幻影にとらわれた香澄

夢と命の価値

                 終章


    オレゴン州 トーマスの部屋 二〇一五年八月二五日 午前三時一〇分

 今にも香澄がフローラに向けて銃の引き金を引こうとしていた、まさにその瞬間だった――トーマスの部屋が開く音と謎の人物の一言が聞こえると同時に、これまで緊迫に包まれていた空気が一変する。

そして一同が視線を扉側へ向けると、謎の人物は

「ふぅ……な、何とかぎりぎり間に合ったみたいね」

と大きなため息を吐くと同時に、まだ誰も傷ついていないことを喜んでいた。


 一方トーマスの部屋にいた一同は、突如やってきた謎の人物の正体を知るや否や、驚きを隠せずにいる。その中でも一番驚いていたのは、フローラに銃を突きつけている香澄自身だった。驚きのあまり何度もまばたきをしながらも、ゆっくりと謎の人物の名前を言葉にする……

「!? な、何であなたがここにいるのよ……め、!?」


 何の前触れもなく突然トーマスの部屋にやってきた謎の人物の正体――それは香澄の一番の親友 マーガレットだった。本来ならマーガレットは今頃、カリフォルニア州にある州都サクラメントで、次回公演に向けたオーディションを受ける予定のはず。しかもそのオーディションは夜に行われる予定なので、どう考えてもマーガレットがこの場に来られるはずがないのだ。

「ど、どうしてメグがオレゴン州のポートランドにある、トムのお部屋に来れるのよ!? だってあなたは今頃カリフォルニア州のサクラメントで、はずでしょう!?」

「そ、それはね……香澄……」


 その理由を必死に説明しようとするマーガレットだが、その姿をよく見ると彼女は何度も息を切らしている――どうやら彼女は香澄の身を案じて、マーガレットは相当無理をしつつもトーマスの部屋に到着したようだ。むしろ急激に走ったせいか、マーガレットはなかなか呼吸を整えるのに時間がかかっている。


 突然マーガレットがやってきた当初は、フローラたちよりも取り乱してしまった香澄。だが表面上は驚きながらも、心の中ではどうしてマーガレットがここにいる理由を必死に考えていた。

『……もしかして予定より早く、オーディションが終わったのかしら? いえ、確かオーディションが行われるのは八月二四日の夜ってメグ本人から聞いたから、その可能性はないわね。ポートランドからサクラメントまでの車の走行距離は約六百マイル(約一千キロメートル)だから、どんなに急いでもからはかかるはず。道路も混んでいる可能性を考慮すると、最長でほどかかるわ……』


 しかし考えれば考えるほど、香澄の考えは泥沼にはまる一方だ。香澄がいくら頭の中で必死に計算してみても、マーガレットがこの場にいることの答えが導き出せない。

 その後も頭の中でいくつものパズルを組み立てていくが、香澄の中では一向に答えが出てこない。そう諦めかけていた矢先に、香澄の脳裏にとんでもない仮説が浮かぶ。

「!? め、メグ――あなたまさか……を諦めてまで、この場所に来たというの!?」

 

 マーガレット自身が“今日のオーディションを心待ちにしている”と皆に言っていたほどのイベントなだけに、香澄もそんなはずはないと内心思っていた。しかし今自分の目の前には、まぎれもなく親友のマーガレットがいる――そのことを考えると、香澄にはそれ以外の答えを出すことが出来なかった。

 そんな疑惑の目を向けながら問いかける香澄に対して、マーガレットは何も言わずに首を縦に振るだけだった。

「……最初にジェンから香澄のことを聞いた時、あまりの恐ろしさに頭が真っ白になってしまったわ。そしてすぐに私はこう思ったわ…………ってね。そう思った瞬間私はサクラメントを飛び出して、タクシーを捕まえて急いでポートランドまで来たの。……劇団のみんなには何も言わずに出て行ったから、今頃向こう側は大騒ぎかもしれないわね。最悪、劇団の舞台女優をクビになるかもしれないけど……」

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