第14話 人外と化け物
背後から風切り音が聞こえてくる。
それは真っ直ぐにこちらを、菜月を狙っていることを勇人は敏感に感じ取る。
「伏せろ!」
「え?」
足を止めて振り返ろうとする菜月。
ダメだ、このままでは間に合わない。
判断した勇人は無理やり頭を下げさせる。
菜月の小さな悲鳴と紙一重の差で二人のすぐ頭上をこの世のものではない何かが通過する。
「い、一体何なの?」
顔を上げた菜月は上空を見て固まる。
上半身は女性。
その腕は鳥の羽で下半身にはタカやワシのような鋭い爪がついた足がある。
ハーピー。
ハルピュイアとも呼ばれるギリシャ神話に登場するモンスターの一種。
伝承では戦場の上を飛び回り弱った者や傷ついた者を捕らえて飛び去る危険な幻想種だ。
しかし、ここはギリシャではなく日本で戦場ではなくただのグラウンドだ。
決して自然に湧き出す場所ではない。
それがここにいるという事は何らかの人為的もしくは作為的なことが行われたということになる。
「立てるか?」
「う、うん」
勇人は菜月に手を貸す。
その隙を狙ってハーピーが急降下する。
獲物まで音もなく弧を描くように最短距離で近づいてくる。
地面と平行に低空飛行に入り、猛禽類のような危険な足が菜月目掛けて突っ込んでくる。
臨戦態勢の立っている人間なら回避可能だろう。
だが、立ち上がったばかりの菜月にそれに対応する術はない。
人間を鷲づかみできる程巨大な足が迫る。
それが肩にかかれば少女の体など軽々と空に連れて行かれるだろう。
ゾッとする未来が見える中でそうは問屋を卸さない。
なぜならそこには勇人もいるのだから。
高速で突っ込んでくるハーピーもに対し勇人はそれ以上の速度で距離を詰める。
不意を突かれた化け物は全く反応できない。
その無防備な顔面目掛けて真っ直ぐに拳が突き出される。
高速移動するハーピーにとって大音量の強烈なカウンターとなる。
その威力は顔面を消し飛ばすだけでは飽き足らず残った体もフェンスを突き抜ける程だった。
この世のものとは思えない音がした。
交通事故なんて生易しい。
ガス爆発なんて生温い。
その衝撃は言葉にすることなどの少女の語彙力では不可能だ。
呆然、唖然。
それが今、天津菜月の抱いている率直な感情だ。
「ケガはないか?」
勇人の言葉にようやく我を取り戻す。
「あ、うん。大丈夫」
「そうか」
勇人は振り向かずに周囲の警戒を続けている。
思えば出会ったあの日から彼は異質だった。
性格面というより能力、肉体面でだ。
彼は発車間際の電車に菜月に気づかれず電車に乗り込んでいた。
しかも、菜月のいた出入り口とは反対側にいたのだ。
不振には思っていたが、自分がただどこか見落としていたのかと思っていた。
しかし、彼女は見た。|
彼がハーピーをいとも簡単にと殴り飛ばしたところを。
遭った時点で平然としていたところを見ると彼は慣れているのだろう。
この二つの出来事で確信した。
『お前の護衛で化け物だ』
あの言葉は嘘でも冗談でもない。
彼は人間ではない。
文字通りの化け物だ。
「おい、グラウンドの外に出れるか?」
勇人の突拍子のない質問に菜月は訝しむ。
このグラウンドには扉やドアのようなものはない。
フェンスの途切れたところからいつでも外に出られる。
何を言っているのか理解できないと思いつつ菜月は外に出ようとする。
ゴンと鈍い音と痛みが頭部から来る。
「いった!?」
よそ見しながら出ようとしたら突然何かにぶつかった。
「え?」
片方の手でぶつけた箇所をさすりもう片方の手を前に出す。
訳がわからない。
目の前に固い感触がある。
この場所にガラスのような透明な壁でもあると言うのか?
「な、なんなのこれ?」
しかも、この壁は目の前だけではない。
彼女が両手を広げた長さより確実に広いのだ。
菜月はポケットから携帯を取り出す。
画面には普段余裕で立っているはずのアンテナが一本も立ってない。
ここは都会の住宅地だ。
電波が届かないなどあり得ない。
「何が起こっているの?」
まるでホラー映画の世界に放り込まれたような絶望感がそこにはあった。
やっぱり。
驚愕に揺れる菜月を尻目に勇人は自らの予想が当たっていることを確認する。
このグラウンドには結界が張られている。
今までのは人が近づかないようにするのではなく隔離するための結界だ。
今回は捕らえた獲物を逃さない檻のようなものと考えていい。
さて、どうするか?
