王都狂騒曲 --- 3

 エノール離宮は、広大な王宮の敷地内で南西に位置し、北側に鬱蒼とした森を擁す。夏場、王族たちが避暑に訪れるくらいで、普段はほとんど人気がないため、毎年、新人の警備区域に当てられていた。

 明晩、クレスティナが離宮へ向かうと、彼女に夜警を押し付けたヘルニーの相棒であるファンジーニが既に来ており、松明に火を灯しているところだった。彼はヘルニーと違って公正な人柄であったので、クレスティナは多少、安堵して彼に声をかけた。

「まったく、今からこの調子では、先が思いやられるというものだ」

 ヘルニーの話になって、クレスティナが軽く憤慨してみせると、彼の親友を自負する青年は、申し訳なさそうな顔をして言った。

「悪かったな。今回限りにさせるから……」

 しかし、クレスティナは、その言葉を一蹴した。

「初めから守れぬとわかっていることは、口に出すものではないと思うがな。ヘルニーの性格からいって、今回だけで終わるとはとても思えぬ」

 彼女があっさりと言ったので、ファンジーニは苦笑した。

「よくわかってるじゃないか。でもまあ、頭の良いきみのことだ。今回、聞き入れたのには、一応、成算があるからだろ?」

「ふん。先に尾を振ったのはヘルニーなのだからな。せいぜい使わせてもらうさ」

 同僚が不敵に笑うのを見て、ファンジーニは首を竦めながら、今晩一回目の巡回に出ていった。



 サイファエール建国と同時に開かれたという学院は、王宮から西へ一・五モワルほど行った丘の上にある。

 全寮制で、貴族の子弟や大地主・大商人の子息などを対象に官吏の養成を目的とした、唯一の王立教育機関である。創立以来、世に多くの優れた人材を輩出してきた。

 敷地内には、白い大理石造りの校舎の他に、寮や図書館、武道場、馬場、温室、神殿、小劇場など、あらゆる施設が十分な間隔を保って立ち並んでおり、住み慣れた故郷を離れてきた少年たちは、多くの場合、成人するまでの六年間、この学び舎で、一般教養と自分の望む道の専門知識を身に付けるのである。

 豪勢な夕食の後、イスフェルは、他の少年たちが昼間の出来事や噂で大騒ぎをしているのに見向きもせず、さっさと自室に引き上げた。引き上げたはいいが、日課の勉強をするわけでもなく、ただ窓から外の景色を眺めるだけである。それも、心ここにあらず、といった感じで。

 ……クレスティナのことを考えていた。イスフェルの組が分裂したことを、彼女は自分の責任だと思っているだろう。しかし、本当は少し違うのだ。小柄なエルセンが言ったとおり、リデスとその仲間たちとは、以前から折り合いが悪かった。

 イスフェル自身、知ったことではないが、彼は個性あふれる少年たちの中でも、さらに強い光彩を放っていた。文武両道たるはもとより、温厚かつ寛大な性格で周囲の人望も厚く、何よりも彼の大きな夢が少年たちを惹きつける。その実現のために、退屈な講義も真面目に受けて、日夜、精進しているのだが、クレスティナの時と同じように、彼の才能と努力の成果を妬む輩が現れた。それがリデスである。

 彼は、今年の春、出会ったその日から、イスフェルに対して冷たかった。確か食堂で、イスフェルが不注意からリデスの水をこぼしてしまったのだ。倒れた杯子はリデスの夕食の中にその身を投じ、せっかくの豆料理は豆汁と化してしまった。すぐに謝って、口を付けていない自分の料理と取り替えようとすると、リデスは無言でイスフェルを睨みつけ、そのまま何も食べずに部屋へ戻ってしまったのだ。

 同じ組になりはしたが、イスフェルが望んでも打ち解けることはなく、反対に事あるごとに対立する有り様だった。それがクレスティナの一件をきっかけに、決定的になってしまっただけのことなのだ。

 しかし、ある日、リデスが怪我をした野兎を介抱しているのを偶然に見て以来、彼に対して完全な敵視もできないでいるのだった。

「この期に及んでまだ仲良くしたいなんて、オレの驕りかな……」

 夜風に髪を洗わせながら、イスフェルは呟いた。その時、

「何を奢ってくれるって?」

 聞き慣れた声がして、漆黒の髪を背の中程まで伸ばした少年が部屋に入ってきた。イスフェルより四つ年上の彼は、名をユーセットといった。イスフェルの父が息子の目付役に迎えた人物で、イスフェルにとって兄のような存在だった。

 ユーセットは、珍しくイスフェルが物思いに耽っているので、台詞とは裏腹に、心配そうな顔をしている。

「あれ? もうそんな時間?」

 振り返って、緋色の絨毯の上に佇むユーセットの姿を見つけたイスフェルは、驚いたような、間の抜けたような顔をした。ユーセットは、イスフェルに語学を教えに来たのだった。

