第40話


 暗闇から曙へ。

 空の色は移り変わり、太陽が青空を引き連れて地平線からやってくる。


 石畳から土に変わり、軽快な音から鈍い音の響きになる。

 馬の足が跳ね上げた土片が宙を舞い、彼らの軌跡となって残っていく。


 彼らの目先にようやく砦がその姿を現した。

 うずたかくそびえる石壁は遠目からでもその存在感を見せつけている。


 昔も今も変わらず、その堅牢さを感じさせる大砦。

 石壁の上には人影がちらほらと見える。恐らくは見張り役の人間だろう。

 砦を右手に捉えながら、一旦街道を進み続け、砦から離れた所で馬を止める。


「で、どうするの」


 馬を降りたユミルは、誰に言うでもなく、されど誰かの耳に届くように言葉を放つ。


「正面から突撃する」


 カーリアが言う。


「敵の人数も把握出来ていない状況では、それはできん。勇猛なのはいいが、もっと頭を使え」


 カーリアの提案をジャックが一蹴する。


「それじゃ、どうするのよ」 


 不満げに眉根をひそめながら、カーリアが尋ねる


「付いてこい」


 ジャックは見張りのいない裏手に回る。

 砦の真裏は崖になっていて、その下には深さのある大きな川が流れている

 ジャックは川の前まで来ると、何の迷いもなく水の中へと入っていく。


「ちょ、ちょっと。何をしているんですか」


 コビンが慌てて彼の手を握る。


「川の底に砦の地下に通じる隠し穴がある。そこを通れば、恐らく見張りに見つかる事なく侵入できるはずだ」


「そうなんですか。……知らなかった」


「分かったら、さっさとこの手を離せ」


「あ、すみません」


 コビンは恐縮しながらジャックの手を離す。


「ローウェンさん。少し待っていただけますか」


 今にも川に潜ろうとするジャックを、コビンが止める。


「何だ」


「……風鎧アーマー・オブ・ウィンド


ジャックの身体に手をかざしながら、コビンが呟く。すると、コビンの手が淡く光りだし、その光がみるみるとジャックの身体を覆っていく。


「これは……」


「風魔法の防壁です。通常は敵の攻撃から身を護る為に使うのですが、これを掛けたまま潜水すれば、水中でも息が出来ます。結構便利な魔法なんですよ」


 重さや痛みはなく、感覚もない。何か透明な膜に包まれた腕をしげしげと眺めながら、ジャックはコビンの言葉に耳を傾ける。


「魔法が使えるのか」


「ええ、まあ。さ、お二人もこちらに来てください。同じものもかけますから」


 カーリアとユミル、それにコビン自身にも同じ魔法をかけていく。

 それが終わり次第。ジャックを先頭にして川へ潜っていった。

 

 それは不思議な感覚だった。

 肌では冷えた川の冷たさを感じるのに、一切の水の感触がない。

 呼吸も問題なく行える。ただ、川の空気だからか、泥臭い匂いが空気に混ざっていた。

 驚きと感心を抱きながら、当初の通り砦の隠し穴を目指して川を進んでいく。


 確かにジャックの言った通り、岸壁にはぽっかりと開いた穴があった。

 砦を建設する際に奴隷を使って掘り進めた結果出来上がった抜け穴だ。

 大きさは大人の男一人が横になって通れるくらい。

 昔と変わらない事に少しの安堵を憶えながらも、ジャックはその穴の中へ向けて泳ぎ進む


 穴の端に手を掛けて残る三人の到着を待つ。

 少しもしないうちに三人が来る。

 それを見計らって穴の両端に手を掛けて、自らの身体を穴の中へと引っ張り込む。


 穴の中を上っていくと、明かりが見えてくる。

 ジャックは狭いながらも短剣を抜き、水面の縁で一旦止まる。


 聞き耳を立ててみるが、声は聞こえない。

 人はいないと当たりを付けて、ゆっくりと顔を水面から出す。

 水から上がり、警戒をしつつ残りの三人を呼び寄せる。


「どこよ、ここ」


「地下の牢獄だ」


 石壁に囲まれた一室の正面には、鉄格子がはめられている。

 その間から見えるのは、向かい側にある鉄格子のはめられた一室。

 牢と牢に挟まれた通路がその間にあった。


「牢の中に抜け道を作っているの。脱走とかなかったのかしら」


「もっぱら倉庫として使われることがほとんどだったからな。囚人を収容したことはなかったはずだ」


 通路の左右を確認し、人影がいないと見ると鉄格子の扉を押し開く。


「……ねえ一つ聞いてもいい」


 ユミルの声が言う。


「何だ」


 ユミルへ目を向けると、彼女は穴に顔を向けたままで、彼の方を見向きもしない。


「あの穴ってさ。もしかして、トイ…」


 その言葉を言いかけたとき、その穴からコビンが姿を現した。

 手を穴の左右にしかれた木板に掛けて、ぐいと身体を穴の中から持ち上げる。


「どうかしましたか」


 自分を見つめるユミルに小首をかしげてコビンは訊ねる。

 小動物を思わせるくりくりとした目に見つめられると、先ほどでかかった言葉を出す気にはならなくなった。


「いえ何でもないわ。何でもないのよ」


「確かにアレは便……」


「お願いだから、それは言わないで。もう、考えないようにするから」


「お前が聞いてきたのだろう」


「そうだけど、それは謝るから。とにかく、今は任務だけに集中しましょう。その方がお互いのためになるわよ。うん、きっとそう」


「何かあったの」


 最後に穴から出てきたカーリアは状況を上手く理解できずにコビンに問いかける。

 だが、コビンとて詳しく知っている訳ではないため、カーリアの問いには首をかしげる他なかった。

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