止まらないもの
春嵐
記憶喪失セカンド
自分の記憶が、曖昧。
寝起き。
「あ、寝起き」
あくび。
自分は誰か。
思い出せない。
「えっと」
なぜ起きた。
思い出せそう。
「あっ」
水。
喉が渇いていた。
急いで冷蔵庫へ向かう。
開ける。冷茶。思いっきり飲む。
「ふう」
一息つけた。
起きた理由は喉の渇き。
そして、喉が渇いて、冷蔵庫の位置と開け方を知っていた。冷茶の場所も。
「私はこの部屋の住人か」
冷蔵庫に映る自分の面影。
洗面所に行った。
鏡。
「女か?」
来ているのは桃色の寝間着だけど、胸が少ない。
「あ、女だ」
顔。ひげがない。
「とりあえず」
歯を磨いた。何か忘れている気がするけど、何を忘れているのか分からない。
朝食。
再びの冷蔵庫。
「たまご」
卵。
「とまと」
トマト。
「きゃべつ?」
レタスだった。
とりあえず取り出して、手あたり次第に刻む。
「さらだ」
調味料忘れたけど、まあいいや。食べるときかけよう。
「いただきます」
炊飯器を開ける。ごはん。ちゃんとある。昨夜の私はしっかりしていたらしい。
箸についた食べ物を口に運びながら、ラップトップを付ける。
「うん?」
五件ぐらいメール来てる。クリック。
「お仕事?」
私、何の仕事してるんだろう。メールをひとつずつ読んでいく。
「普通のお仕事か」
裁可を求めるメール。
資料添付の打ち合わせメール。
欠席と仕事内容訂正のメール。
打ち合わせメールその二。
「ん」
愚痴のメール。
行きずりの焼き肉店が休業で食えなかったから良い店を教えろと書いてある。
よし。
こいつにしよう。
「電話か、メールか」
まずメールして、そこからメールだな。
「ええと」
今から電話します。
送信。
ごはん食べ終わるまで待ってやろう。
「おっ」
電話が来た。
「しもしも」
『なんだ、しもしもって』
「うん?」
『いやいやいや』
「おはようございます。どういったご用件でしょうか」
『電話してくるって聞いたから電話しただけなんですけど』
若い声。
「お初にお声に掛かります。私の名前を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
『う、ん?』
「私の名前」
『ううん、それは難しい質問ですねお姉さん』
「お姉さん?」
こいつ妹か。
『いや、私よりも年上だからってだけよ』
「ということは、私の年齢ご存知なんですか」
『言うとショック受けるから訊かないほうがいいよ』
「はい」
あぶねえ。
『だいたい事情は把握したんだけど、代わってくれる?』
「かわる?」
『うん』
「誰に?」
『あ、周りに誰もいない?』
「うん」
『じゃあいいや。あんた、名前、よく考えなさい』
「うん?」
『ああ、そだ、焼肉。今日仕事は?』
「打ち合わせがありそう」
『そか。昼は?』
「昼から焼肉ぅ」
『だめか。夜はダメだから』
夜はダメなのか。
『夕方かな。どう?』
「微妙ぃ」
欠席した人の仕事が夕方に回ってくる。
『じゃあ明日かなあ。また連絡する』
「お待ちしております」
『いいか、ちゃんと顔見たらおはようございますの前に二つ返事でオッケーしなさいよ。どうせ昨日酔いつぶれて返事してないんだろうから』
なにをだ。
電話切れた。
ごはんの続き。
食べようとして、忘れていたことのひとつを思い出した。
「顔あらってないじゃんわたし」
致命的なミス。
洗面所へ、とぼとぼ歩く。ごはんがノッてきたところだったのに。
鏡に映る自分の顔。
にやけている。
「何、にやけてるんだよ」
顔を洗うのに必要なもの。
「洗顔フォームと、タオル」
浴室の扉を開けた。
「おっ、良いところに来た。ヒゲソリ取ってください」
「あっ」
私の名前、というか苗字変更を申し出た人。
一瞬で戻る記憶。
この人にプロポーズされて嬉しくて酔いつぶれて寝てたじゃんわたし。
「おっけーです」
「ありがとうございます」
差し出された手。
握った。
ヒゲソリクリームの泡。あわあわ。
「あの」
「おっけーです。万事オッケー」
「そうじゃなくて、ヒゲソリを」
「あっ、ごめんなさい」
止まらないもの 春嵐 @aiot3110
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