「何だ、まだ何もやってないじゃないか。このクソ寒いのに、窓なんか開けて何やってるんだ?」

 机上に勉強する意欲の無さを見て、ユーセットは、イスフェルを軽く睨んだ。

 厳しい縦関係から、普通、上級生が下級生の部屋にまで来て学問を教えるなどということはありえない。しかし、特に明文化された規則に反しているわけでもないので、ユーセットはイスフェルが望む以上、続ける気でいた。そうと決めたからには、あまり中途半端なことはしたくない。

 イスフェルを押しのけて窓を閉めると、ユーセットは、書棚から取り出した本を机の上に並べた。だが、イスフェルは、まだ未練たらしく外を見ている。

「……何があったんだ?」

 ユーセットが観念して問うと、イスフェルは、しばらく逡巡して、すべてを打ち明けることにした。出会って以来、何でもユーセットに相談してきた彼だったが、この件に関しては何となく言いそびれていたのだった。

「クレスティナ!? クレスティナっていったら、あの……!?」

 イスフェルが事情を話すと、ユーセットは素っ頓狂な声を上げ、椅子から落ちそうになった。

「彼女のことを知っているのか?」

 意外に思ってイスフェルが尋ねると、絶句していたユーセットは、微かに頬を紅潮させながら頷いた。

「そりゃ、紅一点だったからな。いつだったか馬術の訓練の時、先生が模範生として彼女を連れて来たんだ。その巧みな馬の御し方といい、颯爽たる走り方といい、もう尊敬を通り過ぎて神業を見ている気分だった……。で、誰かが途中でヘマして馬から落ちたんだよ。そしたら彼女がやってきて、そいつを介抱してくれたんだ。それ以来、落馬する奴が続出してな。先生が彼女を連れて来なくなったんだが……。まさか、おまえたちに剣を教えていたとはなあ。羨ましい」

 最後の一言は、かなり本気であろう。どうやらクレスティナは、下級生には人気があったらしい。男ばかりなので、彼女が女神に思えたのかもしれぬ。

 話を聞きながら、イスフェルは幾度となく頷いていた。ユーセットもまた、クレスティナを慕ってくれていたことがわかって嬉しかったのだ。

「しかし、おまえたち、早く手打ちした方がいいぞ。彼女をダシに喧嘩するってのは、筋が違うだろ。とりあえず、その今度の対抗戦の分け方は、おまえが責任もって考えて行けよ」

「うん……」

 曖昧に返事をしながらも、昨日から胸中にわだかまっていた不快感がようやく晴れたような気がして、イスフェルは、今度こそユーセットの講義を受ける準備を始めたのだった。

 しかし、ユーセットが自室へ引き上げた後、覚悟を決めたイスフェルがリデスたちに会いに行ったところ、消灯時間が間近に迫っているにもかかわらず、彼らの姿がひとりも見当たらなかった。不審に思ったイスフェルが仲間に訊いてみると、彼らは面倒くさそうに首を横に振るだけだった。彼らにしてみれば、気の合わないリデスたちの動向を気にするより、クレスティナの期待に応えるべく勉学に励む方が大事だったのである。

「あっ、そういえば」

 不意にセディスが思い出したように口を開き、少年たちを見回した。

「昨日、今日の稽古は休みだって奴らに教えてやった時も、まだなんかごちゃごちゃ言ってたぞ」

「昨日じゃなくて、今日のことが知りたいんだよ」

 イスフェルが溜め息を吐くと、机に向かっていたシダという少年が彼を振り返った。

「なあ、イスフェル。おまえ、本当にあいつらとオレたちをごちゃ混ぜにして試合しようと思ってるのか? それって、無理じゃないか?」

「なぜ?」

「だって、仲間同士で当たることだってあるわけだろ? 本気でやるわけないじゃないか」

「……オレは本気でやる」

 イスフェルは怒ったように短く言い、仲間たちは驚いて彼を見た。

「これは稽古なんだぞ。本気でやらなければ、上達しないじゃないか。それに、オレたちの仲は勝ち負けで壊れてしまうようなものじゃないだろ?」

 すると、賛同の声を上げる者がいる反面、不服そうな顔をする者も出た。

「オレたちはいいとして、あいつらが真面目にやるかってことが問題さ」

「ないない、絶対ない。馬鹿馬鹿しいとか言って、さっさと帰るに決まってらぁ」

 イスフェルは返答に窮した。その説には一理も二理もある。

 少年たちが顔をしかめて黙り込んでいると、騒々しい足音がして、エルセンが部屋に飛び込んできた。彼はイスフェルに頼まれて、他の寮生たちにそれとなくリデスたちのことを訊きにいっていたのだ。

