青空は何を語るのか?

    ワシントン州 ワシントン大学 二〇一五年八月三日 午後五時三〇分

 ふとした偶然でワシントン大学正門前でエリノアと出会い、彼女をただ人毛のない場所へ案内する香澄。その間にも双方共に何も語ることはなく、ただ黙々と目的地へと向かっている。……数週間前の仲睦なかむつまじい光景が、まるで嘘のようだ。

 そんなピリピリと肌を突き刺すような空気を感じながらも、エリノアを連れた香澄はある場所へと到着する。

「ここってもしかして、心理学サークルの部室?」

「……正確には、心理学サークルの部室お部屋だけどね。さぁ、エリー。中へ入って」

確かにここから他の人の邪魔が入ることもなければ、二人だけでゆっくりと話をすることも可能。香澄とエリノアにとって、まさにおあつらえ向きの場所。


 心理学サークルの部室だった部屋へ入り、椅子を手元に下げその場に座るエリノア。一方の香澄は椅子には座らず、エリノアに背中を向けたまま窓辺に並ぶ白いカーテンを軽く握りしめている。そして気持ちを落ち着かせようと軽く深呼吸をして、その後ゆっくりとエリノアの方へ振り向く。

「……あなたにとって受け入れたくない内容だと思うけど、お願いだから……最後まで私のお話を聞いて」

香澄は普段の優しい口調でエリノアへ問いかけつつも、どこか自分に自信を持っていない、今にも折れそうな小枝のような言葉を投げかける……


 香澄にとって心の奥底に眠らせておきたかった過去、そして真実を知らなければ良かったと一人なげき苦しむエリノア。お互いに苦悩する気持ちと感情を抑えているものの、不安と孤独という感情が香澄とエリノアの心を少しずつむしばんでいく。

 状況をしっかりと把握出来ていないエリノアに対し、当時自分たちがトーマスへ行ってきた心のケアについて説明する香澄。話は数年前にさかのぼる内容であったものの、まるで昨日起きた出来事のように淡々と語り続ける香澄。だがその表情は喜びや幸せに満ち溢れているわけではなく、むしろ哀しみや寂しさといった感情をあらわにしていた。


 そんな香澄の熱意に、エリノアも心を打たれたのだろうか? 最初はしかめっ面で香澄を睨んでいたエリノアの表情も穏やかになり、次第に心から同情するような優しいまなざしを向けている。

「そう、私がシアトルへ来る前にそんなことがあったんだね。……私が初めてフランスでトムたちと出会ってからもう数年が経つけど、その間にシアトルでは色んなことがあったのね」

 これまで椅子に座っていたエリノアも席を立ちあがり、ゆっくりと窓辺に歩み寄る。そして香澄のように寂しく空を見上げながら、一人こうつぶやいた。

「ねぇ、香澄。一つだけ教えて。……あなたが最期にトムを看取った時、あの子はどんな顔をしていた? 私がこの間あなたたちへ見せた写真のように、心穏やかな顔をしていた? それとも……苦しんで……いた?」


 その言葉を聞いた瞬間、香澄の心拍数はこれまでに感じたことがないほど胸の鼓動を感じている。しかしトーマスの最期を自分の胸の中で看取った香澄にとって、正直な気持ちをそのまま伝える。むしろ香澄の性格からして、その場しのぎの嘘を言うという選択肢はない。

 

 だがここで感極まってしまったためか、いざという時に言葉を詰まらせてしまう香澄。しかし不思議なことに、一刻も早く自分の気持ちをエリノアへ伝えたいという気持ちに満ち溢れていた。

 そこで香澄は臨機応変に対応することを思いつき、少しぎこちない笑顔で首を縦に振りながらも、ありのままの気持ちを伝える。そんな香澄の笑顔を見た瞬間、エリノアの瞳から一筋の涙がゆっくりと頬を濡らしていた。そして左手の人差し指でそっと涙を拭いながらも、何も言わずにただ窓辺に浮かぶ青空を一人眺めている。

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