカミが尋ねる。「この部屋と他の部屋、違うところはあったかい」
アミメキリンは首を振る。以前タイリクオオカミに言われたが、キリンは記憶力に優れるのだ。もし何か違う部分があれば、即座に気づける自信があった。
「ないですね。少なくとも隠し扉や抜け道になりそうな全く見当たらなかったです」
隅々まで観察したが、他の部屋との違いは見当たらなかった。ベッドが一つ、その横の背の低い棚。あとは窓と扉だけ。何一つ変わったところはなかった。
(あれ? これって)
改めて室内を見回しているときだった。窓のすぐ下のカーペットが一部、線を引いたように色が変わってるのが目に留まる。まったく同じものを、たしかビーバーの部屋でも見た。
「雨漏り……?」
「ん? 雨漏りィ?」
ツチノコがアミメキリンの視線の先を見やり、顔をしかめる。
「あぁそれか。こんな大雨が降るなんて思わなかったからな。天井から垂れてきてるんだよ」
「その割には、隙間があるようには見えないね」
タイリクオオカミが天井を見上げながら横やりを入れる。ツチノコが不機嫌そうに舌打ちをする。
「……そう見えるだけだ。オレだって雨が降ってくるまで気づかなかったんだからな。細けーないちいち」
「マンガ家をしてるとつい細かいことまで気になっちゃってね」
「ふんっ。そうかよ。――言っとくが、天井にも隠し扉なんてないからな。ま、その辺に関しては、さっきどっかの鳥が調べまくってたから、そいつに聞いてくれたらハッキリするんじゃねえかな」
最後のはショウジョウトキに対するものだった。まさに余裕綽々といった様子で口の端をつり上げるツチノコに、ショウジョウトキの顔はみるみる真っ赤になっていく。「待って」とトキが叫ぶ間もなく、ショウジョウトキはツチノコの襟を掴む。掴んだところを中心に染みこんだ水で色が変わっていく。
「私はアンタが外にいるのを見たんですけど! 抜け穴はあるに決まってるんですけど!」
「はあぁっ? オレが外にいたって証拠はあるのかよォ! さっきの話だって、よくよく聞いてみたらオレを見たのはショウジョウトキだけだったってことらしいじゃねえか。オレが室内にいたって証拠ならいくらでもある。果たしてどっちがホントでどっちがウソなんだろうな?」
「そ、それは……私が見たから……」
「それを証明できるのか? 証明するための証拠はあるのか?」
「だ、だから……」
言葉に詰まるショウジョウトキ。ツチノコの目が嘲笑するように光った。
「へえ。まるで、オレが外に出ていなかったことが証明されたらまずいみたいな反応だな。そこまでしてウソを突き通す理由は、何なんだろうなあ?」
ショウジョウトキの顔が凍りついた。襟を掴んでいた手を離す。わなわなとくちびるを震わせながらトキを振り返り、ついでアミメキリンとタイリクオオカミを見た。
「ちょ、ちょっと。アンタたちからも言ってやって欲しいんですけど……」
おもむろに近づいて二人の手を握りしめる。その目にすがるような色が浮かんでるのは、実際に追い詰められてるからだろう。ギュッと力の込められた両手の平の毛皮から水が滴り落ちる。
「アンタたち探偵なんでしょ? ツチノコのウソを暴いて欲しいんですけど、このままだとアイツのウソが本当だったみたいになっちゃう。このままだと私のせいでトキが犯人にされてしまう……。おねがい、助けて欲しいんですけど」
「そ、それは」
「申し訳ないが、それはできない」
口ごもるアミメキリンに代わって、そうハッキリ告げたのはタイリクオオカミだった。
「探偵は常に公平に真実を見極めないといけない。この場合、もっとも信憑性が高いのはツチノコが建物から出ていないということだ」
話を聞きながら、ショウジョウトキの顔から色が失われていく。「ありえない」と声にならない声で呟いた気がしたのは、気のせいではないだろう。
「それに、証拠ならもう一つある。この私たちを握ってる手だ。ツチノコが外に出ていたというなら、なぜ彼女の服は乾いているんだい」
ショウジョウトキは自分の手を見つめた。握っただけで水が染みだしてしまうほどその手は濡れていた。ショウジョウトキの手だけではない。アミメキリンもタイリクオオカミもトキも、あのとき外に出ていた者は全身びしょ濡れだった。
――ただ一人ツチノコを除いて。ツチノコは、水が染み込んで色の変わってしまった襟をショウジョウトキに見せつけていた。
「そ、それじゃあ、私が見たのは何だって言うんですけど……」
「何か別のものを見間違えたと考えるのが妥当だね」
「ア、アンタまで私が嘘つきだって言い張るの。トキが犯人だって、そう言いたいの」
「そういうことじゃない。あくまで現状はそう考えるしかないってことだ。もし新しい発見があれば、当然考え方も変わる。それにツチノコが外にいなかったからといってトキが犯人だと決まった訳では――」
「なんなんですけど。なんなんですけどぉ……!」
最後のほうはほとんど言葉になっていなかった。悔し涙を流しながら部屋を飛び出したショウジョウトキを、アミメキリンは目で追うことしかできなかった。
「……ごめんなさい」
追いかけようとドアに駆け寄ったトキが、ドアノブに手を掛けたところで立ち止まる。みんなを振り返り、悲しげに視線を落とす。
「あの子、私が疑われてると知ってから、ずっと不安定で。普段はあんなに大きな声を出したり、乱暴なことを言ったりする子じゃないの。私が言うのもヘンだけど、どうかあの子を許してあげて……」
「だから本当にごめんなさい」と消え入りそうな声で深く頭をさげ、トキは部屋を出た。無言の三人を残して。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます