第37話

 空の火が西へと傾く。

 人々の影が大きく伸びてやがて黒く塗りつぶされていく。

 街の道々をひしめいていた人々の雑踏は、太陽が地平線へと隠れていくにつれて、一人また一人と消えていく。

 大通りの端端には背の高いガス灯が点々と続き、暗い夜の通りを静かに照らしている。


 ジャックはその道を一人、黙々と歩いていた。

 

 ギルドは、暗闇と静寂に包まれている。

 入り口から覗ける範囲では人の気配はなく、物音一つしない。

 閉ざされた玄関扉を押し、中へ入る。


「お待ちしておりました。ローウェン様」


 闇からの声が聞こえてくる。

 声の方へ目をやると、カウンターに動く影を捉える。

 

 一瞬火花が飛んだかと思えば、小さな火が闇の中に浮かぶ。

 それが下に動き、ランタンに明かりが灯される。

 うごめいていた影に色がつき、受付嬢の姿があらわになった。


「では、こちらへどうぞ」


 受付嬢の案内に従い、ジャックはカウンター奥へ向かう。

 扉を受付嬢が開き、彼は中に入る。

 部屋の中には抽き出しの戸棚が所狭しと並べられている。

 受付嬢はそれらの棚には目もくれず、さらに奥の部屋へと向かっていく。


「ローウェン様をお連れしました」


「入れ」


 部屋の中から男の声が返ってきた。

 彼女はドアノブを握り、扉を押し開く。

 部屋の中には二人の男がいた。


 一人はエドワード。

 もう一人は、アーサー・コンラットだ。


「久しぶりだな。ジャック・ローウェン」


 片手を挙げて、アーサーはジャックに言葉を掛ける。


「どういうことだ」


「説明するから、こっちに来て座ってくれ」


「ここでいい。さっさと話せ」


「じゃあ、俺から説明しよう」


 アーサーが口を開く。


「お前、最近巷を騒がせている誘拐事件を知っているか」


「話だけなら小耳に挟んだ事はある。若い女が何者かに連れ去られるというものだろ」


「その通り。まあ人さらいは昔から何度かあったものだが、今回は頻度が異常だ。報告に上がっているのだけで、一月の間に二十人もの女がこの帝都から消えている。そのほとんどは庶民の女だったんだが……」


 アーサーは懐に手を入れて、一枚の折り畳まれた紙をジャックに差し出した。

 紙拡げてみると、そこには女の肖像画が描かれている。


「エマ・シャーロット・ヴィリアーズ。帝国貴族で銀行家でもあるガブリエル・ヴィリアーズの愛娘だ。どうだ、なかなかいい女だろう」 


「大佐、そういうのは後にしてください」


 エドワードはため息を吐きながら、アーサーをたしなめる。


「冗談だ。言われんでも分かってる。それでな、話を戻すがそのエマ嬢が二週間ほど前、何者かに誘拐された」


「誘拐? まさか、この女も」


 肖像画から目を離し、ジャックの顔が上がる。


「ああ。そのまさかだと俺は考えている。一緒にいた坊ちゃんの話だと、後ろから何者かに殴られて、気がついた時にはエマ嬢の姿はなかったんだそうだ。時間は午後の十四時。白昼堂々の犯行だ」


「坊ちゃんというのは」


「ウィル・アーロン・スタンリー。お嬢様の恋人だ。こっちも中々の色男でな。まさに美男美女のカップルってところか」


「目撃者はいないのか」


「人通りのない路地での犯行だ。ろくな証言はなかったよ」


「路地? なぜそんな場所に用がある」


「いつもとは違う場所で、スリルを味わいながら事に及びたかったんだと。まったく。暇な貴族ってのは、羨ましいもんだ」


 アーサーは手を拡げてわざとらしく肩をすくませる。


「護衛をつけてはいなかったのか」


「それがあったら、こんな面倒な事にはならなかっただろうな」


「つけていなかったのか?」


「何を考えていたかは知らないが、ヴィリアーズ公は門番はおろか、警護の一人として雇ってはいなかった。本人曰く『私の敷地にそんな物騒な連中を入れたくはない。帝都の民の安全を護るのがお前達の仕事だろう』だそうだ」


