第8話 丑寅の時
勇人たちが家路へ向かっている同時刻、数人の男たちが歓楽街の裏通りを大股に歩いていた。
「あぁ、クソ!」
メンバーの一人が荒々しくゴミ箱が蹴り飛ばされ中身が散乱する。
この男たち、先ほど勇人と菜月に痛い目に合わされたチンピラたちだ。
尤も、痛い目に合った原因の大部分は彼らにあり因果応報、自業自得だ。
「あのクソアマぁ……よくもやってくれたなぁ!今度あったらタダじゃおかねぇ!!」
抑えられない怒りを壁などにぶつける。
それを宥めるように男たちが口を開く。
「工藤、落ち着けよ」
「そうだぜ、あいつらに手を出すのはやめようぜ」
怒りを露にしている工藤としない他の男達との差は勇人を見ているか見ていないかの差だ。
見ていた人間なら空木勇人の異常さは気づくだろう。
デコピンで人を吹き飛ばしアスファルトを一撃で砕くなどとても人間技とは思えない。
その力を自分たちに向けられたらと思うと命がいくつあっても足りない。
「なんだよ、腰抜けが!そんなん、数で押せばいいだろう?仲間を呼べ、絶対アノ野郎を殺す!!」
工藤が強気なのは勇人のデコピンで気絶したこともあるが、別の理由もある。
この男、関東を根城とする半グレ集団のトップであり、合法から非合法の商売でのし上がった経歴がある。
その過程で暴力団などにも顔が利き自分に逆らえる人間はいないと思っている。
そんな人間性故に、勇人達に大恥をかかされたと勘違いしているのだ。
「おい、工藤!大変だ、お前らが声かけた女は天津コーポレーションの創始者の孫娘だ」
「なに?」
仲間の言葉で工藤の怒りは一気に鎮火する。
ボディーガードを雇う人間だけあってそれ相応の人間だと思っていたがまさか世界的企業の創始者の親族だとは思わなかった。
工藤は天津の名に一瞬怯むが、すぐに黒い笑みに変わる。
引退したとは言え大企業の創始者だ。
未だに影響は強いといわれている。
そんな令嬢がこんな時間に出歩いていたとマスコミに知られればどんな影響が出るか?
悪巧みはいくらでも思い浮かぶ。
後はそれらをよく話し合って実行に移すだけだ。
「よし、お前ら事務所に戻るぞ。奴らから金をむしりとってやる」
「その意気や良し」
「あん?」
工藤たちの前に三十代後半から四十代ぐらいの口元に髭を生やした奇術師風の男が一人現れた。
身長は百八十以上ありモデルのようなスマートな体系はがっしりとした体系は勇人とは対照的だ。
男は着ていた純白のマントを大きく広げる。
「脅迫、詐術、虚偽……人間の起こす悪意はいつだって世界を変えるきっかけだ」
野太く低い声と穏やかに浮かべる微笑は年相応の魅力となるが、突然現れ声をかけてきた青年に工藤たちは警戒する。
「テメエ誰だ?」
「私ですか?今の貴方たちには関係ないのですが強いて言うなら『トリックスター』とでも呼んでください」
白い帽子を恭しく頭を下げる姿はステージに立つマジシャンそのものだった。
その様を見た工藤たちは失笑する。
この年で厨二病を患っているのかと。
「で、そのトリックスター様が俺たちに何のようですか?」
適当にあしらって追い払おうとニタニタと笑う。
「いえ、私はね。策略も良いと思うのですが……」
トリックスターは突如工藤の顔を掴むとその手の甲が幾何学模様に光り出す。
工藤は最初だけ手をどかそう暴れまわるが、トリックスターの手の光が消えると共に大人しくなった。
「いつだって世界を混沌にするのは」
――――獣のような暴力だ。
そう言い終ると工藤は熊のように咆哮した。
その叫びは常人のものではなくその声量は近くにいた人間の肌を震わす。
そのあまりに突然かつ異様な変化に周りの男たちは恐怖しトリックスターに何をしたと問い質す。
「何って理性を外しただけですよ?」
さも、当然と言わんばかりに悠然と歩く。
「あぁ、気にしないでください。すぐに貴方たちも同じ存在になるんですから」
その断末魔が響いたのはものの数秒してからだった。
静寂の中、倒れ伏す男たちの中で満月に照らされたトリックスターは小さく笑う。
「さあ、あの時の続きだ空木勇人。まずは序幕といこうか」
彼の背後で獣と化した元人間が次々と立ち上がる。
そこには人としての価値はなくただただ、破壊と殺戮を求める狂戦士がいた。
それを見つめるマジシャンの姿は黒く陽炎のように違う形に揺らめいていく。
******
結局、勇人たちが家に戻ったのは深夜一時前だった。
帰宅まではスムーズにいけたが問題は帰宅後だった。
執事長の高島に大目玉をもらってしまった。
それを黙って受け入れられる菜月でもなく大喧嘩になってしった。
その結果、屋敷にいる者全員が集まってきてしまい、主である総一郎まで出てきてしまった。
その場は夜も遅いからと総一郎の仲裁により事なきを得たが、疲れてしまった菜月は風呂にも入らずそのまま眠ってしまった。
時刻は午前二時。
この時間帯を昔の時間では丑の刻と呼ぶ。
これは正確な時計のなかった昔の日本では干支を使って時刻を計っていたころの呼び方だ。
この計り方はネズミを午前零時とし、それぞれの干支を二時間ずつ数える方法だ。
