第八章 陰謀の王都 --- 2

「十日後、改めて即位記念式典を行う」

 宰相ウォーレイがそう言ったのは、別室で再会を喜び、の報告が終わった後のことである。

 王都の大神殿は、王家の行事に使用されることが多いため、貴賓室がいくつか設けられている。この部屋もそのひとつであったが、調度類は神殿に似つかわしくない豪華なものだった。これは、セレイラの自治権を維持するために、神殿側がサイファエール王家に気を遣っている現れであり、また、他の部屋や神官たちの個室を必要以上に質素にすることで、聖職者たちの心身の潔白さを強調していた。

「――その席で、陛下はお二人を王子として公表される」

「………!」

 肘乗せの付いた椅子に着いたイスフェルは、同じように座ったユーセット、セディスの二人と顔を見合わせると、唇を湿しながら再び父に視線を戻した。ついに、来るべき時が来たのだ。しかし、その時期に関して、ユーセットがわずかに表情を曇らせた。

「閣下、少し早すぎでは……」

 ただの即位記念式典ならば十日後でもかまわない。だが、今度のはそうではない。サイファエールの行く末を決めるものなのだ。たった十日で、王弟派に傾きつつある人々に、どれほどの根回しができるだろう?

 自らが選んだ息子の参謀に、宰相は首を傾げて見せた。

「では、ユーセット。そなたならいつ公表を?」

「それは……」

 しかし、黒髪の青年は結局、答えることができなかった。この時期がちょうど行事の谷間だったのだ。ひと月もして夏が来れば、恒例の火宵祭が始まり、その後にはパーツオット海条約締結の記念会議も控えている。だいたい引き延ばしたところで、王弟派が膨張し、落胤露見の危険性が増大するだけである。

「来年より今年、半年先よりひと月後、ひと月後より十日後――。混乱は免れぬだろうが、多少でも小さい方が良い」

 無言の三人に、ウォーレイは淡々と語って聞かせた。彼も『国王の影』と異名を取る執政官である。息子が使命を果たして帰参するのをいたずらに待っていたわけではない。

 カイザール城塞からサイファエール勝利の報が届いた数日後、彼は近衛兵団長トルーゼを王宮の蒸気風呂に呼び出した。落胤の件に関して、『サイファエール最後の砦』と世に謳われる彼を蚊帳の外に置いておいては、後の禍根になると考えたのだ。

 蒸気風呂は男たちのもうひとつの社交場であり、宮廷の会議室よりも本音が語られる場所でもある。そこへ腰布ひとつを巻き、サイファエールの勝利に明るい表情でやって来た近衛兵団長は、ウォーレイの言葉にその場で頭から冷水をかぶったものだった。

 宰相よりひとつ年下のトルーゼは、屈指の武門コントリア家の出身で、サイファエール王家に対する忠誠心は並々ならぬものがある。「そんな大事を何故こんな場所で」に始まり、「イスフェルの役目は本来、近衛兵団が請け負う役目だ」「何故もっと早くに言ってくれなかったのか」と、ウォーレイは散々詰られたが、結局、最後には彼の口から望んでいた言葉を聞くことができた。女小隊長以下四名が鷹巣下りに同行していたという事実を聞けば、もはや何の不満もないはずである。

「式典の段取りは、戦の前におまえが立てておいた通りだ。王子の披露は式の最後に、簡潔に行うゆえ、特別な準備はない。警備は近衛兵団長に一任してある」

「それでは、私は何を?」

 貴族たちへの根回しを考えていたイスフェルだが、宰相はまったく別のことを彼に言い渡した。

「おまえたちには白薔薇宮でレイミア様と御子方のお世話を。難破船調査で行方を眩ませているのでちょうど良い。のは十二日後だ」

「十二日後?」

 即座に眉根を寄せる息子を、ウォーレイは笑って見返した。

「不満か」

「はい。勅命とはいえ、御三方をお連れしたのはこの私です。御三方が試練に立ち向かおうとしている時に、自分だけ安全な場所に居るわけには参りません。レイミア様に、必ずお守り申し上げると誓いました」

