第35話 クラーケンをニンニン
「ストーム殿。クラーケンですが、どうもキナ臭い感じでござる」
開口一番、千鳥が目を細めなかなか面白いことを呟く。
「それは楽しそうだな」
椅子を引き、千鳥を座らせると対面の席に腰掛ける。
いつも直情なクラーケンが何もして来なかったのは内部抗争をしていたからか。俺にとっては大歓迎だが、ボスの入れ替わりがあったとしたら要注意だな。
「どんな感じなんだ? 千鳥」
「はい。アウストラ商会から居丈高な人物が来て、グラハムを含め全員頭をさげておりました」
「失態の連続に本部が黙ってられなくなったか」
「このまま行くと、グラハムが失墜しそうでござる。自棄になった彼が何か仕掛けてくるやもしれませぬです」
「ははは。それは面白い。来るなら来るで……」
「ストーム殿……また悪い顔になってるでござる」
ずいっと机に両手をついた千鳥が顔だけを俺に寄せていた。
鼻と鼻がくっつきそうになるくらい近い……。
しかし、千鳥って綺麗な顔してるよなあ。このままの距離だとついつい唇を奪ってしまいそうなくらいに……。
ハッ! いかんいかん。千鳥は男の子だぞ。
男と言わず、男の子と表現した時点で俺はもうダメかもしれない。
「どうしたでござる? ストーム殿?」
コテンと首を傾けた千鳥の息が顔にかかる。
「あ、いや、何でもない。村雲と協力してクラーケンを四六時中監視してくれないか? 監視対象は最優先をグラハム。次にヨシ・タツだ」
「了解でござる。して……」
顔をそらしたのに回り込んで来るんじゃない。
ヤケになって千鳥をじっと見つめると、彼の頰が少し紅潮した……。
なんだかとてもイケナイ気がした俺は、慌てて立ち上がり彼と距離を取る。
「た、頼んだぞ。千鳥」
「は、はいでござる」
微妙な空気を払うように千鳥は首を左右に振り、執務室を後にした。
◆◆◆
二週間が過ぎる。
それなりに戦える希望者と魔の森に送っていてモノになった者を組織して、警備の範囲を更に拡大することに成功した。
ここまで手広くなってくると、資金が心配になってきたんだが、そこはトネルコと街の人と相談し「警備費用」を頂くことで解決をみる。
というのは、クラーケンに渡していた「みかじめ料」の四分の一の金額をそれぞれの店舗から受け取ることになったからだ。
クラーケンが徴収していたより遥かに少ない金額でも組織を維持するに充分な資金源となる。あいつらピンハネし過ぎだろ……。
ストーム・ファミリーは順調そのもので、クラーケンからの妨害を未だに受けていない。
ここまで何もないとなると、やはりクラーケンの組織内部で何かが起こっていることは確実だろう。
千鳥の報告を毎日受けているけど、ヨシ・タツが怒りに任せたグラハムの殴打を受けたくらいしか目だったことは起きていなかった。
その日の晩も自室でやっていた書写が一区切りついて、エールを片手に一息つく。
執務室でも自室でも書写をやっている俺って一体……と一瞬微妙な気持ちになりつつ大きく息を吐いた。
そのまま、ふああと大きく伸びをした時、窓の外に気配を感じる。
窓に目をやるが、人の姿は確認できない。
俺は誰もいない窓へ向かってにこやかにほほ笑むと窓を開ける。
すると、気配が室内へ移動したので窓を閉め、ベッドに腰かけた。
「千鳥、適当に座ってくれ」
「はいです」
声と共に千鳥の姿が何もない空間から出現し、彼は先ほどまで俺が座っていた椅子へ座る。
「ストーム殿。グラハムが『クラーケン』を追放されたでござる」
思わず身を乗り出し、食い入るように千鳥の顔を凝視する。
グラハムが、あいつが組織を追い出されたのか。
これであいつはこの街では生きて行くことができなくなるだろう。クラーケンを追放されるってことはアウストラ商会からも放逐されたってことだ。
ずっとアウストラ商会へ引っ付いていただけのコバンザメが、庇護失くして生きていけるわけがない。
できれば俺の手で仕留めたかったが、クラーケンが腑抜けのままであって欲しいという思惑もあったから仕方ないか……。
