第12話 不協和音

 時刻は六時過ぎを指す。

 窓の外から虫の合唱が遠くから聞こえてくる。

 人格の入れ替わりのために眠っている陽菜の部屋の前で勇人は目を閉じて彼女が起きるのを待っていた。


「空木さん」

「なんだ、篠原?」

「本部から連絡がありました。例の旧校舎の調査が今日行われるらしいです」

「そうか」

「それと吸血鬼事件」


 それが始まったのは四月ごろだった。

 深夜に十代の女性が倒れていた。

 女性は血液が減っており、首筋には何かの噛み跡が残っていた。

 発見された時、多少の衰弱はあったが命に別状はなかった。

 それから同様のケースが立て続けに起きた。

 被害者は皆、十代から二十代の若い女性、深夜、首筋には噛み跡。

 それを聞いた一部のマスコミは面白がって吸血鬼事件と名付けた。

 この面白がってつけた名が事実であることは組織もすぐに気づいた。

 すぐさま関係各所と密に連絡を取り合い情報規制をした。

 おかげでマスコミはすぐに鎮静化したが犯人は未だに不明だ。


「昨夜も女性が倒れていました」

「これで今月何件目だ?」

「五件目ですね。週に2回ぐらいのペースです。それも東京を中心とした関東近辺ですね」


 吸血鬼。

 世界で竜と並ぶ有名な幻想種。

 様々な能力や伝承を持つ幻想種界でもトップクラスの存在である。

 しかし、それは欧州を中心とした話である。

 日本でも似たようなものはいるが、それはあくまで大陸から渡ってきたものの亜種であり、一般的に知られている吸血鬼とは話が違う。

 少なくとも近年において吸血鬼が発見されたという話は聞かない。

 だが、実際の被害が出た以上この国で生まれたか海外から渡ってきた吸血鬼がいることは間違いない。


「しかし、吸血鬼って厄介なんですよね」

「ほとんど人間と変わらんからな」

「そうなんですよ。いくつか見分ける方法はありますけど逆に言うとんですよね」


 鏡に映らないとか犬歯が伸びているとか赤い目などの見分け方はあるがいくらでも誤魔化しがきく上に、いくら捜査の網目を張っても元が人間と変わらないから見分けるのは至難の技だ。