「遅かったじゃないか、エルセン」

 シダが言うと、エルセンは目を大きく見開いて喚いた。

「のうのうとそこに座ってて言うんじゃねぇや。それよりビーデンって人がさ、さっき、リデスたちが夜警がどうのこうの言ってたのを聞いたって」

「夜警!?」

 少年たちは、顔を見合わせた。それにかまわず、エルセンは報告を続けた。

「寮の先生は、リデスたちがいなくなったのに気付いてないみたいだった。まだ消灯前ってせいもあるけど……。イスフェル、あいつらの部屋に入ってみた?」

 妙なことを問われて、イスフェルは首を振った。部屋の主に断りなしに入るなど、非常識も甚だしいではないか。

「オレ、もしかしたら部屋に戻ってるかもしれないと思って、ここに戻る前、寄ってみたんだ。けど、やっぱり誰もいなくて……。でも、寝台に誰か寝てるように見えたから、ちょっと入ってみたんだ。そしたら枕が毛布の下になってて、いかにも寝てますって感じに置いてあるんだぜ!? 確かめたら、あいつらの部屋、全部そうなってた!」

「何だって!?」

 少年たちは、一様に口を大きく開け、エルセンの顔を見つめた。

「……まさかあいつら、夜警のクレスティナ殿のところに、奇襲をかけに行ったんじゃ……」

 シダが本気とも冗談ともとれるような突飛な声を出した。

「奇襲って……クレスティナ殿は離宮にいるんだぜ!? 簡単に入れるわけじゃないし、だいたい寮を勝手に抜け出すだけでも問題なのに、あんな場所で騒ぎを起こしたりしたら、どんなことになるか……!」

「そんなこと、オレの知ったことかよ。けど、実際、リデスたちはいないんだからな! 何百万分の一の確率だが、ありえないことじゃないだろ」

 話があらぬ方向へ暴走し始めたので、イスフェルは慌てて止めに入った。推測だけで判断するわけにはいかない。

「皆、ちょっとオレに時間をくれ」

「どうするんだよ」

「少し調べたいことがあるんだ。すぐ戻ってくる」

 言って、イスフェルは、エルセンひとりを伴って部屋を出た。行く先は、リデスたちの部屋である。

 廊下に人影がないことを確認すると、二人は素早く室内に忍び込んだ。薄闇に包まれた空間を、蝋燭の炎が細々と照らす。

 エルセンが毛布にくるまれた枕を指さし、イスフェルがそちらに目をやった時、廊下で足音がした。向かいの部屋から声が聞こえる。途端、エルセンがおろおろし始めた。

「やばい。消灯の見回りだ。イスフェル、どうしよう!?」

 どうしようと言われても、考え込んでいる暇はない。イスフェルは、エルセンに寝台の下に入るよう指示すると、自分も棚の間に身を隠した。

 しばらくして、見回りの教師が入ってきた。が、見事に枕を少年たちが寝ているものと勘違いして、感嘆の言葉を残して出て行ってしまった。

 イスフェルが安堵の溜め息を吐いて棚から出ると、エルセンも寝台の下から這い出しながら、弱々しく言った。

「オレたちも早く戻らないと……」

 意外と肝が小さいのか、声が恐れ戦慄おののいている。イスフェルは、そんな彼を制すと、ふと窓辺に歩み寄った。そして、小さな呻きを発す。

「ど、どうしたんだい?」

 すると、イスフェルが振り返り、皮肉げに言った。

「残念ながら、リデスたちは寮内……学院内にはいないな。シダの奴、御明察だ」

「えっ?」

 驚いてエルセンが窓辺に近付いていくと、不意に彼の頬を冷気が掠めた。イスフェルは開けていないはずなのに、窓が開いているのだ。

「さっき蝋燭を消そうとしたら、勝手に消えたんだ。それで窓が開いていることに気付いた」

「……何だってこんな寒い日に、閉め忘れなんか……」

「見ろ。まだ驚くには早いぞ」

 言うなり、イスフェルが窓を大きく開けて、外に身を乗り出したので、エルセンは思わず悲鳴を上げそうになった。リデスらの部屋は、建物の二階にあったのだ。しかし、イスフェルが再び起き上がった時に手にしていた物を見て、驚愕のあまり、今度は言葉を失ってしまった。

 縄だ。

「………!?」

 エルセンは窓辺に駆け寄ると、イスフェルの横から首を出した。すると、窓枠の横に棒があって、そこに縄がくくりつけられていた。それを辿って視線を走らせると、五ピクトほどだろうか、それは地面まで続いていた。

 二人は顔を見合わせて頷くと、音もなく部屋へ戻っていった。

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