 たとえ父が予想している答えでも何でも、イスフェルは三人の傍を離れるわけにはいかなかった。

「ならば、おまえが思う時に戻れ」

「ありがとうございます」

 親子の対面もそろそろ頃合いだろう、と宰相が席を立ち、部屋の入り口へと向かう。それに従いながら、セディスはイスフェルにそっと耳打ちした。

「おまえの言うとおりだったな」

「何がだ?」

 首を傾げる友人に、セディスはひどく嬉しそうに言った。

「陛下も閣下も、まるで迷われていない。王子が双子だったことに」

「……ああ」

 子どもの落書き一枚で事を悟り、そのまま双子を受け入れてくれた――そのことに、イスフェルもまた安堵と喜びを禁じ得なかった。



 セフィアーナは柔らかい線を描く眉を困惑げにひそめた。神官長に呼ばれ、部屋へ向かっていたのだが、いつのまにかリエーラ・フォノイとはぐれてしまったのだ。

 大神殿の敷地は広場も併せるとサイファエール王宮の四分の一ほどの広さになる。そこに立ち並ぶ神殿群は、中階を設けるなど複雑な造りをしているため、古参の神官でも時折道を間違えることがある。したがって、もともと方向感覚のあまり良くない少女がそうなるのも、当然といえば当然であった。

「どうしよう……」

 誰かに尋ねようにも、式典のせいで彼女の居る廊下には人影ひとつなかった。突き当たりの窓から外を見ると、神殿の中心からは遠く離れてしまっている。

 その時、すぐそばの扉が開いた。飛び上がるほど驚いたセフィアーナだったが、そこから出てきたのが見知った青年たちだったので、思わず大きな安堵の吐息を漏らしてしまった。

「イスフェル……」

 そんな彼女に、振り返ったイスフェルは藍玉の瞳を丸めた。

「セフィ、何でこんな場所に! リエーラ・フォノイは?」

「は、はぐれてしまったの。私、初めての神殿だから、迷ってしまって……」

 わざわざ人気のなくなる場所をイオ・カスキーに選んでもらったのに、このようにあっさりと知人に見付かり、青年は内心で空を仰いだ。相手が少女で本当に良かった。横のセディスが声を殺しながら笑うのを一瞥でいなすと、イオ・カスキーを呼んでくるように促す。

「――ああ、そうだ。『英雄賛歌』、すごかったな。間に合って良かった」

 セフィアーナの晴れ姿を直接目にすることができなかったのが、イスフェルは非常に残念だった。《尊陽祭セレスタル》の聖儀といい、どうも時運が悪いようである。

「あなたやみんなのおかげよ。それで、あなたの方は? レイミア様と――」

 その時、セフィアーナはイスフェルの後ろに立っていた壮年に気付いた。上級神官の衣装を纏っているが、緩く被っている聖布の下に、イスフェルと同じ紫水晶の額輪が見える。その佇まいには気品と、そして穏やかな威厳が漂っていた。

(どこかでお会いしたことがあるような……)

 そう思いながら少女が会釈すると、彼もまた軽く礼を返してきた。

「ああ、セフィ。こちらはオレの父だ」

 イスフェルの言葉に、セフィアーナは「あっ」と小さく声を上げた。今回の遠征の出発式の際、ゼオラに連れて行かれた舞台上で、彼が国王の傍らに控えていたのを思い出したのである。

「ダルテーヌの谷のセフィアーナと申します」

 セフィアーナが改めて礼を施すと、ウォーレイは口元に優しい笑みを浮かべた。

「ウォーレイ=サリードです。巫女殿には色々とお世話になったとか。私からも改めてお礼を」

「とんでもありません。こちらこそ、御迷惑ばかり……」

《太陽神の巫女》として同行したのだから、歌を歌い、兵士の傷の手当てをしていればよかったのだ。それが宴で倒れて騒ぎを大きくした挙げ句、城塞を出奔した。守り役に抜擢されたクレスティナがもう少し繊細な性分であったら、胃痛で倒れているところである。

