第4話 欠けたもの
デートを始めて幾時間か過ぎた。
既に日は傾き茜色が青空を侵食している。
海風が二人の頬を駆け抜ける。
「きれい」
陽菜は柵に体を預け沈みゆく太陽に照らされた東京湾を見つめている。
「別に珍しいものでもないだろう?」
陽菜が東京に来てから数年は経過しているはずだ。
東京湾を見る機会はいくらでもあったはずだ。
勇人の疑問に陽菜は振り向かず答える。
「勇人君、久遠村には海はなかったでしょ。その事を思い出したらいつも見ていたものが新鮮に思えたの」
「…………」
山奥にある小さな村である久遠村では海は貴重なものだった。
だが、それすら彼女の記憶には残っていなかった。
記憶を失った少女にとって目覚めた場所は見知らぬ土地。
自分が誰かすらわからない状況で見えた景色をどんな風に感じたか勇人にはわからない。
ただ言えるのは彼女にとって今この瞬間は特別なものだと言えると言うことだ。
「こんな風に新たな発見ができたって思うと記憶をなくしていた時間は無駄じゃないってそう思えるの」
「ポジティブだな」
「えぇ。だって過ぎたことだもの。気にしても仕方ないじゃない」
「そうか」
屈託なく笑う少女に勇人は自分の心が穏やかになっていくのを感じる。
陽菜は風になびく神を抑えながら海をじっと見つめる。
「貴方と今日こうしてデートできて良かった。色々変わってしまったけど、貴方の本質は変わってないって確信できたから」
「――――――そんな事の為にこんな無駄な事をしたのか?」
「うん」
勇人の問いにも陽菜は悪びれない。
その図太さにため息が漏れる。
「でもそれだけじゃないですよ」
振り返った陽菜は柵に背中を預ける。
「貴方とこうして笑って一緒にいたかった。好きな人とデートしたかった」
「……………………堪能できたか?」
「うん、すごく満足したよ――――――って言いたいけどね」
陽菜は暗い顔を見せない様に俯いてしまう。
「ねえ、勇人君。菜月ちゃんと正輝君の身に何が起こったの?」
勇人、陽菜、菜月、正輝。
いつも一緒にいた四人組だった。
勇人が皆を引っ張り、菜月が盛り上げ、正輝が諫め、それを後ろから見つめる陽菜。
何が起きてもこの友情は永遠だと彼女は思っていた。
しかし、現実は違う。
菜月の姿はここにはない。
正輝は自らをロキと名乗り陽奈を襲い、勇人は守るために異形の力を使う。
「………………私には何が起こっているかわからないよ」
「――――――――――――」
勇人には泣きそうな顔の少女にかける言葉が見つからない。
口下手で行動で示してきた彼からすればこんな時に何をすればいいのかわからない。
これが昼間に見た映画ならばクサいセリフで彼女を慰め抱きしめているのだろう。
「記憶を取り戻したっていったよね?でも……でもねどうして今の状況になったのか?それが、思い出せないの」
「――――――」
「だから、勇人君。教えて、私たちに何が起きたの?」
絞り出すようなか細い少女の懇願。
しかし、勇人はそれに答えることができない。
知ってしまえば彼女の精神に多大な傷を負うことになってしまう。
幻想種とは存在しないもの。
それらを狩る空木勇人も存在しない人間、存在してはいけない人間。
顔もなく名もなき者として異形を狩り、幻想と現実の番人でいなければならない。
それが神威である彼の務めだ。
陽菜の様に一般に生きる人間とは必要以上に関わってはいけないし、印象に残ってもいけない。
この件が終われば彼女の記憶も消すことになっている。
どうせ残させない記憶なんだ、今更知る必要などない。
このまま黙ってやり過ごそうと考えていた時だった。
「黙ってないで答えてあげなよ、空木勇人」
「「―――――――――――ッ!」」
二人が声のした方に振り返るとその男は穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
身長百八十を超える高い身長と中世的で美しい容姿の青年。
その顔にはかつての幼馴染、正輝の面影があった。
しかし、それはあくまで見かけだけの話だ。
その体は幻想種ロキに乗っ取られている。
「どうしたんだい二人とも?久々の再会なんだ。ここは旧交を温めあおうじゃないか」
相変わらず空気を読まないロキに対し、勇人の拳が弾丸の如く飛んでくる。
急な攻撃にロキの反応は間に合わず顔面に攻撃がもろに入る。
その威力は首と胴体を切り離してもなお威力は衰えなかった。
「ひっどいなぁ、一回死んじゃったじゃないか」
しかし、ロキは死なない。
これだけの事が起きてもさも大した事ではないと言わんばかりだ。
飛んで行った自分の首を拾うとオモチャを組み立てるかのように首と胴体をくっつける。
それだけでロキの体は元通りになった。
その光景に驚愕する陽奈だが勇人は動じない。
目の前にいるロキはただの分身。
倒した所で本体に影響はない。
その分、戦闘能力は全くないが相手は口達者なロキだ。
喋らせるだけでこちらの不利益になりかねない。
しかし、これを消し飛ばすにはもう少し力を込めないといけない。
「やれやれ、君は本当に無口で粗暴だね」
「分身であるお前と話すことはない。とっとと失せろ」
「おぉ、怖い怖い。流石は竜の神威」
勇人の殺気はゾウをも殺さんとするレベルだがロキはそれを飄々と受け流す。
「それにしても勇人。なぜ君は真実を話さない?」
「黙れ」
ヘラヘラと笑いながら話すロキに勇人の殺気が一層高まる。
それはゾウでは済まないレベルであり殺気を向けられていない人間をも卒倒させそうである。
それでもロキの軽薄な態度は変わらない。
「彼女は当事者だ。それを知る義務がある」
「黙れッ!」
挑発的な物言いに勇人の声は大きくなりトーンは低くなる。
「あぁ、君の口からは言えないか。ではこちらから語ってもいいかな?君たちが犯した罪を」
瞬間、勇人の姿が消える。
次に見えた時には既に拳が目の前に来ていた。
避けようのない一撃を目の前にしてロキはニヤリと笑う。
「君は単純で助かる」
「ッ!?」
ロキの分身が崩れる。
体は形を失い黒いモヤとなる。
モヤは一瞬にして勇人と陽奈を飲み込んだ。
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