第42話

「コビン君。お嬢様の顔が分かる物って持ってる?」


ユミルが言う。


「え。あ、はい。ちょっと待てください」


 コビンは慌てながら、腰に付けたポーチから、エマの肖像画を取り出した。


「この女の人、見た事ある?」


 ユミルは訊ねる。女は顔を上げてその絵にに目をやった。


「……ええ。でも」


「でも、何」


「この人は、他の皆と違うんです」


「違うって、どういうこと」


「私や皆は、一部屋に閉じ込められて、いたんですけど。この人だけは、奴らが上に連れて行ったんです」


「上のどの部屋かは、分かる」


「ごめんなさい。そこまでは……」


「そう。わかった、ありがとうね」


「あ、あの。さっきの男の人は何で、あいつを連れていったんですか」


「貴女が気にすることはないわ」


 ユミルは笑顔を女に向けた。それは心配をさせないがためのものだったが、それを女は知ることはない。


「や、やめ……」


 隣の部屋から廊下を伝って声が聞こえてくる。くぐもった男の声だ。そして聞こえてくる鈍い打撃音。男の悲鳴よりも小さなそれが連続して続く。


 やがて声は一つとして聞こえなくなった。時間にしてものの数分だろうか。ジャックが彼女達の前に戻ってきた。


顔に腕に。赤黒い血がベットリとついていた。鮮やかな血液が、重力に従って滴り落ちていく。


その場にいた四人は、思わず息を飲んだ。


「外で見張りをしているのは五人。砦の中には、十人の男共がいる。中の連中は二階の広間にいるらしい。奥にある階段を昇って真っすぐに行った突き当たりだ」


 彼らの視線を無視し、ジャックは男から聞き出した情報を伝えていく。


「……ご令嬢も二階にいるって。この子が教えてくれたわ」


ユミルは震える声でジャックに言った。


「そうか」


 ジャックの目が女を捉える。その途端、ユミルに抱かれる女の身体が固まり、小刻みに震える。


「これから二階を目指す。部屋は各自で見て回れ。敵を発見した際には速やかに息の根を止めろ」


女はから目を切ると、ジャックは三人に向けて言った。


「この人はどうするの」


ユミルが言う。


「一旦部屋に戻ってもらう。肉盾になってくれるのであれば別に構わないが、どうだ?」


 ジャックは女を見ながら言う。彼なりに女の身を案じてのことだろうとユミルは解釈するが、女はそれを真に受けて何度も首を縦に振っていた。


「コビンとカーリアは、こいつを部屋に連れて行きつつ、様子を見てきてくれ」


「は、はい。カーリア、お願い」


 コビンはカーリアと女を連れて、部屋を後にした。


 さて自分も後に続こうかと、腰を上げるユミルにジャックの声がかかる。


「妙な話をあの男から聞いた」


そんなユミルにジャックが呼び止める。


「妙な話?」


「覚えているだろう? ミノスという神父のことを」


「ええ。覚えてるわ。あの神父がどうしたの?」


「あの男が女を誘拐したのも、例のお嬢様をさらったのも。全てあの男の教団から依頼をされたのだと、ほざいたんだ」


「どういうこと?」


「わからん。だが、妙な話だと思ってあの二人には外してもらった。帝国軍は少なからずあの教団と関係を持っているからな。念には念を入れた」


「まさか。帝国の自作自演だとでも言いたいわけ?」


「そこまでは言うつもりはない。だが、不用意に危険をおかすわけにはいかんだろうが」


苛立たしげにジャックが吐き捨てる。


「とにかく。このことはお前と私の間だけの秘密にしておいてくれ。くれぐれも、あいつらには伝えないように。いいな」


「わかってるわよ。そんなの」


ユミルは言う。憮然とした調子で、うなずいて見せる。


「……そろそろ行くぞ。いつまでもここにいれば、二人が怪しむかもしれん」


密談をそう締めくくり、ジャックは部屋を出る。その後を追って、ユミルもその場を後にする。


言い様のない不安が、二人の心に浮かんだまま。その不安が、後々に形になることも知らずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る