「あ、あの……ストーム殿」
「あ、ごめんごめん」
千鳥をずっと睨みつけていたみたいで、彼は俺のプレッシャーに耐えられなくなったようで顔を逸らし頬を赤らめているじゃないか。
つい怖い顔で迫ってしまった……。
彼から距離を取り、再びベッドに腰かけるとコホンとワザとらしい咳をする。
「分かる限り状況を教えてくれないか?」
「はいです」
千鳥はクラーケンのアジトで、ちょうどグラハムが放逐される場面に出くわした。
居丈高な長髪の男が肩をいからせながらやってきて、グラハムを呼び出す。
やって来たグラハムはペコペコしていたが、男は嫌らしい笑みを浮かべグラハムへ首を宣言する。彼は顎でヨシ・タツを呼ぶと、次のボスはヨシ・タツだと宣言する。
その場で崩れ落ち床に手をつくグラハムへ、男の指示を受けたヨシ・タツが小袋を投げた。千鳥の推測では、手切れ金じゃないかとのこと。
こいつに金を渡してやるなんて殊勝なことを考えるんだろうか? 疑念が沸くが、男の様子を直接見たわけじゃないから何とも言えないな……。
しばらく四つん這いになったグラハムをニヤニヤと眺めていた男だったが、飽きて来たのか手下に命じグラハムを引きずらせアジトの外へ放り投げた。
ここまで見たところで、千鳥はクラーケンのアジトから撤退する。
「ありがとう。千鳥。グラハムの奴は何か言ってなかったか?」
「ストーム殿の名前を呟いていた気がします。ハッキリとは聞こえませんでしたが……」
さすがのクズっぷりだな。大方、俺にやられたから失墜したんだと逆恨みでもしているんだろう。
それはともかく、ヨシ・タツにボスが変わったとなるとクラーケンのやり方がガラッと変わってくる可能性がある。
それに……クラーケンのボスをあっさり首にできる居丈高な男……ひょっとしてファールードじゃないのか。奴の軽薄な顔を思い浮かべただけで、俺の胸に黒いもやっとしたものが噴き出てくる。
ファールード……。待っていろ。クラーケンの次はお前だ。
コップに残ったエールを一息に飲み干すと、暗い笑みを浮かべる。
と、そこで千鳥と目が合った。
途端にすううっと黒いものが霧散し、自分の行いを見られていたことが恥ずかしくなってかあっと頬が熱くなってしまう。
「今のは見なかったことに……」
対する千鳥は、憂いを帯びた顔で俺の前に立つと両手で俺の右手をギュッと握りしめる。
「悪い顔になった時のストーム殿が心配です。自身の身は大事にして欲しいでござる……」
「そうだな……後先考えず暴走しないように気を付けるよ。ありがとう、千鳥」
取り繕った笑顔を見せると千鳥もはにかみ、俺の手を離す。
な、なんだか最近の千鳥は、そ、そのかわ……待て。待つんだ俺。
そして、千鳥。挙動不審な俺を不思議そうに首を傾けて見つめるなって……。ますます。その。
だあああ。
首をブンブン振り、俺は場の空気をガラッと変えるためあからさまな話題逸らしを試みる。
「ち、千鳥、久しぶりに夕飯でも食べに行くか」
「え! 嬉しいでござる! どこに行くのです?」
「そ、そうだな……エステルの宿とか……」
「……分かり申した……」
しゅんとしてしまったじゃないか。
せっかく乗ってきてくれたのに、何度も食べたことのあるエステルの宿の料理じゃあなあ。
そ、そうだ。
「じゃ、じゃあ。せっかくだからエステルも誘って、港近くのしゃれたレストランに行こうか」
「……分かり申した……」
あ、あれ……。
何だかまだ千鳥の雰囲気が暗い。ブツブツと「エステル殿も……」とか呟いているけど、何かマズイことを言ったかな。
せっかく行くなら、三人の方がと思ったんだけど。エステルと千鳥は仲がいいし。村雲も誘いたかったけど、彼は今魔の森にいるからなあ……。
「いつ行くでござるか?」
「明後日でどうかな?」
「はいです」
千鳥は俺と目を合わせず、窓から去って行ったのだった。
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