これは正午や午前、午後で使われる『午』は馬に当たりその名残は今も残っている。
ことわざでも草木も眠る丑三つ時という言葉があり、気味が悪いほどひっそりと静まりかえった夜中を例えている。
そんな寝静まった天津邸で二人の人間だけ起きている。
「篠原」
「気づいてる?」
「あぁ、腐りきった精神の臭いだ」
勇人が二階の窓から外の様子を見ると、外は不自然な霧に覆われていた。
屋敷の庭きちんと見えるのに、それを囲む塀の外側から先は霧が視界を遮っていた。
視界不良の中で見えるのは複数の人影が見える。
数は十や二十では済まない。
正確な数はわからないが、足音で相当数いることがわかる。
勇人はゆっくりと階段に足をかける。
「篠原、結界を張り直す。お前は天津嬢の護衛を頼む」
「それは部屋の中に入って?」
「当然だ」
勇人は結界を屋敷の敷地、屋敷の壁、そして菜月の部屋の三重に張った。
とりあえず、今出来る最大の防御を用意したが、それを掻い潜ってくる敵がいるかも知れない。
用心のために舞には菜月のベッドの近くで護衛してもらおう。
「何かあった時はすぐ呼べ」
「了解」
舞も気をつけてとは言わない。
外にいる敵自体は勇人にとって脅威ではない。
仮に出てきたとしてもこちらが逃げるだけの時間は確実に稼げるだろう。
そんな確信が彼女の中にあった。
階段を降りた勇人は玄関前で右往左往する侍女を見かける。
勇人が張った結界には中の人間の意識を奪う力が働いている。
起きている人間の方が珍しい。
「おい、何やってんだ?」
勇人から声をかけると侍女は驚きで体がこわばる。
ゆっくりと振り返り勇人の顔を確認してからようやく侍女は一息つく。
ホラー映画の見過ぎじゃないのか。
侍女の態度に勇人は辟易する。
「すみません、お手洗いを済ませて部屋に戻る途中だったのですが、警備員さんが全員眠るように意識を失っていて、他の方も同様に……」
イマイチ要領を得ない話だが勇人からすればそれだけでだいたいわかる。
結界は正常に作動している。
「疲れているんだろう。そのまま寝かせとけ」
「え、ですが……」
「何かあっても俺がなんとかする。アンタも部屋で休みな」
侍女はまだ何か言いたげだったが、勇人の無言の圧力に屈しその場を去っていく。
結界の意識を奪う効果は暗示に近い効果があり相手に眠るように働きかける効果がある。
勇人は神威だから当然として一般人でも効果には個人差がある。
あの侍女は耐性がある方なのだろう。
ちなみに舞は組織から支給された制服のおかげで影響は受けない。
勇人が屋敷の敷地を超えると門の前で二人の警備員が立っていた。
「任務、ご苦労さんっと」
勇人が警備員達をすり抜けた瞬間、振り向きざまに飛びかかってきた。
勇人はそんなものは気づいていないかのように悠然と歩く。
襲いかかってきた警備員達は彼の身体に触れる直前に突然吹き飛び壁に叩きつけられた。
加減はした、明日には目を覚ますだろう。
「さてと」
とりあえず、後ろの問題を片付けた勇人は霧の先を見据える。
古来より日本では干支は時刻だけではなく、方角や暦など様々な形で利用されてきた。
これは陰陽道を起源とするもので方角では丑寅、北東は鬼門とされており忌避されている。
一般的に言われる鬼が牛の角と虎の腰巻をしているのはここから来ているとされている。
そんな時間帯である今は幻想種が最も活発に動く時間帯である。
二十四時間が珍しくなくなった現代ではあまり影響はないと言われがちだが、この時間こそ魔が差すといった無意識に悪魔に取り付かれてしまう時間帯である。
むしろ魔が差した程度で済めば良い方なのだ。
最悪の状態は死より恐ろしい。
その成れの果てが屋敷に向かって大量に向かってくる。
姿形は人間でも目は白目を剥き口からはだらしなく涎が垂れ酔っ払いのようなおぼつかない足取りで向かってくる。
この不快で気持ち悪い存在を勇人たちは餓鬼やグール、ゾンビとも呼ぶ。
それは低級悪魔に取り付かれ精神が崩壊し生ける屍となり中途半端にこの世を彷徨う者たち。
基本的に害はなく都市伝説の怪談レベルで済まされるレベルの存在であり他人から感知すらされない哀れな存在だ。
しかし、中から高位の幻想種でかつ知能の高く野心的な連中は度々彼らを手駒として利用する。
「でもまあ、ちょうどいい」
慣れないガキのお守りでストレスの溜まっていた勇人にとって良いサンドバッグだ。
何より餓鬼たちは真っ直ぐこの屋敷に近づいてくる以上、悪意を持っているのは明確だ。
ならば、勇人のやることは一点。
彼女に害なす輩を殲滅し、一匹残らず駆逐する。
勇人は姿勢を低くし地面を蹴り疾駆する。
ただ、まっずぐに駆け抜け、群れの中心に飛び込みその拳を叩きつける。
当たった餓鬼は体は砕け砂塵のように霧散する。
「……テメエら運が悪いな」
このような状態になりこんな無様な最期を迎えることになったことに。
だが、安心して欲しい。
「せめて、散り様ぐらい安らかに逝かせてやるよ」
それから全てが終わるのに四分十一秒で決着がついた。
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