 アーサーは鼻で笑い、エドワードは静かに目を伏せる。


「確かに兵士は帝国のため、ひいては帝国国民を守護するためにある。だが、たかだか一貴族のためだけに、いちいち兵士団を向かわせていたら、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。まあ、今回の一件が現実的危機に目を向ける、いい機会になるだろうさ」


 アーサーは言葉を区切り、顎をさすりながら話を続ける。


「お前を呼んだのは外でもない。このお嬢様の調査を、お前に依頼したい」


 アーサーはソファから腰を上げ、ジャックの前に立つ。


「ある程度以上の実力を持ち、俺やエドワードが信用を置ける人間。それは軍の外となると、数えるほどしかいない。お前はその数少ない人間の一人だ」


「買いかぶりだ」


「それを判断するのはお前じゃない。俺だ」


 アーサーはシガレットケースから葉巻を取り出し、口に咥える。

 ポケットからマッチ箱をとり、一本を擦って火をつける。

 葉巻を炙り、紫煙を口の中へ蓄える。


 火を振り消し、葉巻を摘まみ取ると、紫煙はジャックの顔めがけて吹きかける。

 煙はジャックの顔に触れながら、左右に広がり消えていく。


「断れば、殺すか」


「そんな野蛮なまねはしない。お前を犯人に仕立て上げ、事情聴取という名目で拷問にかけるだけだ。そうでなくとも、今までのように暮らしていけるなどとは思わない事だ」


「脅しか」

 

「他にどんな意味がある」


 ジャックはちらりとエドワードの方を見る。

 一文字に口を結んで首をふった。


「鼻から断るなんて選択肢をお前に与えちゃいない。あるのは俺の言う通りに動くか、路頭に迷ってエルフの娘もろとものたれ死ぬかのどっちかだ。さあ好きな方を選べ。正直俺はどちらでもいいがな」


 ジャックの眉間のシワがいよいよ深くなる。

 眼光鋭くエドワードを睨みつけるも、彼はさして気に障った様子もない。

 悠然と葉巻を吸うと、挑発をするようにジャックの顔に煙を吹きかける。


 殺意が芽生えた。

 だが、それを行使すればどうなるか。

 それがわからないほど、ジャックも子供ではなかった。


「……どこに行けばいい」


「そうこなくてはな。エドワード」


 ジャックの言葉を聞いて、アーサーの頬が釣り上がる。

 嘲笑と己の望む言葉を引き出せた事への満足感。

 それが合わさって作られた笑みは、ジャックの神経を逆撫でる。


「これを見てくれ」


 エドワードがテーブルに拡げたのは、帝都近辺の地形を記した地図だ。

 帝都を真ん中にすえ、そこから各地に伸びる街道が木の根のように張り巡らされている。


「女達と人攫い共がいるのは、ここだ」


 エドワードが指をさした場所。

 そこには土色の荒野の中に建物と思われる小さな絵がえがかれていた。


「ログアーク砦」


「大昔の砦だ。大戦時には帝国軍が駐屯していたらしいが、今となっては見る影も無い。馬はこっちで用意しよう。それと案内もつけてやる」


「案内?」


「兵士を二人門の所で待たせてある。まだまだ新人なんでな。くれぐれも大事に扱ってやってくれ」


「他には」


「悪いがそれだけだ。これ以上はこちらからは出せない」


「では一人増やしてもらう。そのための馬も用意させろ」


「ユミルか」


「そうだ」


 エドワードはちらりとアーサーの方を見る。


「いいだろう。許可する」


 アーサーは大げさにソファに腰を掛け、葉巻をふかす。

 ジャックは踵を返して部屋を出て行った。


「送ってきます」


 エドワードは腰を上げて扉を開いて外へ出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る