「宜しかったら、今度我が家にお越し下さい」

「……え?」

「父上?」

 恐縮しきりのセフィアーナは一瞬、何を言われたのかわからなかった。イスフェルも唐突な父の言葉に藍玉の瞳を瞬かせる。ユーセットも驚きの表情を浮かべていたが、それはどこか不快げでもあった。

 殆ど同時に自分を見つめてきた二人に、ウォーレイは首を竦めて見せた。

「三人とも留守をしていたから知らぬだろうが、今、王都の女性の間では竪琴が大流行しておってな」

 イスフェルとセフィアーナは顔を見合わせると、少女が抱えていた竪琴に視線を落とした。そんな二人を、ウォーレイがおかしそうに見遣る。

「そう、貴女の影響ですよ。それで、イスフェルの妹のエンリルが、巫女殿にぜひ竪琴を習いたいと申しているのです」

「わ、私に……?」

 呆気に取られている少女に、宰相は少し気恥ずかしそうに頷いた。

「親ばかとは重々承知していますが、もし宜しかったら、是非に」

 言葉を無くして立ち尽くしていたセフィアーナだったが、イスフェルが頷くのを見て、ようやく我に返った。

「あっあの、ありがとうございます。必ずお伺いします」

 ウォーレイは嬉しそうに頷くと、イスフェルを見た。

「おまえも、近いうちに戻れ。母上が首を長くして待っているぞ」

「……はい」

 しかし、既に戻る日を決めている青年だった。

 先に国王のもとへ行っている、と去っていくウォーレイの背を見ながら、セフィアーナは大きく息を吐き出した。

「本当にお伺いしてもいいの……?」

 貴族の、それもサイファエールで一、二を争う大貴族の邸宅に突然、招かれたうえ、竪琴を指南しなければならないとあって、少女は今から緊張の表情を浮かべた。招かれたのが神殿ならば、《正陽殿》を知っている今、どんな大神殿でも気後れせずに居られると思うのだが……。

「セフィ、こう言ってはなんだが、うちに遊びに来たがってる騎士貴族は五万といる。だが、父に直接『是非に』と声をかけられる人間はそういない」

「そうなの……?」

「それに、妹のことだが――」

「なあに……?」

 イスフェルがおかしそうに笑ったので、セフィアーナはますます不安になった。

「妹は、まだ八歳だ」

「えっ」

 八歳といえば、双子と同い年であり、またセフィアーナが孤児院で世話をしていた子どもたちと同年代である。王宮で見かけた着飾った娘たちを想像していたので、その差に少女は思わず安堵した。

(エンリル様ってどんな方かしら……。聖都のフィオナ様みたいにお元気な方かしら?)

 フィオナの皮肉たっぷりの口調を思い出して、セフィアーナは小さく笑った。すると、妙な緊張感がすっと消えていった。

「なんだい?」

「ううん、なんでも……あ、イスフェルはお父様似ね。顔もだけど、雰囲気とかも」

 すると、イスフェルは藍玉の瞳を輝かせた。

「そう言ってもらえると嬉しい。とても尊敬しているから」

「そう……」

 照れながらもイスフェルの父の残像を見つめる眼差しは敬愛に溢れており、セフィアーナはそんな青年を見て、なぜか幸せな気分になるのだった。その時、

「まったく、オレだってバレたらヤバいんだぞ」

と、セディスがイオ・カスキーを連れて戻ってきた。イスフェルが彼に神官長の部屋への道案内を頼んでくれたので、セフィアーナは今度こそ目的地に行けそうだった。

「ありがとう。気を付けて」

「きみも」

 そう言って去っていくイスフェルの背は、もはや新しい旅へと向かうものだった。



「長旅、御苦労であったな。今、リエーラ・フォノイから聞いたところだ。《太陽神の巫女》としての務めを立派に果たしたそうだな」

 参上が遅くなったことに恐縮する少女に、神官長モルドロイは陽気な声をかけてきた。

 彼は長く地方に在ったが、もともと王立学院の出身者ということもあって、王都に戻ってきてからは、次々に役職を上へ進めていった。神官長に就いたのは、もう十年も前のことである。見た目は痩せて神経質そうに見えるが、実際は話術と外向性に優れ、王宮での評価もなかなかの男であった。