この結界をぶち壊すのは容易だ。
ただ、この先の展開を考えるとこのまま脱出するのはあまり得策ではない。
予想は的中し二十人ほど黒いフードを被った連中に取り込まれる。
「何、こいつら?」
音もなく現れた連中に菜月は怯える。
裾から震えが伝わってくる。
理解できないことが続いている以上仕方ない。
とりあえず、暴れたり不用意な行動を取らなければそれでいい。
さて、問題はこいつらだ。
フードで顔が隠れているが雰囲気でわかる。
こいつらは前回陽菜を襲ったサタニストの仲間だ。
勇人が考察しているとリーダーと思しき人間が一歩前に出てくる。
「そこの化け物。我らが神の供物を渡せ」
全くこの手の連中はどいつもこいつもテンプレしか言えないのか?
聞き飽きた要求に応えるのも億劫である。
臆面もなく神というあたり狂信者であることはわかるが、生憎こちらが興味があるのは質問に答えてくれるかだ。
「おい、お前らの親玉は誰だ?しゃべれば命だけは助けてやる」
勇人の問いに囲んでいる連中は不快感を露わにする。
「貴様、今どういう状況かわかっているのか?」
怒りを抑えた声で男達は睨みつけてくる。
「わかっているさ。お前らのような雑魚がいくら雁首を揃えても
明らかに挑発する勇人に菜月は裾を二度三度小さく引っ張る。
菜月もなかなかトラブルメーカーだがそれは彼女の抗いようのない魅力から来るものだ。
しかし、今の勇人は違う。
その目は肉食獣のように爛々と輝き、口角は上がり、そこから見える歯は犬歯のように鋭く尖っている。
彼はこの状況を喜んでいる。
もし、菜月がこの手を離せば一直線に突っ込んでしまう。
そんな予感がする。
「ほざくな、化け物もどき!」
挑発に乗った男達は本をかざす。
聞きなれない呪文を唱えると本が光り出す。
それに呼応するように彼らの腕から刺青の様なものが浮かび上がる。
空に幾何学的な紋様が現れそこから無数の何かが這い出てくる。
空を舞うのはハーピー、地上に降り立ったのは――――――。
「――――ゴブリン、オーガ、デュラハン」
邪悪な妖精にして醜き子鬼のゴブリン。
ファンタジーの代名詞でもあるこの化け物は土気色の肌に弓矢や剣などを携えている。
次に巨漢にして人食いの鬼、オーガ。
ヨーロッパ各地を徘徊し人間を襲う邪悪なモンスターである。
その巨躯に見合う斧や棍棒を振り回し咆哮する。
死の預言者にして、首なし騎士デュラハン。
首のない馬に乗りその脇には自らの頭を抱え、反対側には槍を持っている。
「あ……あ……」
菜月は言葉を失う。
さっきのハーピーでも恐ろしかったのにそれより恐ろしいものが数十体以上出てきたのだ。
腰を抜かしてへたり込んでしまうのも無理はない。
「これで我らの力。我が神の偉大さわかったか?」
我らの神て……
あまりに寒い発言に苦笑いが漏れそうになる。
まあ、これだけの幻想種を召喚し隷属するのは、その負担は人間では相当なものではないのはわかる。
ただ、そんなことすればただでは済まないはずだが、男達はまだ余裕がありそうだ。
「あぁ、そうか」
さっき見えた刺青はドーピングみたいなものであろう。
本は召喚のための媒体だから考えられるのはそれしかない。
なるほど。
神の御加護はしっかりもらっているということか。
これは少々面倒だな。
目の前の敵のとことではない。
勇人にとってこんなのは鎧袖一触だ。
問題は彼の背後で動けなくなっている少女のことだ。
流石に彼女を無傷で守るのは難しい。
「さあ、その少女を渡してもらおうか?」
うるさいな。
耳障りな勝ち誇った声にうんざりする。
こういう連中を黙らせるのは彼女を遠ざけてからだ。
勇人は菜月に向き合い体を屈める。
「おい、ちょっと失礼するぞ」
「へ?わ!」
ごく自然な素振りで勇人は菜月をお姫様抱っこする。
突然の事態に菜月は顔を真っ赤にする。
男勝りな性格の彼女だがその実お姫様願望がない訳ではないようだ。
こういう風に女の子扱いしてくれる人がいないから表に出なかっただけだろう。
場違いな状況なのに頬を紅潮させ何かを期待しているように見える。
「状況を考えろ」
脱力しそうになる。
緊張感がなさ過ぎる。
今度は恥ずかしさから赤面し顔を逸らす。
心の中で嘆息する。
まあ、緊張感のなさで言えば油断から時間をくれる敵側にもあるが。
気持ちを切り替えた勇人は菜月の耳元で囁く。
「しっかりつかまってろ」
「え?」
菜月の呆けた声を無視して勇人は歩を進め宣言する。
「神格解放」
世界の全てが止まる。
飛び回るハーピーは空中で翼を動かさず静止する。
武器を構えるオーガは間抜けな面を晒して動かない。
馬に跨るデュラハンも、下卑た笑みを浮かべるゴブリンも、それを操る狂信者も全員動かない。
勇人の首に腕を回している菜月も同様だ。
今この瞬間、世界は勇人の物となった。
周りに存在する者全てはこの状況を感じ取れない。
何をしようと何をされようと勇人以外の全ての存在はそれをわからない。
このまま敵を殲滅することは余裕だ。
しかし、そんな無粋なことはしない。
そんなことをする必要はない。
菜月を安全な場所にさえ移動させればどうとでもなるのだ。
さて、この辺かな?