 特に近年は仮装やコスプレは決して珍しいものではなくなったからよけいにだ。

 被害者は皆直前の出来事を覚えてない上に防犯カメラなどの映像機器に姿が映らない。

 しかも、相手が相手なので表立って捜査することは難しい。


「世間の目、捜査員の被害……考え出したらキリないですね」

「全くだ」


 ただでさえここ数ヶ月幻想種が増加しているのにこれ以上問題が長引くのはゴメンだ。

 そう思っていると部屋のドアが開く。


「おっす」

 野球帽を被った菜月が出てきた。

「脇に抱えているのはなんだ?」

「ボールとグラブ」

「キャッチボールでもするのか?」

「その通り」

「はぁ……」


 緊張感のない奴だ。

 それも仕方ないことだ。

 彼女と出会ってからトラブルらしいトラブルとは無縁だ。

 自分が狙われていることに実感が持てないのだろう。

 流石に何か言わないといけない気がする。


「おい……」

「いい加減にしてください、お嬢様」


 振り返ると階段の前に執事の高島と当主である総一郎がいた。


「今日も外に出るのか?」

「悪い?」

「お嬢様、総一郎様に対してなんという態度を取るのですか」


 露骨に嫌そうな顔をする菜月を高島が嗜める。


「良いのだ、高島」

「しかし……」


 なおも食い下がる高島を手で制し総一郎は一歩前に出る。

「のぅ、菜月」

「何?」

「もう外も暗い。今日ぐらい家で一緒に夕食を取らないか?」

「遠慮するわ。それよりアタシは外で体動かしたいの」


 少女は棘のある口調で総一郎の遠慮がちな誘いを断る。

 顔を背け目を合わせない彼女は明らかに祖父を拒絶している。

 それに対し総一郎は腫れ物を扱うかのような接し方だ。

 それだけで二人がどんな関係であるかは一目瞭然だ。


「最近は何かと物騒だ。体を動かすだけならもう少し明るい時間で――――」

「――――お生憎様、アタシにとって太陽はあってないようなものなんだよ。と言うか何?いきなり保護者ぶってさ。今まで散々、逃げてた癖に」


 徐々にヒートアップしていく菜月をなだめようと総一郎は必死に語りかける。

 そこにはかつて一代で大企業に育て上げたカリスマ経営者の姿はなく、不良孫娘に振り回される一人の保護者の姿だった。


「そうかも知れん。だが、ワシは今お前の保護者であり、家族だ。家族の身を心配するのは当然だろう?」

「家族!?アンタが家族と呼ぶのは陽菜もう一人のアタシだろう!!」

「陽菜!」

「その名で呼ぶなッ!!!」


 怒声を怒声で打ち消す。

 やっちまったな。

 行き着くところまでいってしまった結果は沈黙だった。

 誰も彼もが気まずさから顔を背けている。

 真っ先に耐えられなくなった菜月が屋敷を飛び出す。

 それを追う勇人は総一郎の顔を一瞥する。

 後悔が色濃く出ている顔は哀れに思えたがフォローは周りの使用人に任せよう。

 勇人と舞は菜月の後を追った。




「空木さん……ちょっと……待って……くださいッ!」

「なんだ、篠原」


 勢いよく屋敷を飛び出した勇人達だったが菜月を見失ってしまった。

 幸い菜月の携帯にはGPS機能がついており捜索は難しくない。

 しかし、万が一襲われてしまえば取り返しがつかない。

 正直、勇人は焦燥感から苛立ちを覚えていた。

 それ故に無意識のうちにスピードを出しており舞が全速力で走ってもギリギリ見失わない程だった。


「これ……見てください……」


 息も絶え絶えの舞が見せた携帯の画面は彼女の移動速度を示していた。


「これは速過ぎる」


 位置を示す赤い点は今も移動している。

 しかし、その速さは十代の少女が出せるものではない。


「電車かバスか?」

「いえ……彼女の動いている所は電車もバスも走ってないです」

「じゃあ、タクシーか?」

「可能性は否定できません」


 息を整えた舞の言葉を聞いて勇人は腕を組む。

 このまま二人で行動してはどんどん離されてしまう。

 まず菜月に追いつかなければ何も始まらない。


「篠原、俺の携帯の位置情報は把握しているな」

「えぇ。当然貴方の端末にも彼女の位置情報は記録しています」

「わかった。なら、今から俺一人でアイツを追う。お前は後から追いついて来い」


 勇人は目を閉じ己の中にいる幻想種に意識を集中する。

 神格解放。

 自らの戒めを解く呪文を心の中で唱える。

 体の中にあるもう一つのギアが回転を始める。

 現実にはあり得ない力が全身の隅々まで行き渡る。


「よし、行くか」


 四肢に力を込め軽やかに飛び上がる。

 住宅から住宅へ屋根を伝って行く様子を舞は見送った。


「頼みましたよ」


 舞の見立てが正しければ菜月も陽菜も勇人の方を信頼している。

 いや、信頼ではなく恋い慕っているという方が正しい。

 理由は不明だ。

 初めて会った時から異様に心を許していることは二人が何らかの縁があっても不思議じゃない。


「ま、所詮私の推測ですがね」


 後は勇人に任してゆっくり追うことにしましょうか。

 舞はとりあえず体力回復のために近くのカフェに足を運ぶのだった。




 どこをどう走ってきた。

 気づけば全く知らない公園に来ていた。

 比較的大きな公園で遊具の他にグラウンドが併設されたりしている。

 やってしまった。

 本当はあんなこと言うつもりはなかった。

 菜月は祖父のことを決して嫌っているわけではない。

 苦手というよりどう接していいかわからないが本音だ。

 先ほどのこともこっちを心配してのもであるし、普段からこちらを気にかけてくれているのもわかっている。

 それでも彼女にとって祖父は夜の間だけという限られた時間でしか見ていない。

 それは使用人達にも言える。

 逆に彼らも彼らで戸惑っている。

 昼の陽菜自分と夜の菜月自分どちらとして接すればわからないのだ。

 どこかよそよそしく距離を取った付き合い方をしてくる。

 こんな生活は多少慣れたとは三年前大して変わらない。

 そんな家に居心地が悪くて夜遊びを繰り返しそれが定着してしまった。


「――――ホンット、ダメだなアタシ」


 これからどうしようか。

 帰りたくないし帰り道もわからない。

 見上げれば月が街頭の光に負けずに輝いている。

 まあ、その光も太陽によるものだけどね。

 太陽と聞いてふと思い出す。


「そう言えば今月皆既日食だっけ?」


 たまたま見たスマホのニュースでそんなものを見た。


「アタシもこんな気持ちにはならなかったのかな?」


 昼間の現象である日食は彼女には関係ないことだが、太陽と月が重なることで起きる日食は今の彼女に通じるものがある。

 自己嫌悪で訳のわからないことを考えてしまう。


「もう……消えてしまいたい」

「何言ってやがる」


 はっと振り替えると飲み物を抱えた勇人が立っていた。




 菜月は近くのベンチに移動してから腰を下ろす。


「ありがとう」


 勇人から渡されジュースに口をつける。

 炭酸の刺激と合成甘味料が喉を潤す。

 沈黙が支配する。

 思えば彼は自分から話し掛けてはこなかった。

 着かず離れず。

 本人曰く俺は基本空気として扱えとのことだった。

 口下手な彼のことだ。

 余計なことを言えば何かとこじれてしまうことを嫌ってのことだろう。

 それは彼は彼なりにこちらに気を使っている証でもあった。

 こちらに日常に干渉せず困っている時や落ち込んでいる時にはふと現れてくれる。

 それはすごくありがたい。

 今も隣でジュースを口にしたまま何も言おうとしない。

 怒っているのか呆れているのかわからない。


「ねぇ、何でアタシが飛び出したのに何も言わないの?」


 沈黙に耐えられず菜月はつい口走ってしまう。


「なんだ、説教でもして欲しかったのか?」

「そう言う訳じゃ……」

「なら良いじゃねぇか。お前は一連の行動を反省し恥じている。要はそれを次に生かすかそれだけだろう」


 そう言われると心が少し軽くなる。

 彼なら何でも受け入れてくれる。

 そんな確信めいた思いがある。


「ねえ、ちょっと付き合ってよ」


 ちょうどグラウンドが近くにある。

 自分が外に出た当初の目的を果たそう。

 菜月は自分の持っていたグラブを勇人に投げ渡す。


「何のつもりだ?」

「キャッチボール。それぐらい付き合ってよ」

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