 セフィアーナがリエーラ・フォノイの方を見ると、彼女は口元に笑みを浮か べた。

 先に神官長の部屋に辿り着いたリエーラ・フォノイだったが、少女の到着があまりにも遅いので捜しに戻ろうとしたところ、「木乃伊ミイラ取りが木乃伊になるだけだ」と神官長に止められたのだった。少女を待つ間に語ったのは、往路と戦に勝利した日の話だけである。リグストンの件は他言無用とされていたし、復路は最初から最後までとても口にできるものではなかった。それでも、セフィアーナは兵士とふれあい、儀式も立派に務めたので、最も重要なその点で堂々と発言できることは、リエーラ・フォノイとしても安堵の極みであった。

「聖都のデドラス様もお喜びだ。サイファエール勝利の報が届いてからすぐに文を寄越してくださったぞ」

 ふいに神官長が意外なことを言い、二人は顔を見合わせた。

「デドラス様……?」

 差し出された手紙をリエーラ・フォノイが広げ、セフィアーナは横から顔を覗かせた。

 そこには、《太陽神の巫女》として兵士たちを慰めただろうこと、立派に勝利を導いたこと、このうえは一刻も早く聖都に戻るようにということなどが記してあった。

「……リエーラ・フォノイ、どうしてアイゼス様ではなくて、デドラス様なのでしょう?」

 今年に限って、《太陽神の巫女》の世話は、《月影殿》ではなく《月光殿》がすることになっていたはずである。その原因を作ったのはデドラス本人であり、彼もそれで納得していたから、今まで何ひとつ巫女の動向に干渉してくることはなかった。それが、なぜ今になって手紙を寄越して来たのだろう? いや、手紙自体は嬉しいのだが、「一刻も早く聖都に戻れ」という件が、少女を困惑させていた。無論、もともと即位記念式典が終わったら戻るつもりだったが、アイゼスは彼女の可能性を王都で試せと、未来に拡がりを見せてくれていた。デドラスの文章は、どこかそれに逆らう感がある。

 首を傾げる少女に、リエーラ・フォノイは小さく「わかりません」と答えると、再び神官長を見た。

「モルドロイ様、アイゼス様からは……」

「いや、来たのはデドラス様からだけだが?」

「そうですか……」

 深刻な面持ちの女神官を、モルドロイは怪訝そうに見遣った。

「何か問題でも?」

「あ、いえ……」

「ならばよいが。そこにはすぐに聖都に戻るよう記してあるが、先程、私はそなたを十日後の即位記念式典に参列させるよう、宰相殿と約束した」

「え? けれど、即位記念式典は中止になったのでは……?」

 イスフェルから何も聞いていなかったので、セフィアーナは目を瞬かせた。

「戦がとても早く終わったであろう? 即位記念式典のために地方から集まっていた貴族たちも、まだ多くが王都に残っているそうだ」

 モルドロイは椅子に深く座り直すと、《太陽神の巫女》を見た。

「もとはと言えば、そなたは即位記念式典のために王都へやって来たのだ。デドラス様のお考えには背くやもしれぬが、もうしばらくこの王都に」

「はい……」

 漠然とした不安がセフィアーナの心を覆い、彼女は表情を曇らせた。

(何だろう、この胸騒ぎは……)

 そして、その横で、女神官はそれ以上に厳しい表情を浮かべていた。

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