勇人はグラウンドの端、サタニスト達とは対角線の位置に移動する。
距離にしておよそ百メートルぐらい離れたところで凍結を解除する。
「え?あれ」
菜月が呆けた声が聞こえてきた。
菜月が気づけばさっきいた場所とは全く違う場所にいた。
見えるのはフェンスでさっきまでいた怪しげな男達はいなくなっていた。
「おい、降ろすぞ」
「え、うん」
遠くで怒号が聞こえてくる。
きっと菜月達を探しているのだ。
なぜかはわからないが彼らは菜月は狙っている。
身に覚えのない話に疑問は尽きないが、それより彼女にとって最大の謎は勇人だ。
さっきの化け物を一瞬で屠ったことや瞬間移動もそうだ。
まるでフィクションの世界にいるかのような事を平然としてきた。
知らないでは済ませられない。
見て見ぬ振りなんて不可能だ。
「アンタ、何者なの?」
「言っただろう。俺は化け物だ。そしてお前の護衛だ」
「そういうのを聞きたいんじゃない!」
いつもと変わらない勇人の態度に菜月の苛立ちが募る。
彼女が聞きたいのはそういうことではなかった。
彼の強さの秘密とかその力の正体とかだ。
いや、そうではない。
彼女はどこかで縋っていた。
夢だとかドッキリだとかそういった何か現実的な説明が欲しかった。
「俺は
菜月の視線の先にはこちらに突撃するハーピーの姿があった。
菜月は声と共に指を刺す。
しかし、勇人はまるで気にする素振りはない。
遅い来るハーピーが彼の体に届こうかという瞬間、彼の腕が化け物の顔面を正確に掴む。
じたばたともがくハーピー。
しかし、どんなに羽を羽ばたかせようとも足を動かそうとも、がなりたてても勇人の拘束は決して緩まない。
「――――こんなことできないだろう?」
勇人は拳を握るかのようにごく自然な形でハーピーの頭を潰す。
トマトのような現実のない異形の鮮血が飛び散り菜月の顔にかかる。
それは風に舞う砂塵のようにすぐに消えてしまう。
その血の温かさや生臭さは彼女の脳に強烈に記憶される。
これは夢でも映画でもドッキリでもない。
紛れもない現実だ。
息が乱れる。
心臓が飛び出しそうなほどの恐怖が彼女を襲う。
「これを握っとけ。そうすりゃ安全だ」
勇人が差し出したのはお守りだ。
こんなものが本当に価値があるのだろうかと疑ってしまうが、勇人はこんな時に冗談を言うタイプではない。
なんとなくだがお守りを握ると呼吸が落ち着いてきた気がする。
「そこから動くなよ。あいつらは俺が片付けてやるからな」
その場を離れようとする勇人の腕を菜月はぎゅっと掴む。
勇人がこの場を離れる不安とかそもそもこの状況はなんなのかとか聞きたいことはいくらでもある。
しかし、今はそれを全部心の奥底にぐっとしまうとする。
「後で全部話してよね。約束よ!」
強い眼差しを勇人に向ける。
それに対し勇人は背を向けぼそっと呟く。
「善処する」
善処すると彼女に約束したが正直気乗りしない。
話すべきことではないし何よりこの世界を知ってほしくない。
「それも今更か……」
こんな状況まで
この戦いが終わってから全て話すとしよう。
自分の置かれた境遇を含めてだ。
「あ~めんどくせ」
それもこれもあのサタニスト共のせいだ。
こうも回りくどいことばかりばかりしやがって本当に腹立つ。
勇人の中の殺意が明確にサタニスト達に向く。
それに気づいたサタニスト達の視線が一斉に集まる。
勇人は構わず前に出る。
「おい、もう一度聞くがお前らが崇拝する神はなんだ?」
教えてやれば命ぐらい助けてやる。
サタニスト全員聞こえるぐらいの声で問う。
それが勇人が見せた最大の慈悲である。
「それはこちらの台詞だ。大人しく供物の娘を渡せ」
しかし、それを受け入れるサタニスト達ではない。
何せ自分達の戦力はおよそ百。
対しているのは勇人だけ。
いくらゾウやライオンが強くても装備を整えた人間なら確実に狩ることができる。
そういう確信があるのだろう。
全く……思い上がりも甚だしい。
そういう自惚れは叩きなおすに限る。
圧倒的な力と恐怖を持って。
「さてと、始めるか」
勇人は四肢に力を込める。
我は神。
我は悪魔。
災厄にして恩恵。
恐怖にして畏怖の象徴。
「神格解放」
自らの戒めを解き放つ呪文をここに宣言した。
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